111話 第6幕 置き去りの絆 ①
6月24日 18時11分
屋敷全体が中庭をぐるりと取り囲んでいる作りだ。この家は上空から見ると綺麗な口の字型に見えるだろう。
中庭は手入れのゆき届いた日本庭園風で、池に浮かぶ薄紅色の蓮の花が、一面グレーの情景の美しい差し色となっていた。
私たちは薄暗い廊下を進む。歩くたびに木の擦れる音がギシギシと響き渡る。
──私は、先ほどの龍子の言葉に戸惑いと大きな重圧を感じていた。
「ミカさん……私はなぜこの名家の危機を託されているの?」
ミカは私のプレッシャーになど興味がないようで、しきりに辺りの様子を確認している。
「さてねぇ、それにしても龍子も意地が悪い。意味ありげな顔つきはするが、話しませんって態度だね」
「だって私は昨日まで、この神社と神江島家の存在も知らなかったんだよ?龍子さん、私の何を知ってるんだろう?やっぱりタイムリープのことかな──」
「──念のためもう一度言っておくが、私は話してないからね」
「はぁ……なんだろう?ミカさん。私のチカラって言ったら、アレしかないよね?」
「姫にはアレしかないねぇ。それとも灰色の脳細胞を使って名推理を披露できるとでも言うのかい?」
「また意地悪な言い方だなぁ……人がプレッシャーで苦しんでる時に」
「プレッシャー?
「いや、谷中の事件の時は、ミカさんや警察からの疑いを晴らすために必死だったし……稲村ヶ崎の時だって母や
「イヤに絡むねぇ、プレッシャーとか意味ないさ。姫には他の誰も真似できないないチカラがあるじゃないか」
「意味ないって、他人事だなぁ……隠し扉も探さないといけないのに」
「──」
突然立ち止まったミカを見上げると、キレのある目を細めて前方を見つめている。
「??」
「──姫……前見な」
ミカは私の肩を叩き、アゴで薄暗い廊下の先を指す。
そこには、長身長髪の男性が佇んで窓の外を眺めていた。視線の先には中庭を挟んで
「ふふん、あれが名門神江島家の長男坊、
男性をよく見ると、その端正な顔立ちと憂いを帯びた瞳に見覚えがあった。
「──あれ?あの人、あの
先日ユッキーといた時に石祠の前で出会った男性だ。彼は私たちの声に気づき、こちらを向いて軽く頭を下げる。
「あ、警察の方?すみません、自室に戻りますね」
無表情のままボソッと言い置いて部屋に戻ろうとする洋介の肩を、ミカが軽く叩く。
「まぁまぁ、ちょっとだけ話を聞かせてもらえませんか?」
洋介は警戒するように身を引いてミカを見つめる。
「──何でしょうか?」
「──ええと、長男の洋介さんでしたよね?」
「はい……」
ミカは警察手帳を見せ、そして深々と一礼する。
「この度は突然のご不幸でさぞかし驚かれたとは思います。自主的な自室での待機にも感謝します。犯人は必ず捕まえて見せますので、引き続き捜査へのご協力をお願いします」
洋介は呆気に取られたように頷くと、ふと私の方を見て目を細める。
「あなたも……警察の方なんですか?」
「えっ……えっと」
私は洋介に問われ、改めて自分の姿を見下ろす。
写真喫茶店ニケから半ば拉致されて来た私は、包帯で巻かれた左腕を首から吊り、薄いオレンジ色のニットにデニム地のスカートという格好。どう見ても警察には見えるわけがない。
ミカは笑いを堪える表情で、洋介の肩をさらに叩く。
「まぁまぁ、こう見えても凄腕の探偵でね。私の片腕なんですよ。心配ご無用」
「こう見えても……」
ミカの言葉に私はモヤっとする気持ちを飲み込み、調子をあわせて洋介へニッコリ頷いて見せる。
洋介はよくわからないといった顔で頷き返す。そして、雨にけぶる中庭の向こうの火龍の部屋へ視線を戻し、眉をひそめる。
「──火龍のことは他の警察の方に散々話しましたよ……もういいでしょう」
彼がそっけなく言うとミカはニヤリとして片眉を上げた。
「それは聞いています。でも一つだけ、確認させてもらいたいことがあるんですよ」
洋介の眉がさらに深くひそめられた。
「──確認って?」
「いえね、昨夜の誕生会の後のことですけどね。お母様が間近に迫った【引き継ぎの儀】についての話をされた時、洋介さんの目から見てどんな雰囲気だったか気になりまして」
洋介の表情は一瞬、驚きと混乱で歪む。
