104話 第4幕 2人の想い、私の想い。②


6月21日 18時45分


 ミカと私は、黙ったまま病院のエレベーターに向かった。足音が静かな病院のロビーに響き渡る。


 エレベーターのドアが閉まる音を聞きながら、私は深くため息をついた。


 壁に取り付けられた鏡に映る自分の姿を見つめるとふと思う。


 純子じゅんこの気持ちを考えると胸が締めつけられる。彼女もこれから、突然消えてしまった大切な人を探し続ける日々を送るのであろう。


 彼女の為にも真相を究明したい。私はうつむいて、自由なほうの手を強く握りしめた。


 六階に着くと、ミカは万莉まりの部屋がある方へ先に立って歩いていく。その隙のない後ろ姿を追いながら、先日、万莉が目覚めた時にお見舞いに来た時のことを思い返す。


……無事で良かった……』


 信じられないことだが、万莉はマユを知っているようだ。それもかなり親しい様子で、マユちゃんと呼んでいる。万莉に、マユとどんな関係なのかを聞けると良いのだが……


 あの満月の夜、松本貴之まつもとたかゆきは倒れる瞬間、裏切られたと言っていた。裏切ったのはマユ?それでは、松本に恐ろしい犯行を指図したのも彼女?


──わからない。


「──あの、ルミさんですよね?」


 不意に可愛らしい声に呼ばれ、私は我に返ってそちらを振り向いた。そこには制服姿の少女が花を持って立っていた。


「あ、あなたは確か万莉ちゃんのお友達の……」


「はい陽奈ひなです、覚えててくれて嬉しい」

 

 犯行日当日、稲村ヶ崎いなむらがさきに行った時に、万莉の家の場所を教えてくれた女子高生三人組の一人だ。


「陽奈ちゃん、万莉ちゃんのお見舞い?」


「え、あ、はい。だけど部屋に入れてくれなくて……お花だけ渡していつも帰る感じで」


 陽奈は、万莉の部屋の前に立っている警官をチラリと盗み見て複雑な表情をしている。


七海ななみ由依ゆいも心配してて……万莉にメッセージを送っても返事もないし、何も出来なくて……」


 私はミカの方に顔を向ける。


「ミカさん、なんとかならない?女子高生一人、どう見ても警戒するような子じゃないよ」


「何だい……面倒な事はゴメ……」


 私はミカに怪我をした方の腕を見せ、恨めしそうな顔をして見せる。


「──そこでそれを使うのかい?」


 ミカは大きく息を吐くと、人差し指でこめかみを掻いた。あの満月の夜、自分のおおざっぱな作戦が原因で私の腕を怪我させた件については、ミカなりに負い目を感じているらしい。


 「まぁ姫には助けられてるからね、仕方ないね。そこで待ってな……」


 ミカは少々キレのない笑顔で私を見ると、万莉の部屋の前に立つ警官二人の方へ歩いて行った。


 何やら警官二人に詰め寄っているようだ。過酷な訓練と現場で鍛えられた屈強な警官二人より、ミカの方が大きく見えるのは何故だろう?


 ミカは振り返ると、キレのある笑みを取り戻して私たちを手招きする。私と陽奈は、顔を見合わせて頷き合った。


「良かったじゃないか、時間は10分と短いけどね」


「充分だよ、ありがとうミカさん」


 病室の扉を開けると、そこは以前と変わらない静寂に包まれた簡素な空間だった。


 窓から射し込む柔らかな夕陽の光が室内を穏やかに照らし、純子が飾ったらしい薄紫色の紫陽花あじさいが、ささやかながらも彩りを添えている。


 部屋の隅には小さなテーブルと椅子がひとつ。

万莉はこちらに背を向けて座り、窓の外を眺めていた。


 こちらを振り向いて私たちの姿を認めると、彼女はゆっくりと微笑んだ。


「万莉、元気だった?良かった……心配してたんだよ!」


 陽奈は万莉のもとへ駆け寄り、彼女の手を握りしめた。万莉は一瞬戸惑った顔を見せた後、再び笑顔になる。しかしその笑顔は今にも消えそうにはかなげで、その目は虚ろだ。


「──あ、ありがとう……


「……万莉?何かあったの?万莉?」


 違和感を感じた陽奈が問いかけるも、万莉は誰だかわからないようで目を泳がせ困惑している。しかし相手を気遣って笑顔を見せているようだ。


 陽奈はそっと万莉の手を離し、肩を落として首を振る。


 私は彼女の肩にそっと手を乗せた。


「陽奈ちゃん、こんな様子でショックかもしれないけど……これでも前に来た時よりは、少し回復しているよ」


「え…」


「でもお医者さんが言うには、彼女の心はまだ遠くにあるんだって……」


 心を閉ざした万莉の姿が、私たちの心に影を落とした。


「──そんな……」


 陽奈は絞り出されるような声を上げ、目に涙を溜めて万莉に話しかける。


「万莉!しっかりしてよ!」


 陽奈は強く握った彼女の手を軽く振る。


「万莉、あんなに家族のことを一生懸命考えていたじゃない。自分が頑張って、きっとまた仲のいい家族にしてみせるって……」


 陽奈の目から涙がこぼれた。万莉は困惑した様子でおどおどと首を振る。それでも弱々しく笑顔を作ろうとしているのが痛々しい。


「──なかのよいかぞく?……ごめんなさい。わからない……」


 2人の姿を見ていた私はその時、陽奈の言葉にハッとする。


「陽奈ちゃん──万莉ちゃんの家族って、仲が悪かったの?」


 陽奈は振り返り、涙を拭きながら答える。


「……万莉のお父さんは、私たちが知る限りでは本当にひどい人だった」


「お父さんが?どんなふうに酷かったんだろう?」


「万莉は……お父さんのせいで家族がばらばらになったって、いつも言ってた」


 陽奈は万莉の方に向き直り、彼女の手をそっと握る。万莉は戸惑って身を引き身体を固くしている。2人の様子を見ながら私は陽奈に訊ねる。


「何があったの?」


「ごめんなさい、万莉は詳しいことは私たちには……」


「陽奈ちゃんがわかっていることだけでも教えてくれるかな?私、真相を調べているの」


 私がそう言うと陽奈は、握った万莉の手を見つめて小さく頷いた。


「──万莉のお父さんは、家に他の人がいるのが気に入らないみたいだった……遊びに行くたびに他の部屋から怒鳴り声が……」


「怒鳴り声?万莉ちゃんが怒られてた?」


「はい、だから万莉も家に来て欲しくなかったみたいで」


 それを聞いて、私は菊池の話を思い出した。万莉の父はおそらく、あの家にある、家族を引き連れて引っ越してきたのだ。


 けれど、秘密の扉の存在を誰かに知られるのではないかと常に警戒していた。菊池はあの家に近づいただけで殴られたとも言っていた。


「陽奈ちゃん、嫌なことを思い出させてごめんね。万莉ちゃんのお父さんから暴力を受けたことはない?」


 私が訊ねると、陽奈は首を振った。


「私たちは無事だった。お父さんが怒鳴る前に帰るようにと、万莉が気遣って守ってくれたから。でも、万莉は……」


「万莉ちゃんは……お父さんから何かされていたの?」


「……多分。体育の授業の時、七海が万莉の左肩にアザがあるのを見たって言ってた」


 陽奈の話を聞きながら、私の胸がズキンと痛んだ。


左肩にアザ??もしかして、万莉ちゃんは、お父さんからDVを受けていた……



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