家督相続③

「誇りや自尊心が強いのは結構。それも若らしさのひとつ。殿には無い、ひとつの個性だとも思っております」

「むっ……」


「ですが、その個性が時に味方を不安にするのもご理解くだされ! 我々には政宗様の真意が曇って見えませぬ――!」


 真意。儂が今皆に隠している気持ち。

 阿呆が。そんなもの恥ずかしくて言えるわけがない。そもそもそんなもの言う必要なんてない。


 お前達は伊達一門衆といえど、数多くいる家臣のひとりに過ぎない。

 昔から世話になっている小十郎や乳母の喜多、学問の師である虎哉こさい坊主に話すならわかるが。


 そもそも儂は貴様等一門衆などほとんど信用していない。

 儂はこの右目が病に掛かってからか、人の心が、特に人の憎悪や疑心に敏感となった。お前達にはその心が見える。


 この事を知っているのは、この場だと小十郎と親父だけだ。儂は信用できる人間以外にこの事は話していない。

 どうせ他の奴に言ったところで信用なんてしないだろう。母上に言った時がそうだった。


 まるで害虫を見るような、内なる殺意のこもったあの目を儂は今でも鮮明に憶えている。

 人は生まれた時から好き嫌いが決まっている。親族でもだ。これは決して変える事の出来ない、人として生まれたさがなのだ。


 ……じゃがひとりだけ真っ白な、まっさらな人間を儂は知っている。


 愛姫。

 奴は儂に嫁いだ時は白黒ある人間だったが、あの一件以降黒の部分を隠さなくなった。


 未来の日ノ本から記憶を引き継いだ人間と言った時は、流石に儂は自分の右目を疑った。真っ白だとぬかすこの右目を。

 そんな馬鹿げた話があるか。誰がそんな話信用出来るか。


 儂はこの時初めて自分の心で人を疑った。

 髪の毛は桃色に変わり、正室らしい気品性が皆無で、何かと凶暴な女を、儂の右目は白だと言っているのだ。それは疑いたくもなる。


 まさか自分に人としての心があるのだと思ってもみなかった。

 虎哉坊主の影響で自身を唐の李克用りこくように習って独眼竜と名乗り、無理矢理演じてきた自分に、まだそんな心があったのだと気付かされた。


 そう思えば、儂は愛に救われたのかもしれない。

 こんな事を本人に言ったら、「はぁ? キモイんですけど……」とか「ニッヒッヒ。アンタが頭を下げるとか、超気持ちいいんだけどー!」とか言われそうだ。くそ、いくら考えてもこんな事しか浮かばないので絶対に言う事はないだろうが。


 ……だが、不思議な女だ。奴の無茶苦茶な行動はどこか人を惹き付ける。

 喜多や忍びのお打、左月や小次郎。文にも書いてあった立花夫妻と大友家。皆、愛に惹かれていく。


 儂には無い、人を惹かせる力。魅了する力。支配する力。

 女でなければ確実に一国を束ねる、将来そんな存在になっていたであろう。


 羨ましい。こんな感情も久しぶりだ。

 儂は小国の田村家の一人娘の才能を羨ましく思っているのだ。


 ……


 …………


 ………………


 嫉妬?

 儂は愛に嫉妬しているのか? 女である愛に嫉妬しているのか?


「くくっ」


 思わず声が漏れてしまった。

 自分の浅ましい姿に笑ってしまった。


 そう、儂は嫉妬していた。

 愛の持つ人を惹き付ける力に、当主の器の力に、儂は嫉妬していたのだ。そして認めないで、その感情を恥ずかしいという言い訳を付けて隠していたのだ。


 醜い。実に醜い生き物である。

 ここにいる者達が信じられないとか、右目がそう言っているとか、そんなものを理由に儂は現実から逃げていたのだ。


 真意が曇って見えない、か。確かにその通りだ。

 儂は都合の悪いものは全て心の奥に隠し、信用出来ないという理由だけで弱さを見せなかった。


 時にはそれは大事な事なのかもしれない。

 だが、それは同時に味方を惑わす諸刃の剣。当然だ、得体の知れない漢に誰が忠誠を誓いたいと思うだろうか。


「ふふっ。愚か、真愚かじゃなぁ小十郎……」

「……若?」


「儂はさっきまで、親父や小十郎、その他儂を信じる者だけが傍におれば良いと思っておった。信用出来ぬ者などいらん、蹴散らしてでも当主に上がるつもりでおったわ」


 じゃが、それでは駄目なのだ。反乱の火種は放っておけば確実に燃え広がる。

 天文の大乱。伊達の内紛。そもそも今の相馬との戦は元を辿ればこれが原因だ。儂等は今その因縁を断ち切ろうと、相馬と戦をしているのだ。


 儂は危うく同じ事を繰り返そうとしていたのかもしれない。

 親父の積み上げてきた信頼を、儂が再び崩そうとしていたのかもしれない。


 だから、伊達一門衆の重鎮である実元がこのような芝居を皆の前で打っているのだ。

 家督を継ぐ前に伊達一門衆を儂の力でまとめてもらいたい、そう思っているのだろう。


「ふっ」


 儂は実元に近づき、そっと肩に手を置いた。


「すまぬ。余計な心配を掛けたな、叔父上」

「……政宗様」


 涙を流しそうな安堵しきった顔で実元は儂を見る。

 儂の決意に応えるように、親父は刀を抜き、伊達一門衆の前に突きつける。


かあ――――つ‼」


 親父の裂帛れっぱくな叫びが陣中にこだまする。


「じゃそうじゃ、お前達。息子・政宗の決意、言葉にせんでもその魂、真の伊達一門であれば伝わったはずじゃ」


 もの凄い覇気だ。先程の一括で身体が震える。

 こんな漢が儂に家督を譲ろうとしているのだ。親父には悪いが本当にまだ早すぎると思う。しかし。


「皆も存じているように此度の戦、我ら伊達一族が起こした大きな過ちじゃ。それを今、我が息子・政宗がその連鎖を断ち切ろうと奮闘しておる」


 親父は続ける。


「政宗は祖父達が乱したこの奥州を、再びひとつにしようとしているのだ。こんな事を出来るのは政宗しか儂は知らん。次期当主を政宗にせず、誰を当主にする⁉」


 親父は更に続ける。


「勝利は目前じゃ! 手を抜くなど許さん! それでもまだ政宗を認めんと思う者は一歩前に出よっ!」


 親父は刀を地面に叩き付けた。鞭で叩いたような甲高い音が響く。


「過去の因縁と共にここで斬り捨ててくれる。……よいな?」

「はっ、ははぁ――――っ‼」


 これがまとめるという事だ。これが束ねるという事だ。

 と、訴える親父の背中がひと際大きく見え、これが当主なのかと再認識する。


 当然、奥州をまとめるなど簡単な話じゃない。親父すら出来なかった事を、夢を、儂は今託されている。


 なら、こんな所で足踏みなど出来ない。やっている場合ではない。

 何故ならひとり、既に天下取りのため九州で奮闘している馬鹿女がいる。信頼を得るに自らの命すらす馬鹿女がいる。


 親父だけではない。小十郎やその他の家臣達だけでもない。

 儂はその馬鹿女に背中をそっと押されたような気がしたのだった。

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