113話 第6幕 置き去りの絆 ③

6月24日 18時45分


 私はこわごわ辺りを見回す。その場にいたのはミカと、神江島かみえしま家長女の乙龍おりゅう、そしてその夫の虎之助とらのすけの3人だった。


 何が起こったのかわからず、私はその場に座り込んだままぽかんと三人を見上げる。


 乙龍は心配そうに私を見つめていた。


「──あなた、大丈夫?顔色が真っ青よ」


 虎之助も眉を寄せて私を見守っている。しかしその後の言葉は、私の心に余計な恐怖を注ぎ込んだ。


「何か怖いモノでも見たのかな?今朝の件もあるが、この部屋は元々からね、可哀想に……」


「ほぅ、?化け猫か何か?」


 ミカが茶化すように猫の真似をして尋ねる。虎之助は気を悪くした様子もなく、辺りを見回しながら真顔で答える。


「ここは神聖な神社の敷地内ですからね、何か出ても悪いモノではない……と思いたいが……」


 すると乙龍は厳しい眼差しとともに手刀をビシッと夫の胸にあて、たしなめた。


「──あなた、怯えている女性を怖がらせるのはおよしなさい、例えそれが正真正銘の事実であってもよ」


 あぁ、ここはやっぱり出るのか……フォローしてくれているはずの乙龍の言葉が一番怖い……


 ミカはそのやり取りを聞き流しながら私に手を差し出した。


「立てるかいお姫さま、そろそろ起きて仕事にとりかかってくれるかい?」


 乙龍と虎之助は不思議そうな顔で私を見る。この場違いな小娘に何ができるのだろう?と言いたげに。


 ミカは2人へニヤリと笑って見せる。


「こう見えても、彼女は凄腕の名探偵でね。私の片腕なんですよ。心配ご無用──」


 今回は確かに「こう見えても」だ……私はミカの手を借りて立ち上がると、咳払いをして髪を撫で付ける。


「どうもありがとう。ちょっと気分が悪くなって座っていただけで……ところでミカさん、なぜ化け猫──?」


 ミカは片眉を上げて答えた。


「──いや、この部屋のドアを開けた時、視界の隅に猫の影のようなものが見えてね」


 猫の影……私の心臓が止まりそうになる。


 ミカは乙龍と虎之助の方をチラリと見ながら話を続ける。


「まぁ、ここは魑魅魍魎ちみもうりょう何が出ても不思議じゃない場所のようだね」


 乙龍が、ミカの言葉に口をギュッと結び眉をひそめて怪訝そうな顔を見せる。


「──猫のシルエット……ですか?」


 私はマユのシルエットを思い起こしていた。暗闇の中で、何故か目だけがネコのように爛々らんらんと浮かび上がっていたのだ──あれは夢だったのだろうか?


 ミカが両手を腰にあてて乙龍と虎之助に向き直る。


「さて、姫もいるしここで仕切り直しましょうか。雅治まさはるさんが仕事で少し遅れるそうですが、始めましょう」


「──ここでって、この火龍の部屋で……ですか?」


 乙龍の問いかけに、ミカはキレのある笑みを見せて頷く。


「そう、火龍さんも聞いているかもしれませんしね。ここでお話を聞かせていただきます」


 乙龍はその言葉を聞くと、明らかに不快な顔を見せて黙り込む。


「さて、昨夜の誕生会の様子は他の捜査員にお話しされたと思いますがね。お母様からちょっと伺いましたが、引継ぎの儀の件について、もう少しお聞かせ願えますか?」


「──引継ぎの儀ですか…わかりました」


 虎之助が頷いて話し出そうとすると、再び乙龍がビシッと手刀を斜め下に振り夫を制し、ミカの前に出る。


 二十代半ば?いや、私より少し上くらいだろうか?昨日の巫女の衣装も似合っていたが、今日の紺色のワンピースも彼女の品と凛とした雰囲気によく似合っている。


 日本人形のような顔立ちの中で、鋭い瞳が臆することなく真っ直ぐにミカを見据えていた。


「もう他の警察の方には散々お話ししたことですけれど。家族が開いてくれた私たちの誕生パーティーは、終始和やかに進んでいました」


「ほう、和やかにね……」


ミカは乙龍の眼光の奥を覗くように目を細めゆっくりと頷く。


「テーブルには火龍と私の好きなローストビーフや茶碗蒸しなど、母の手料理と皆が持ち寄った一品ずつを並べて……美味しいねとみんな笑顔で……それが……それが、こんなことになるなんて……あぁ、火龍」


