106話 第5幕 託された願いの重さ ①
6月22日 17時03分
「わぁ、のりこママのポスターがまた新しくなってる!」
翌日、再びフラリと
壁一面に、大人可愛いポージングをきめた浴衣姿ののりこママがぎっしり貼られている。しっとりした藍色の浴衣姿とその艶のある大きな瞳を、背景の紫陽花が引き立たせ、これもまた常連のおじさんたちのハートを
「梅雨のスペシャルバージョンよ、どう?やっぱり紫陽花と浴衣は最高のマッチングね♪」
薄紫色の着物を着たのりこママは私にウインクしてポスターを眺め、我ながら綺麗だわぁ、色っぽいわぁと独り言を言っている。
今日も奥のボックスシートに陣取っているシャイな常連客2人──コンちゃんとタケちゃんよ、とのりこママが囁く──が、ポスターをチラッと盗み見てはポッと顔を赤らめてコクコクと頷く。
そっとあたりを伺うが、今日はグイグイ来る方の常連客2人は不在のようで、私は少しホッとしてカウンターに腰かける。
「さてルミちゃん、今日は何飲む?」
「えっと、何にしようかな」
「こんな梅雨時は気持ちがパッと明るくなるような?【梅雨の晴れ間の太陽みたいなあの人の笑顔をシャンパンで割ったカクテル】はどう?」
「……のりこママ、すごいネーミングセンス」
「まぁ、たった今考えたからね。それとも【夏が待ちきれない2人のドキがムネムネ☆青い珊瑚礁カクテル】はどう?」
「……えっと、前に飲んだのと同じもので」
「あぁ、【秘めた情熱の炎を刺激するクランベリーサワー】ね、わかったわ」
「……あ!」
クランベリーサワーという言葉を聞いて、突然私の頭に、プルプルのみずみずしい唇と豊満なボディーがポンッと浮かんだ。刑事ミカの情報屋ヒデ、いやヒデ子ママである。
「そうだ、のりこママ!ヒデ子ママって知ってる?」
カウンターの中でお酒の瓶に手を伸ばしていたのりこママは、怪訝な顔で振り向く。
「え?誰?」
「ヒデ子ママ。
「やだ知らないわよ、そんな人。ちょっとルミちゃん、あんまり変な人とかかわらない方がいいわよ」
「ううん、大丈夫。まぁ一度は
「え、何?簀巻き??」
「ううん、何でもない。それよりその人、のりこママのこと、レジェンドノンタンって言ってすごく崇拝していたよ」
「えーと、お店の名前はなんていったっけ?」
「ピンクハート。のりこママのクランベリーサワーを大事な宝物って言って棚に飾ってた」
「ああピンクハートさんね、それなら知ってるわよ♪……で、そのママの名前は何だっけ?」
「………あぁ、ヒデ子ママ……残念だけど完全に片想いだね……まぁノンタンはみんなのレジェンドみたいだから仕方ないよ…」
私は一人で納得して頷き、ちょうど目の前に置かれた深紅の飲み物に口を付けながら、心の中でそっとヒデ子ママの笑顔にエールを送った。
「ところでルミちゃん、前のサワー占いでは青と赤が出たんだったわね?そろそろ人生変わるような出来事が起こった頃じゃない?」
「それが、全然実感ないんだけど……」
「あらそう?そうね、もうそこまで運命の日は近づいてるはず……最近、ルミちゃんの周りに気になる人はいないの?」
気になる人……私の頭に今度は、
そんな私を見てのりこママが目を細めほくそ笑んでいる。
「ルミちゃん、さては思い当たる人との出逢いがあったのね?確か、前の占いでは、燃え盛る炎の中で若い男性とルミちゃんが寄り添っていたんだったわね?」
「いや、ないから……」
「本当?燃え盛る炎よ?」
「だから、燃え盛る炎なんて……って、えっ!!」
今度こそ私の頭に、先日の
「ええぇ……それじゃ、炎の中で私と寄り添ってた男性って……菊池のこと?!」
「あら、菊池くん? やっぱりもう運命の出逢いがあったんじゃないの!で、で、どんな人?」
カウンターに頬杖をついたのりこママが目を輝かせて身を乗り出している。
奥のボックスシートのコンちゃんタケちゃんも、素知らぬ風を装いながらもわくわくした顔で聞き耳を立てている。
「いやそれが、残念ながら知性とかワイルドとかロマンチックとかはカケラもなくて──あぁでも、菊池との出会いである意味運命は大きく変わったわけだから、確かに占いの通りなのかも……?残念ながら同志認定だしな……」
最後の方はしどろもどろで呟きながらグラスのマドラーをヤケ気味にぐるぐる回し、私はサワーを一気に半分ほどあおる。
「あらあらルミちゃん、そんなヤケな飲み方しちゃダメよ、こう見えて強いお酒なんだから。それに今日も占いしに来たんでしょ?」
「いや何だか……赤い色占いの結果がわかったら力が抜けちゃって……運命には逆らえないことが良くわかったよ…」
私の言葉に笑いかけていたのりこママの表情が固まった。そしてゆっくりと、私のグラスに半分ほど残ったサワーを指差した。
「……何言ってるのよルミちゃん、あなたはまだ何一つわかっていないわよ……ほら、見てごらんなさい」
「え?」
見ると、綺麗な深紅だったそれは、グラスの底から立ち昇ってきたほの暗い青色にゆっくりと飲み込まれ、しかし混ざり合わずに渦を巻き、やがて不思議な模様を作っていた。
「これって……えぇ?」
そう、それはまるで、つい昨日の夢で見た幾何学模様、そして神江島神社の伝承会で見た──
「青い曼荼羅……」
のりこママがじっとその幾何学模様を見ながら眉根を寄せ、珍しく深刻な顔をして考え込んでいる。
「──ルミちゃん、あなたちょっと気を付けた方がいいわ。じきにあまり良くない流れに巻き込まれるかもしれない」
「良くない流れ……??」
「っていうより…はっきり言うと、不吉な兆候が出ているの。今日はもう帰った方がいいかもね。そして、信頼できる人への報告や相談を怠らないこと。そうすれば身の危険は回避できるはずよ」
「……うん、わかった。ありがとう、のりこママ」
いつもアニへの報告や相談を後回しにしている私には耳の痛い忠告だ。昨日の報告も兼ねて、なるべく早く「ニケ」へ行こうと思った。
「ご馳走さまでした、また来るね」
私は赤いリュックを取り上げてカウンター席から立ち上がる。のりこママはニコリと微笑んでドアまで見送ってくれる。
「次回はぜひ、スナック薄幸名物の「薄幸タイム」も見て行ってね。いろいろと初心者マークのルミちゃんにはいい人生勉強になるわよ」
「あは、それは怖いもの見たさで興味あるなぁ…身の危険が去ったら見に来ようかな」
ドアを開けながらチラッと奥のボックスシートを見ると、薄幸タイムの話が出た途端そわそわし出したコンちゃんタケちゃんが立ち上がり、それぞれやたら気合いの入ったウォーミングアップを始めていた。
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