「──もしかして……引き継ぎの儀について、母があなたたちに話したのですか?」
「はい、お母様から内々にお話を聞きました。他の捜査員には秘密のようですがね」
ミカはニヤリと笑った。
「──ったく、自分で秘密にしろって言っておいて」
と洋介は呟き、深いため息を吐いた。
そして私たちに顔を向ける。その瞳は深い憂いと困惑で満ちていた。
外の雨が強まって来たのか、窓に当たる雨音が大きく響き渡り、遠くで雷鳴が聞こえる。
「──もともと俺は、次期当主とか引き継ぎの儀とか、あの青い
洋介の言葉に、ミカは眉を動かし微かに同情的な表情を見せる。
「なるほど、吐き気がするような会議だったと?」
「あれは……誰だって吐き気がするでしょう」
ミカは手帳に洋介の言葉を書き込んでいる。
「火龍さんは、引き継ぎの儀には立候補していなかったと聞いていますが?」
「──あいつはこの家の家督とか多分興味なかったから。興味があるのは……」
「あるのは?」
間髪入れずミカが鋭く質問する。
洋介はミカの質問に素直に答えるのに抵抗を感じたのか、一瞬沈黙してから逆に聞き返す。
「──火龍の本業については調べたんですか?」
「いえ……捜査員は聞いていると思いますが、私はまだ」
ミカが首を傾げながら素直に答える。
「そうですか。火龍の本業は……古美術商──」
洋介は絞り出すように言うと口を閉ざし、そして私をチラリと見て言い捨てた。
「後はそこの凄腕の探偵さんが推理すれば良いでしょう。母も公にできないことを話すくらいだから、余程の腕なんだろう。俺は何も興味ない……」
言い終わると、洋介は素早く自室に入りドアを閉めてしまった。
取り残された私は、釈然としないままその場に立ち尽くした。
先日石祠で出会った洋介を思い浮かべてみる。そうすると、今の言葉や態度に何故かわからないが違和感を覚えた。
「……」
暫くの沈黙の後、ミカを振り向くと、彼女は手帳を広げペンを構えたまま、私の顔を覗き込むように見ていた。
「え?何??」
「何って、凄腕の名探偵とやらの推理を聞いてみようと思ってね」
「え???」
「何を驚いてるんだい?姫は凄腕の名探偵だろう?」
「何言って…そんな、急に言われても……」
「急に言われなかったら、何か思い浮かぶのかい?」
「もう、また嫌味だなぁ……」
私はこの神江島家のために自分に何ができるのか、大きな重圧を感じている。それを見透かすようにミカはキレのある笑みを見せ、
「何度も言うけどね、変なプレッシャーなんか現場では無意味さ」
と、手に持ったペンで私の頭を軽く叩く。
「姫は探偵小説に出て来るような、灰色の脳細胞を使うタイプじゃないだろう?例のチカラで、仏になった火龍の部屋や誕生会の様子を見てくれば、一発で事件解決だと思うが……違うかい?」
「それはそうだけど…タイムリープするにしてもここは人の目も沢山あるし、狙った時間へ跳ぶには範囲が狭すぎるよ。そもそも希望の時間ぴったりに飛べることも少ないから……」
「あれかい?
私は頷き、二眼カメラの入った赤いリュックに目をやる。
タイムリープで一番怖いのは、過去の自分と鉢合わせすることだ。マユの話では、過去の自分が私を私と認識してしまったら、私はこの世から消えてしまうらしい。
ミカは軽く息を吐き、ヤレヤレといったポーズをとる。私はミカに念を押す。
「せめて、どこに何時頃跳ぶのが良いかわかるまでは待ってほしいな」
「なるほどねぇ、必殺技の出番は最後の最後、クライマックスで!って感じかねぇ、プロレスラーも姫には敵わないね」
「プロレスラーって、一応うら若き乙女に向かってどんな例えよ!」
ミカはニヤリと笑うと、中庭を挟んだ向かいの廊下を指差し、
「しょうがない、じゃ、とりあえずセオリー通り始めよう。手分けをしようじゃないか、お姫様」
とスタイリッシュに片手を腰に添える。
「私は長女の
「うん、わかった」
私はミカの言葉に大きく頷く。
ニケで拉致されてからここまで、落ち着いて状況を考える余裕がなかった。とりあえず、自分のペースで見て回れるのはありがたい。
私はミカと別れて、まずは火龍が亡くなった部屋へと向かった。
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