 話しているうち、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出る。彼女に初めて会う人は、何か演技くさい仰々しさを感じるかもしれない。が、本人はいたって本気なのだろう。


 火龍はたった一人の双子の妹。想像するしかないが……もう1人の自分が死んでしまったような感じかもしれない。


 乙龍は虎之助から渡されたハンカチを受け取ると、涙を拭き鼻を思いきりかんで彼に返す。


 そして再びミカをぐっと睨みつけ、話を続ける。


「刑事さん、もしや……私たち家族の中に犯人がいると思っているのでしょうか? 確かに引き継ぎの儀の話し合いでは険悪なムードにはなりましたけれど……」


 ミカは乙龍の問いかけに目を丸くして見せる。


「犯人?いえいえ、とんでもない」


 と大袈裟に否定のジェスチャーをして話を続ける。乙龍と似た仰々しさだが、ミカの態度は乙龍と違って、あまり信用できるものではない。


「まぁ、単に状況を把握したいだけです。捜査員には引継ぎの儀の話はされてないのですよね?そこを話していただかないと困るものでね、それだけで良いので知りたいのです」


「引き継ぎの儀……それは……母から絶対に話すなと止められていた内密の話でしたので……」


 乙龍は俯き、素直に秘密を口に出す。


「話さなかったことは罪になるのですか?懲役とか?メディアに報道されるとか?」


「ははは、それはありません。話したくなければ黙秘権もありますし。しかしまぁ、なるべく捜査にはご協力頂けると嬉しいですが。お母様からも頼まれていますしね」


 ミカの「お母様」の言葉が効いたのか、乙龍はミカの視線から顔を背けるようにして渋々頷く。


 ミカは彼女へ慇懃無礼いんぎんぶれいに一礼すると、私を見てニヤリとする。


「で、姫は何か、2人に聞きたいことはないのかい」


「え?私??」


 突然振らないで欲しい!2人のやり取りをぼんやりと聞いていたので、私は焦る。


「えっと……そうだ、そういえば」


 気になることを思いだし、乙龍に質問してみる。


「えっと、誕生会は和やかに行われたということですけど…その様子を写真か何かで撮られましたか?」


「当然至極よ、捜査員にも渡してるわ」


 鋭い瞳を光らせて乙龍が即答し、私に対しても睨みを効かせる。


 龍子ほどではないが、この迫力は母親譲りなのかもしれない。根は優しい人だとは思うが家族が疑われていることが気に入らないのだろう。


 見れば、彼女の瞳にはちょっとした威嚇いかくと怒りが燃えていた。


 乙龍は大きく息を吐くと虎之助にチラリと視線を向け、彼に話すように促した。虎之助は一瞬、彼女の方を見て頷き、話し始めた。


「乙龍の言うとおり、乙龍と火龍くんの誕生日会は本当に和やかでした。私たちは沢山の花束やサプライズのプレゼントを用意し、その場の様子をたくさんの写真に収めました。後でじっくり見ていただければ」


 虎之助がスマホの画面に昨日の誕生日会の写真を呼び出し、スワイプして見せてくれた。


 私はそのスマホを受け取り、乙龍と亡くなった火龍の2人が花束やケーキに囲まれ、顔を見合わせて微笑む姿を見つめた。


 その優しい時間を見守る龍子の満足げな表情も捉えられていた。


 羨ましいほど、幸せそうな光景だ……


 私は複雑な思いで、それらの写真を転送して貰う。そして再び2人に質問した。


「本当に楽しそうな会ですね。それなのに、なぜそんなにも険悪な空気になってしまったのでしょうか?」


「──それは、家族全員の利害の不一致ってやつかなぁ。悲しいことです」


 突然背後のドアが開き、場にそぐわない声が響きわたった。

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