110話 第5幕 託された願いの重さ ⑤


6月24日 17時38分


 ミカと私は応接間に案内され、この家の当主である神江島龍子かみえしまりゅうこに話を聞くことになった。


 この応接間は、和のモダンな雰囲気を取り入れた落ち着いた空間で、無駄な灯りはできる限り排除されているようだ。


 観賞魚の水槽が放つ青い光が部屋全体に微妙な陰影を描き出し、間接照明と相まって、静かなゆったりとした空間を作り出していた。


 龍子は先日と同じく、毅然きぜんとした貫禄溢れる佇まいで私たちを見据えている。鋭い眼光とその存在感とが、部屋に静かな圧力を与えていた。


「刑事さん、今回は、この私のわがままを聞いてくださり感謝しかありません」


 龍子は礼儀正しくお辞儀をすると、そのまま話を続けた。


「今朝起こったことについては、今まで他の捜査員の方々にもお話ししてきましたが…改めて貴女方お二人に大事な話をさせて頂きます。どうぞお座りください」


 私たちは龍子の向かい側に腰かける。使い込まれた牛革のソファーに身体が深く沈み、私は慌てて足を突っ張って体勢を立て直す。


 龍子は私たちが座るのを見届けると、私の目をじっと見てよく響く声で問いかける。


「──あなたは先日の伝承会にいらしていましたよね?」


 龍子の目力と声に、私は反射的にソファーから立ち上がり、カクカクと一礼して答える。


「は、はい。神楽坂かぐらざかで探偵をしていますルミと言います」


「そうでしたよね。ルミさん。そうでした、どうぞよろしく頼みます、楽にしてお座りください」


 その凛とした表情と振る舞いに私は驚かされた。この人は本当に今朝、自分の娘を亡くした母親なのだろうか?


 名家の当主としてのプライドなのかはわからないが、私にはとても真似ができないと思った。龍子は静かに話を進める。


「実は、昨日は乙龍おりゅう火龍かりゅう……2人の娘の誕生日でした。我が神江島では、毎年家族の誕生日には全員で集まってお祝いをすることになっています」


 ミカは長い足を組んで座り、龍子の話をメモしていたが、少し驚いたように顔を上げた。


「ほぅ、それはそれは随分とアットホームですね、確か亡くなった火龍さんの他に三人の兄妹がいらっしゃるとかで……」


「はい、長男の洋介ようすけ・長女の乙龍・次男の雅治まさはる、そして乙龍の婿の虎之助とらのすけです。誕生会は、神江島家の結束を深めるためにも必要で欠かせない行事なのです」


「もう皆さん20歳も越えてますよね、ちゃんと集まるものなのですか?」


 龍子はかすかな揶揄やゆを含んだミカの問いに、迷いのない表情でキッパリと答える。


「我が神江島の一族は、家族の誕生会に欠席したことは今まで一度たりともありません。これは神江島の決まり事なのです」


 彼女の迫力に、ついなるほどと頷くが、私の脳裏に先日の火龍と次男の雅治のやり取りがよぎる。


──仲の良いきょうだいだとはとても思えなかったけど……


 ミカはさも感心したように頷いて見せ、メモに書き込む。


「いやそれは、今どき素晴らしい家族愛……で、誕生会では何か気になることなどありませんでしたか?」


「まさにその件です、お二人をお呼びしたのは……」


 龍子は少し躊躇ためらうように目を閉じる。そして大きく息を吐いた後、意を決したように目を開いて私たちを見る。


 水槽の光が反射しているのだろうか、龍子の瞳が青白く光っていた。


「これからお話しすることは、神江島の名誉に関わること。先ほどの捜査員の方たちには話しておりません」


 ミカはキレのある笑みを浮かべてボールペンを胸ポケットにしまい、ぐっと身を乗り出す。


「──ほう、私どもにはお話しして下さると。何でしょうね?」


 龍子もわずかではあるがミカの方に顔を寄せる。


「刑事さん、改めてお願いしますが、他の捜査員の方たちにはくれぐれも内密にして頂きたいのです」


 ミカは自身の胸に手を当て龍子を見る。


「──ご安心を、どうぞお話しください」


 その言葉に、龍子は表情を変えることなく静かに頷く。鑑賞魚の水槽が発する間接的な光がゆらゆらと揺れ、二人の顔の上に陰影を作り出す。


 その時。


「……あ、まただ…!」


 私の鼻がさっき玄関で嗅いだのと同じ微かな香りをとらえた。


 何だろう……これは、ちょっと……


 その香りに意識をあわせ身をゆだねていると、ふっと気が遠くなりそうになり、私はハッとして頭を振る。


 ──ぼーっとしてちゃダメダメ、集中して聞かないと──!


