第2話(お題:食事)

 うちの同居人は拒食症だ。……正確には、自分の意思で食事を拒んでいる状態。痩せるためではなく、緩やかに死ぬために。

「腹減ってるんだろ、意地張んなよ」

「いいえ。わたくしは何も口にしたくはありません」

 あえて表情を殺したような声色でそう言い放つ同居人。食事用の広いテーブルの上にクッションを敷き、そこに安置されたこの生首だけの男が、アタシの同居人たる「吸血鬼のルネ」だ。海外出身ではあるが、不思議なほどこちらの言葉を流暢に話せている。……まあ、生首が話せる時点で不思議もへったくれもありゃしないが。

「美味そうなエサが目の前にあんだろ」

「何を傲慢な。……いいえ、たとえどんなものをお出しいただいたとしても、わたくしの決意は固いのですから」

「そうかよ……んじゃま、いただきまーす」

 あたしはため息をつき、目の前の皿に載ったステーキにナイフを入れた。いい感じのレアだ。肉汁のしたたる大きな塊を頬張り、咀嚼して飲み下す。今夜のはやけに美味いな。

 またナイフを入れ、塊を切り離し、口に放り込み、よく味わって噛み締める。そして、飲み下す。それを何度か繰り返して、分厚いポンドステーキが半分もなくなった頃、気づけばルネはこちらを凝視していた。その喉がごくりと鳴ったのを、あたしは見逃さない。

「欲しいくせに、血」

「いいえ、わたくしは!」

「ふーん……」

 言いながらあたしは席を立ってキッチンへ向かう。流し台からさっき肉の筋を切った包丁を拾い上げて洗い、それを持ってルネの元へと戻ってきた。

「な、何をする気……」

 何かを察したルネが声を上げる。あたしはにやりと笑って、自分の左人差し指に包丁の刃をあてがった。すっと引けば、一瞬遅れて痛みと血液が滲み出る。ひ、と小さく息を飲む音に包丁を置いて向き直れば、ルネはあたしの指先……球を作り、今にも滴りそうな血の雫を見つめていた。

「ホラ、こっち来な」

 自力で動けない吸血鬼の頭を、あたしは右手で掴んで引き寄せる。

「や、やめ……んぶ」

 拒否の言葉にも耳を貸さず、あたしはルネの口に無理矢理指を突っ込んだ。頬裏の粘膜を弄び、歯列をなぞる。そして何より、抵抗し押し出そうと暴れる舌にたっぷりと、処女の生き血の味を刷り込んでやった。

 しばらくすると、観念したようにルネは大人しくなった。……といっても首だけでほとんど動けないので、あくまで口内の足掻きがおさまった、というだけの話だが。

「美味かったか」

「…………」

 手を一旦引いて、そう尋ねても返事はない。なんだか拗ねたような顔で目線をそらしている。あたしは肩をすくめる。

「もう、ご馳走様か? ん?」

「…………」

「んじゃ洗って手当てしてくるわ」


 ダイニングに戻る。「戻ったぞ」と声をかけると、ルネはじろりと私を睨み上げた。

「何だ、なんか文句あるのか」

「…………」

 クッションからずり落ちた生首を、よいしょ、と元の位置に置き直す……その間も、相変わらず恨みがましい瞳がこちらを見ていた。

「別に一回くらい、いいだろ。あんな量じゃ、たいした延命にもならんて」

「何故、無意味なこととわかってなさるのです」

 わたくしなどのために自分を傷つけないでください、と。ルネは小さく付け加えた。

「痛かったでしょうに」

「別に」

「…………」

「わかったわかった。無理強いしたのは悪かったよ」

 吸血鬼としての呪われた生を終えたい……そんなルネの意思を、あたしは認めていない。太陽光を浴びさせてくれという要求には絶対に応えないし、隙あらば血液を摂取させようと誘惑している。でもさ。

「さっきのは単純に、あんたと一緒に食事がしたかったんだ」

 だってずっと一人で食べてんだもん。あたしがそう言うと、ルネは口を開いて何か言いかけた。が、結局また押し黙ってしまった。

「その、なんだ。……ごめんな」

「えっ」

「あんたの言う、このまま死にたいだのなんだのは阻止したいってのが本音だけど……あんたとは個人として、良好な関係でいたい、から」

「……いえ、別に……その」

 またルネは何かを言いかけてやめてしまい、しばし気まずい沈黙が流れる。やがて、根負けしたように先に口を開いたのはルネだった。

「まあ、たまになら……お付き合いするのもやぶさかではありません、が」

「え、本当に?」

 意外な申し出に、あたしは目を丸くする。

「たまにですよ、たまに! 延命として意味をなさない範囲でお願いしますからね」

「フン、なんだかんだで美味かったくせにさ。あたしの血」

「否定はしませんが……しかし、あくまでわたくしの好意ですからね。欲にかられたわけではないというのはご理解いただきたい」

「はいはい」

 事実、ルネはそういう奴だ。お人好しというか情に絆されやすいというか……あたしが彼の死についての願いを聞き入れないことで、恨み言を言われたことはない。どころか、あたしが「あんたがいなくなったら寂しいよ」と繰り返すたびに、彼は少し悲しそうな顔で謝罪をする。

 だけど、そんな心優しさにつけ込んででも、あたしは彼を生かしたい。

「今日のところは……ご馳走様でした」

「よろしい」

 いいよ。いつか絶対に我慢できなくなるようにしてやる。どんな手を使ってでもあんたを生への渇望でいっぱいにして、それで、いつかその身体も全部綺麗に再生させてやるよ。

 あたしは上機嫌で、すっかり冷めたステーキを切り分け口に運ぶ。やっぱりいい飯は美味い、そういうもんだ。

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