115話 第6幕 置き去りの絆 ⑤

6月24日 23時05分


 先ほどまで降り続いていた雨が止んだ。


 私は江ノ島えのしまにある旅館にミカと宿をとり1人部屋で休んでいたが、神江島かみえしまの家族間のやり取りで毒気を貰ったのか、なかなか身体が休まらない。


 部屋のガラス戸から見上げると、雲の隙間から薄明かりの月が浮かんでいるのが見える。


 戸を少しだけ開けてみる。夕方まで人で溢れかえっていた石畳の参道はひっそりと静まり返っている。雨に濡れた石畳は月明かりに青白く照らされ、江ノ島神社えのしまじんじゃへと伸びていた。


 その光景は、まるでどこか異世界へ続く道のようだ。私は大きく息を吐く。


下弦かげんの月……明日は晴れてくれるかな?」


 ふと、少しこの辺りを散歩したくなる。毒気を抜くには月光浴も良いかもしれない。


 温泉上がりの浴衣を脱ぎ、Tシャツとスカートに着替え外に出た。雨上がりの湿気はあるが、涼しい風が吹き渡り心地良い。


 江ノ島神社の方はさすがに怖いので、ヨットハーバーの方へ、自販機で買ったジャスミン茶を片手にプラプラと歩く。


 雨上がりの街灯に薄霧がかかりぼぉっと光る様はまるで夢の中にいるようだ。


 周りを見回し、誰もいないのを確認すると、思いっきり伸びをし、そして空を見上げて大きく叫んだ。


「わぁぁぁぁぁ!!」


 一度やってみたかったことだ。よどんだ気持ちが少しばかり発散されたように思う。


 ──ここで会ったばかりの双子の巫女、火龍かりゅうが死んだ。


──またどうぞ遊びにいらしてくださいね。あなたたちのような人が来てくれると、本当に嬉しいわ──


 神社からの帰り際に見送ってくれた彼女の言葉……あの時の笑顔を忘れることができない。


 そして神江島神社の宮司ぐうじであり、神江島家の当主の龍子りゅうこ。圧倒的なオーラを誇る彼女の言葉が、私に重くのしかかる。


──ルミさん、あなたのチカラが頼りです。この名門神江島の一大事。どうぞ宜しくお願いします。


 ミカ曰く、私がここに拉致された理由は、龍子直々の指名だそうだ。会ったこともなかった私に一体なぜ?


 そもそも、あの神江島家からは得体の知れない何かを感じる。


 どこからか見られているような、支配されているような威圧感。


 少なくとも私の感性は、今日の家族のやりとりにはとてもついていけない。大切な家族が亡くなった当日に、あれはない……


 龍子をはじめ、あの家族全員、私の目には火龍の死を悲しんでいるようにはとても見えないのだ。


 ちょっとあなたたち、家族でしょ?!と、何度彼らの前で言いたかったことか……


 私の中に溜まった毒気の正体はこれである。ジャスミン茶を口に含むと一気に飲み干した。


 ふぅ。気分転換にもなったし、明日も早い、部屋に帰ろう。そう思ったその時。


「??」


 何かが聞こえる。私は耳を澄ましその音に集中した。


「──笛の音?」


 そうだ、これは笛の音だ。何処かから微かに聞こえてくる。


 淀みのない澄んだ音。しかしどこか切なく悲しい音色だ。


「こんな夜中に?」


 この音はどこかで聞いたような……どこだろう?


 そうだ、これは先日の伝承会でんしょうかいの神楽で聞いた音。


 双子の巫女の1人が笛を奏でていた── 思い出した途端、私の全身に鳥肌が立つ。


「えっ、火龍さん?」


  やだやだ怖い……!!


──だけど。


 そう思いながらも好奇心が湧き上がる。笛の音は神江島の方から聞こえるようだ。


 ちょっとだけ……


  私は生唾を飲み込み、恐る恐る神社に足を向けた。誰もいないこの雰囲気がそうさせているのか?それとも何かに誘われているのか?


──神社の鳥居は俗世と神域の境目だと、本で読んだ事がある。


 なるほど夜の鳥居。それも月の下で浮かび上がるその姿は、神域への入口に相応しい。


  笛の音は、鳥居の奥へ奥へと私を誘うように切なく鳴り響く。── 一体誰が吹いているのか?


