第4話(お題:温室)

 生首を抱いて実家に帰った。それだけ言うとまるで猟奇的な事件か何かのようだが、実家の人間は誰一人驚きもしない。そりゃそうだ、それをあたしに預けたのが何を隠そうこの実家なのだから。

「本当はね、あなたのお母さんが先に受け継ぐはずだったのだけど」

 そう言って、在りし日のばあちゃんはあたしを「彼」のいる夜の温室に案内したのだ。


「ああ、この温室。わたくし、ここが大好きでした」

「すまんね、盆正月くらいしか連れてきてやれなくて」

「いえいえ」

 ルネ・グラナートゥムと名乗るこの生首は吸血鬼で、だからこの温室にも夜にしか訪れることができない。太陽の光はじりじりと彼を蝕み、やがて灰にしてしまう。それなのに彼はこの温室を気に入り、あたしが帰るたびにここで夜のひとときを過ごしたいとねだる。

「ヨシコ……あなたのひいおばあさまですね、彼女がわたくしのために薔薇を植えてくださったのです。はじめは一株だったのがどんどん増えて、キヨが温室を受け継ぐ頃にはほとんどが薔薇でした」

 懐かしげに目を閉じて、ルネは微笑みながらそう話す。

「知ってるよ。てか何度目だその話」

「それは失礼……わたくしにとっては唯一の、外の空気でしたから」

「まあそうな」

 日中は外に出るわけにはいかないし、そうでなくてもこんな生首をさらけ出して歩けるような時間帯なんてない。あたしも新幹線に乗っている間はいつ誰かに怪しまれないか、荷物をあらためられはしないかと内心気が気でなかった。幸いルネはろくに呼吸ができなくても困らない体質のようで(吸血鬼って便利)、タオルでぐるぐるに包んでリュックに入れ、後ろ前でお腹の方に抱えて運んできたのだけど。正直まあまあ重かったな。


「あのさ……この温室、そのうち取り壊すかもって」

「えっ」

 あたしが電話で聞いた話を伝えると、ガーデンチェアに置かれたルネが、小さく声を上げる。

「薔薇の世話する人がいないからって。父さんは昔から腰があんまよくないし、何より父さんも叔母さんたちも忙しいから」

「そうですか……」

 それも仕方ありますまい、とだけ言って、ルネはそれきり黙ってしまった。ぼんやりと薔薇の木々を眺めるその表情は妙に穏やかで、少し悲しげに見える。あたしは沈黙がなんだか気まずくて、ふと前から気になっていた疑問を口にした。

「……なあ」

「なんでしょうか?」

「吸血鬼は愛を知ると薔薇の生気だけで生きられる、ってネットで見たんだけど、あれマジ?」

「……そんな話があるのですか?」

 初耳だったらしい。じゃあやっぱりないのか、そんな都合のいい話。

「本当なら、わたくしも吸血などせずとも生きながらえることができるのでしょうね……」

「……もし薔薇で生きられるなら、あんた死ぬ死ぬ言わなくなる?」

「どうでしょう」

だってね、とルネは柔らかく笑んだ。どこか諦念を含んだような、それでいて妙に蠱惑的にも見える不思議な笑みだった……あたしが単にそう感じただけだと言えばそうだが。

「わたくしのような卑しい化け物に、誰かを愛する資格などありませんから」

 ルネの言葉に、あたしはなんだか胸がぎゅっとなってしまった。

「そんなことないよ。あたしはルネのこと……気に、入ってるし。ばあちゃんたちだって父さんたちだって、あんたのこと色々気にかけてるよ」

「ああ、すみません。そんなつもりでは」

「生きててほしいよ、できれば」

「…………」

 あたしは泣きそうになるのを堪えて黙り込む。ルネも何も言わずにいた。表情はわからないが、きっと悲しい顔をしているのだろう。

 そのままあたしたちは、父さんが温室に迎えに来るまで一言も発さず、互いの顔も見ずにだだそこにいた。

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