 って、あっ……


 龍子が目を細め、私の様子を観察するように見ていた。目と目が合うとミカに視線を移し口を開く。


「──実は近々、神江島では、大事な儀式を内密に執り行うことになっています。これは当家代々の決まりごとで、公にはしておりません──」


「と、いうと?」


「この神江島の家督かとくを、子供に譲るための儀式──すなわち【引き継ぎの儀】です」


 龍子は厳かに言い切った。


 私は伝承会の時の龍子の言葉を思い出す。


──当神社の神事は全て身内でやらせていただいておりますが、彼らにはまだまだ自覚が足りなくて……大事な儀式も近いというのに──


「あ、もしかして先日おっしゃっていた大事な儀式というのがそれですか?」


「──その通りです、ルミさん」


 龍子は私の言葉に深く頷く。


「昨日は乙龍と火龍の誕生日。家族が一堂に会する日でしたので、然るべきタイミングであろうと思い、私は間近に迫った引き継ぎの儀の話を始めたのです」


 水槽の光が作る模様が龍子の背後にある壁に映り、ゆっくりと蠢いていた。彼女は静かに語り続けた。


「引き継ぎの儀の主役、つまり次期当主が誰になるのか……それが私たち家族の間での大きな問題だったのです」


 私は事態の重大さに緊張を隠せず、思わず口を開いた。


「次期当主を決めることは、それほど大きな争いを引き起こすものなのですか?」


 龍子の瞳は私を見つめてはいるが、同時にどこか遠くを見ているようでもあった。


「そうですね、ルミさん。それは非常に重要な問題です。神江島の家督を継ぐということは、神社の宮司も、あの青い曼荼羅まんだらも引き継ぐと言うこと。

けれどあの子たちは、残念ですがその意味も、事の重大性もわかっていません──それは私の責任でもあります」


 ミカが軽く首を傾げて呟く。


「言い争いにでもなりましたかね?」


 龍子は眉間に深い皺を刻み、再び目を閉じて大きく息を吐く。


「──お恥ずかしい話ですが……」


 そう言うと、言葉を選ぶように一呼吸おいて話を続ける。


「誕生会は和やかな楽しい空気のまま終わりました。引き継ぎの話をしたのはその余韻が残る食後でしたが……家族の意見が決裂し、なんとも険悪な雰囲気となったのです」


「ほぅ、楽しいパーティーが水の泡ってやつですか……」


「はい、前々から子供たちの結束が乱れているのは薄々感じてはいたのですが……」


 暫し部屋の中には静寂が流れた。観賞魚の水槽のモーターと泡の音だけが聞こえる。


 神職の家族間で起きた衝突。それは、神秘的で厳かな神社のイメージとは全く異なる光景を否応なく想像させた。


「──なるほど。で、全員が次期当主に名乗りをあげたってことですかね?」


 ミカの問いに龍子は首を横に振る。


「いえ、名乗りを挙げたのは、長女の乙龍と次男の雅治の2人です。亡くなった火龍は、乙龍を応援していたようです」


「5人のうち2人が立候補したと。で、長男の洋介さんと虎之助さんはどうだったのですか?」


 ミカの質問に、龍子は咳払いをしてから、いささかか細い声で答える。


「本当のことを申しますと……私は今でも家督は長男の洋介にと思っています。ただ、家族間での合議に依るのが代々の決まりごと。あの子は…洋介は、元々争いごとが好きではない子でしたので……

虎之助さんは、娘婿と言う立場から、乙龍の応援をしていましたね」


 ミカは腕を組み、話をまとめる。


「ふふん、そうすると、引き継ぎレースは長女乙龍さんと次男雅治さんの対決だったが、実は3対1で圧倒的に雅治さんが不利だったと言う構図ですね」


 龍子は頷くと、一点を見つめながらその後の出来事を語った。


「その夜、私たちは各自の部屋に戻って休みました。そして明け方、私は神社の勤めのために起き出し、火龍の部屋の前を通りかかりました。しかし、部屋から何の音も聞こえないことに気づきました。通常、彼女も勤めのために起き出しているはずで、あの時間には何かしら音が聞こえるものなのですが...…」


 龍子は話を続けた。


「数度、声を掛けてみましたが、火龍から返事はありませんでした。扉に手をかけると、内側から鍵が掛けられていました。私は、何かがおかしいと直感したのです」


 その時、ミカが静かに、ただ一言だけ呟いた。


「密室……」


 その言葉に、私は自分の顔がすっと青ざめるのがわかった。龍子は構わず続けた。


「私はすぐに虎之助に連絡を取りました。彼がすぐに駆けつけて、鍵をこじ開けてくれたのですが……」


 そこで、龍子の声は一瞬途切れた。


「──部屋の中で、火龍は倒れていました……」


 龍子の沈痛な告白に、部屋の中には再び静寂が訪れた。水槽の水の反射が天井にも独特の模様を描いていた。


 その模様は龍子の心情を物語ってるかのようだ。亡くなった娘を思う母としての哀しみと、当主として毅然と振る舞う龍子の強さ。それらを象徴するかのように揺らめいては消えていった。


 ミカは、時計を見るとおもむろにソファーから立ち上がり、衣服を調える。


「──息子さんや娘さんたち1人1人と話せますか?」


 龍子は背筋を伸ばし、凛とした態度で私たちを見る。


「子供たちには、警察に協力するようにと強く伝えております。皆、自室で待機していると思いますので……どうぞご自由に」


 火龍の死因が特定されていない今、無理に拘束する権限は警察にはないようで、任意の事情聴取ということになるのだろう。


 龍子は暫しの沈黙のあと、不意に私の右手を取って両手で強く握りしめ、深々と頭を下げた。


「──ルミさん、あなたのが頼りです。公に出来ない秘密の儀を目前に控えてのこの失態。これはこの名門神江島の一大事。どうぞよろしくお願いします」


 私の心は揺さぶられ混乱する。


「……何故、私なんですか? それに私のチカラって……昨日初めて会ったのに何故、こんな私を?」


 龍子は何も言わず真摯しんしな眼差しで私を見つめ、ゆっくりと首を横に振る。


「……」

 

 戸惑いが心を掻き乱す。龍子のこの手の確かな温かさと、私を見る目には揺るぎない信頼を感じる。


 何故なのだろう?全くわからない。


 しかしそれが、私にとって大きなプレッシャーになったことは間違いない……



──第6幕「置き去りの絆」へ続く。

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