 私はそそうが無いよう鳥居の前で深々とお辞儀をして、注意深く目を細めながら境内に入って行った。


  夕方とは違い、さすがに境内には捜査員の姿はない。ここにいるのはおそらく、笛の主と私だけ。


 どうやら笛の音は、伝承会が開かれた舞殿の方から聞こえてくるようだ。それこそ、火龍が横笛を吹いていた場所だ。


 ここからだと草木が邪魔をして見えないが、ボォっと鈍い光が視線の先から漏れている。


「やだ。ちょっと……やっぱり、火龍さん??」


  怖がりのくせにこの好奇心が押さえられないせいで、昔から何度も自分をピンチに追い込んできた。


 そう言えば谷中の公園で中山浩司なかやまこうじの死体を見つけた時も、こんな月の夜だった。


 さすがに死体はないはずだ。そう思いながらも、私の心臓はドキドキと大きな音を立てていた。


 とにかく、覗くだけ……覗いたらすぐに引き返す。


 心の中で自分自身に言い聞かせ、音を立てないように静かに歩く。


  笛の音がより切なく鮮明に聞こえてくる。私は大きな木の角を曲がった。


「!!」


  目の前に、昨日も訪れた舞殿が現れた。月の明かりに照らされ、浮かび上がるように静かに佇んでいた。


「わぁ……なに?」


 その四方には灯された提灯ちょうちんが優しく揺れ、淡い光が漂うように舞殿を包み込んでいる。


 提灯の光が織り成す光景は、現実のものとは思えないほど美しい。


 微かな霧が漂う中、提灯の光が柔らかく拡散し、まるで神域の入口に立っているかのような錯覚を覚えた。


 その舞殿の中央に、巫女の衣装をまとったシルエットがスッと浮かび上がる。


「!!」


 衣装の白と赤が提灯の灯りに反射し、まるで幽玄の世界から現れた神さまのような美しさだ。


「横笛を吹いている……やっぱり火龍……さん?あの世から戻ってきた?」


 シルエットは静かに動き、横笛の音がその場を鎮めるよう、厳かに響き渡る。


 私はその美しく神秘的な光景に引き寄せられ、知らず知らずのうちに舞殿へと足を進めていた。


 心臓が強く打ちつけ、胸の奥から込み上げる感情が私を突き動かす。


 気がつくと、私は舞殿のすぐ前に立っていた。魅せられるとはこのことを言うのだろう。


 提灯の光に浮かぶそのシルエットは、まるで神話の中の登場人物のように見え、月明かりと提灯の光に包まれて神秘的なオーラを放っていた。


 黒髪が夜風に揺れ、まるで亡霊のように静かに怪しく舞っている。


 そして横笛から紡ぎ出される音色は、まるで心の奥底から溢れ出る悲しみを映し出すように切なく、優しく響き渡る。


「あれは……」


 細く長い指が笛の穴を押さえるたびに、その音色はより一層深く響き、心に沁み込むようだ。


 それは何か大切なものを伝えようとしているような演奏だった。


 その時、提灯の灯りが彼女の顔が照らし出される。彼女の涙が頬を伝い、月明かりにキラリと輝く。


「──乙龍おりゅうさん」


 思わず私は呟いた。


 その声に気が付いたのか、笛の音が止む。


「はっ!誰かそこにいるのですか?!」


 乙龍が、気配に気づき私を見るとビシッと手刀を斜め下にふる。


 何か見てはいけないものを見た気がして、思わず口を右手で塞ぐが後の祭りだ。


「その痛々しい包帯は……あなた、ルミさん?」


 乙龍はそう言うと、袖で涙を拭きながら舞殿から降りてくる。私は気まずさを感じながらも、涙を隠す彼女の仕草にホッとした。


 先ほどの火龍の部屋でのやり取りとは違う、チカラが抜けた彼女の素の優しい一面を見た気がしたからだ。


「すみません……散歩していたら笛の音が聞こえたもので……」


「あ。あぁ、そうだったのですね、こんな夜遅くに、ごめんなさい」


「あ、いえ……とても清らかで心が洗われるような、そんな気持ちで……気がついたらここにいたって感じで」           


「そうですか……それなら良いですが……お恥ずかしい所を見られてしまいました」


 乙龍は笛を持ったまま、袖で口を隠し恐縮する。私はその横笛をチラリと見やる。


「その笛は……火龍さんのものですか?」


 その言葉に、彼女の綺麗に整った眉が動いた。


「よくご存知で……えぇ、これは妹のもので……その、彼女の魂を鎮めていたのです……」


 彼女の弱々しい言葉を聞き、胸が痛む。彼女の最愛の妹の死を悼む気持ちがひしひしと伝わってきて、言葉にならない感情がこみ上げてくる。


「火龍さんとは、仲が良かったのですか?」


「ええ、もちろん。私たちは双子ですが性格も違っていた。ただ、心はいつも一緒だったと思います」


「そうなんですね……良いなぁ」


「もちろん子供の頃はいつも一緒、そして成人して神江島の長女としての重圧も理解してくれる唯一の存在でした……それが……それがどうして──?」


 彼女は再び袖で口元を隠しながら肩を振るわせる。


 やはり、乙龍の厳しい態度は名門の看板を背負う長女としての責任感ゆえなのだろう。しかし、彼女の唯一の理解者がいなくなってしまった。


 ──兄妹のいない私には彼女の心情を心から理解することは難しいけど……でも、大切な人を失った気持ちは同じはず……!!


「──私には双子の姉も妹もいないけど、2人で1人のチームみたいな感じだったのかな?火龍さんも素敵なお姉さんがいて幸せだったと思います」


 儚げな梅雨の月の下、淡い光が彼女の涙で濡れた頬を優しく照らし、微笑みが一層美しく浮かび上がっていた。


「火龍さんはきっと、今も乙龍さんの側で見守っていると思います」


 そう言うと、私は乙龍と共に静かに夜空を見上げた。


 薄雲の合間に見え隠れする月の光が、私たちの心を少しずつ癒していくように感じられた。


──第7幕「消えゆく朝霧の庭」へ続く。

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