第15話
オルターエゴに対する黒沼の嫌悪に満ちた顔。ペンを握る手に力が入る。あと少しでも力を込めれば、ふたつに折れてしまいそうだ。彼の中に渦巻く得体のしれないものがあるようだ。ほんの一瞬であったが、國臣はその一瞬だけで恐怖を覚えた。
「ふぅ……余計な話をしちまったな。忘れてくれ。ただオルターエゴが嫌いな親父の愚痴だ」
自分を落ち着かせるように息を吐いて言うと黒沼の表情がほぐれる。ペンに込める力も弱くなり、力んだせいで書かれた無意味な線をぐしゃぐしゃに書き消す。
「物盗り目的だとして、ここにある物なんかなにもねぇだろ? 何か盗られたもんがあるのか? 先生」
「んー……アイツが持ってたものは――私の腕時計のアドバイスデバイス! 引き出しにないのが分かった途端に腕から盗られたよ」
葛城が自分の手首を見せる。押さえつけられたかのような痕と引っ掻かれた傷が痛々しい。
「今更デバイスなんか盗ってどうするんてんだ。オプティに繋がるオルターエゴには必要ないものだし。まったく訳わからねぇな」
スマートフォンと比べても、腕時計型アドバイスデバイスは盗られるものとして値段・価値ともに見合っていない。誰もが持っているし、世の中にはありふれている。だから何故盗られたのかが分からない。
「……ところでお前さんが探してるってやつの写真とかないのか?」
「写真……あるかな? ことりちゃん、あんまり写真が好きじゃなかったから」
國臣は直したてのスマートフォンを操作してことりが写った写真がないか探す。
付き合ってから一年にも満たない関係。学校は異なり決して多くないデート時に写真を撮った記憶はほとんどない。クリスマスデートのときもツーショットを撮ろうという流れにはならなかった。
カメラを向ければ顔を背ける。もしくは手で隠す。國臣も写真うつりがよくなく、撮るのも下手だったこともあって互いに写真について話すことすらなかった。
画面を何度もスクロールするほど写真はない。ことりの姿はどこにもないように思えた。しかし、國臣にはひとつ可能性が思い浮かび、夏ごろの写真を一枚ずつ見る。
「これぐらいしかないです」
提示したのは共に訪れた海での写真。青い空の下、波打ち際を背景に多数の人が楽しむ様子を眺めることりの後ろ姿をおさめたもの。白いワンピースに麦わら帽子のことり。風によってなびいた髪。横顔がなんとか見える程度である。
「これじゃ何もわから――」黒沼が画面を見て言うと、
「コイツだよッ!」遮るようにして葛城が画面を指さした。
國臣は目を見開く。そんなはずはない、信じたくはない。口をパクパクさせ、落ち着いていられない。
「おいおい、先生。本当に同一人物なのか? 先生を襲ったのはオルターエゴなんだろ? だがこの子は少年と交際していたんだぞ? そうしたら少年は機械と付き合ってたことになるじゃねぇか」
「そんなことないです! 彼女はオルターエゴなんかじゃない。ちゃんと人間です。ご飯だって食べたし、寝ていたし。オルターエゴみたいに目は光らない!」
「いいや、絶対にコイツだった! こんな髪をして、憎たらしいほどでっかい目をしたヤツだ。そいつが襲ってきたんだ」
「違うッ! 絶対違うッ!」
「違うものか。アタシが嘘ついていると!?」
葛城と國臣の二人が声を張り上げているというのに、黒沼は聞こえていないかのような平然と見つめている。
「だから――」
「いや、互いに合ってる可能性があるぞ」
葛城がさらに言い返そうとするのを黒沼が手で制止させた。静かになってから改めて黒沼が言う。
「オルターエゴはぱっと見人間と区別がつかないほど精巧だ」
「なら、少年が間違ってるんでしょ」
「いいや。エネルギー源は人間との大きな違いでもある。オルターエゴは食事をしないからな」
「……確かに、そうだけど……」
