123話 第9幕 仕組まれた半刻前の悪意 ①


6月25日 15時42分


 6月の太陽は、まだまだ陰りを見せず石畳に照りつけている。江ノ島へ続く参道は、歓声を上げながら写真を撮ったり、土産物店を覗いたりする高校生やカップルで溢れていた。


 神江島神社かみえしまじんじゃでの殺人事件に関わる私には、その長閑のどかな光景が救いに思える。できるなら、私自身ももう少しだけ観光客気分を味わっていたい。


──でも、うん。そうだよ、もしかしたら──


 先ほどのカフェ「トキノト」での新たな発見により、私はわずかに希望の光が見えた気がしていた。


 あの骨スプーンと、カタログに記された神江島虎之助かみえしまとらのすけの名前。この2つが、神江島の複雑な事件解決への糸口となるかもしれない──


「……ミカさん、この手土産気に入ってくれるかな?」


 私は先ほどのカフェ「トキノト」からテイクアウトしてきたペーパーバッグに顔を寄せ、シナモンドーナツのほのかな甘い香りを思い切り吸い込む。


 青銅の鳥居から、江ノえのしまの住人が暮らしている昔懐かしい雰囲気の商店街がある小道を通り、その先にある神江島神社へ進む。


「あれ……」


 神社の入り口近くまで来て、私は足を止めた。


 捜査員が7、8人、一人の男性に尋問をしている。好奇心旺盛な地元の住人たちがそれを取り囲んでいる。


「何かあったのかな?」


 私は気になり、さらに近づいてみた。


「あ……!」


 捜査員たちに尋問されているのは、なんと神江島家の長男・洋介ようすけだった。


「──何を隠そうとしたんだ?」


 屈強な捜査員が、洋介を厳しく問い詰めている。彼の手に持っている袋からは、本やノート、さらには何やら難解そうな書物が覗いていた。


「ちょっと、いやだな……これはただの私物ですよ。そんなに大騒ぎしなくても」


 洋介は冷静を装っているが、困惑が隠しきれず瞳をあちこち泳がせている。


 周囲の野次馬たちの厳しい視線も相まって、神社の門前には張りつめた空気が漂っていた。


「この本はどうやら、毒物関係の本に見えるが……これはどういうことです?」


 捜査員の声に、周囲の視線が洋介に集まる。


「これは学生時代に使っていた本ですよ、獣医学部だからね。何も悪いことはしていない。ちょっと片づけをしていただけだ」


 捜査員は無言でじっと洋介の一挙手一投足を見極めているようだ。


 私はそのやり取りを息を詰めて見守っていたが、洋介の軽率な行動に内心呆れていた。


──片づけって……?よりによってこのタイミングはないでしょ、洋介さん…!


 洋介の視線があたりを彷徨さまよい、私を捉えた。彼はバツの悪い感じで頭を掻いて見せる。


「──探偵さん、参ったよ。また警察に見つかってしまった」


 捜査員と野次馬たちの刺すような視線が一斉にこちらを向き、私は首をすくめながら2歩3歩、洋介へ近寄る。


「洋介さん……どうしてよりによってまた……その本をどうしようとしたの?」


 私は彼の手に持っている専門書に目を向けた。


「……いや、その。部屋にただいるのも退屈だったので、本とか整理していただけなんだ。でもまずかったかな」


 洋介は目を伏せて力なく答える。


「とりあえず訳はあなたの部屋で聞きましょう。部屋も調べさせて頂きたい、ご同行願えますか?」


 捜査員が洋介を促し、連れて行こうとする。洋介は私に助けを求めるように憂いた視線を送ってくる。


 しかしこの状況では庇うこともできない。逮捕されるわけではないので警察の指示に従うしかない。


 私は「素直についていって…!」と目配せする。


 彼は諦めたように肩を落とし、捜査員と共に神江島家の奥へ入って行った。その後ろ姿を見送りながら複雑な思いで考えた。


「洋介さん、毒物の本をなんでこのタイミングで……」


 退屈だったので整理するために本を持ち出すところだった──その言葉は本当なのだろうか? あまりにも軽率すぎる。私はため息をついて首を左右に振った。


 その時、背後から声が上がった。


「悲しいことですねぇ。結局、兄さんが犯人だったと言うことなんですね」


 覚えのある軽薄そうな声に振り向くと、やはり神江島家の次男・雅治まさはるだった。周囲の人々を意識した、いかにも悲しそうな顔と大仰なジェスチャーで首を振って見せる。


 私はジッと彼の顔を見た。表情は確かに悲しみに満ちていたが、その瞳の奥には、計算高い狡猾な光が宿っていた。


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