オルターエゴのエネルギーは電気。有機物を摂取して処理する機能はない。それは誰もが知る情報だ。
國臣は自分の話を二人に信じてもらえたことで落ち着きを取り戻す。
「ドッペルゲンガーって言うだろ? オルターエゴはまさにそれと同じ。何処かの誰かと同じ顔をしてる。ゼロから作るのは難しいからランダムピックアップした人間をベースに作るつー訳だ。だから同じ場所に同じ顔がいる可能性が無いとは言えない」
「でもそれって凄く低い可能性なんじゃないですか?」
「そうだ。可能性としては存在するが、ばったり出会うことはないようオプティは計算してやっている」
「なら、同じ戸和でことりちゃんの姿をしたオルターエゴがいるはずはないんじゃ?」
「ない。オプティの支配下にあるオルターエゴなら、な」
「それってどういう……」
國臣には想像がつかない。
社会は全てオプティによるスコアで成り立っている。配下にカメラやオルターエゴを置くことで全てを見ているのに、そこから外れたものがあるなんてことが。
「オプティがこういうオルターエゴを作れと指示し、それに従って骨格、顔、髪を作る機械があるんだが、最終確認は人間がする。おかしいという点があれば、そいつが修正する。つまり、修正できるほどの技術を持った職人がいる。少し前には職人技術がオルターエゴの改造や、愛玩人形作成に使われて問題視されてた」
「ああ、あったねぇそんなニュース。気持ち悪いやつもいたなと思ったよ」
葛城は懐かしそうだが、國臣が生まれる以前の出来事のため國臣は「そんなことがあったんですね」と頷く。
「職人の手にかかりゃ、身近な人の顔に作り替えるなんぞ簡単なことってことだ。可愛い子がいたから作っちゃおう、みたいにな」
「ことりちゃんが狙われた、ってことですか? 確かにかわいいですけど」
「可能性だけの話だ。今じゃあオルターエゴを改造しようとした途端、取り押さえられるし、職人も登録されているが……当時メンテナンスが入る前のオルターエゴがまだいるとしたら、改造できてしまうだろうな。かなり古いタイプのものだから、先生の弱い力でも壊せるかもしれない。ただ……可能性があまりにも重なりすぎている。仕組まれたとしか考えられねぇよ」
黙り込む。
小難しい話はわからなくても、今の状況は意図的に起こされたものだということはわかる。
ならば誰が起こしたのか。
そしてことりは何処へ消えたのか。
「葛城さんを襲ったのはことりちゃんに似たオルターエゴだとしても、ことりちゃんは何処に行ったんですか……?」
「さあな。死んでいてもおかしくねぇだろうよ」
「そんな……」
黒沼の言葉が突き刺さる。國臣も薄々気付いている。木島ことりが亡くなっているかもしれないことは。本心では認めたくないだけに、納得のいく説明を受けたいのだ。
「オルターエゴがデバイスを盗んだ理由、お前さんの探し人が見つからない理由もわかんねぇ。謎だらけだ」黒沼はお手上げというようにペンを置いた。
「見つからない、ねぇ……特異的体質からすれば不可視体質っていうのがあったけど、少年はその子のスコアについて知らないかい?」
「不可視? 聞いたことないですね。なんですかそれは」
「不可視体質はいくらチップを体内に持っていても、全ての機械がそれを認識しなくなる体質だ。探し人がそれだったなら、戸籍はあってもチップ認証不可の記録がつく」
「戸籍……彼女の名前を友達が市役所で調べてもらったみたいですけど、該当する人はいないらしいです」
「名前があれば、生年月日とか聞かれるからなあ。該当なしなら、そもそもその名前は存在しないことになるよ?」
「それってつまり……?」
國臣は唾を呑んで、葛城の次の言葉を待つ。
「木島ことりは最初から存在しない」
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