103話 第4幕 2人の想い、私の想い。①
6月21日 18時41分
夕暮れ時の柔らかな光が、病院のロビーの大きな窓からそっと差し込んでいる。
「おや、姫と女神様の到着だね。江ノ
刑事ミカは病院のロビーで、そのスタイリッシュなプロポーションが際立つ細身の黒スーツ姿で腕を組み、キレのある笑顔で出迎えてくれた。
彼女は
ここは先日私が入院していた、
「ミカさん…万莉ちゃんの状態は?」
私の問いに、ミカは首を振って見せる。
「さてね、医師の話だと、事件のショックからくる昏睡状態が続いたけど、今は意識は回復しているようだ。ただ……重度の記憶障害があり、会話も思うようにはできないし、自ら歩くのも難しいとのことだよ」
「そう…」
熱心に彼女の看病をしていた万莉の叔父の
この事実は
ミカはロビーの待合用の椅子に座り、私たちに缶コーヒーを投げてよこすと、向かいの席に座るように促す。その時、ユッキーのスマホが鳴った。
「あ、アニさんから電話だ…ルミちゃん、ちょっとだけ席外すね」
ユッキーは私の缶コーヒーの蓋を開けてくれてから、手を振って病院の外に出て行く。
ミカも缶コーヒーの蓋を開けながら時計を眺める。
「まだ万莉の叔母が部屋にいるようだから、もう少しここで待ってくれるかい?」
私はミカの言葉に驚き、缶コーヒーを落としそうになって慌てて片手で持ち直す。
「叔母って、もしかして松本貴之の?」
「そう、あの松本貴之の奥さんだよ、
私は、昏睡状態の万莉を夫の貴之と一緒に毎日熱心に看病していた姿を思い出す。
「今、万莉の部屋にいるの?」
ミカはニヤリと笑いコーヒーをテーブルに置いた後、腕を組み私に顔を寄せる。
「姫が心配する気持ちはわかるさ。あの満月の夜の姫の大活躍で貴之は死んだ。もちろん純子も取り調べを受けたが、彼女自身は何も知らない、シロってやつさ……」
ミカは私の表情を楽しむように話を続ける。
「一家惨殺の犯行日は、夫婦で仲良く
「純子さんは、旦那さんが犯人って知っているの?」
「それは取り調べたのだから、彼女には話したさ」
「それで、どうだったの?」
「──さてねぇ、本人に聞いてみたらどうだい?」
ミカはエレベーターの方を指差す。そちらに目を向けると、警官に促されて松本純子が歩いてくるのが見えた。
私は思わず立ち上がる。純子も私を見るなり、驚いた顔で駆け寄ってきた。
「あ、あなたはあの時の……」
「純子さん、ご無沙汰しています」
「その腕はどうしたの?もう元気になったと聞いていたけれど」
彼女は、私が探偵で万莉や夫の貴之と関わっていた事は知らないようだ。もちろんこの腕の怪我が、自分の夫が切り付けたものだとは夢にも思わないだろう。
万莉の叔母・純子は五十代半ばくらいの小柄な女性で、顔には人の良さが滲み出ているが、疲れているせいか以前よりもかなり老けて見える。
「万莉のお見舞いでいらっしゃったの?」
「はい、一度万莉ちゃんが目覚めてからお見舞いには来たのですけど……今日はこの刑事さんのコネでお見舞いにまた来ることが出来ました」
「それは万莉も喜ぶわ、万莉の同級生たちは中に入れてもらえないようなのでね、万莉も寂しがっているみたい。顔見せてあげてね」
純子は微笑む。私は思い切って貴之のことを聞いてみる。
「あの、言いづらいのですが旦那さまの件……」
今まで微笑んでいた純子の顔がゆっくりと青ざめていく。彼女はミカの方に顔を向ける。
「警察の方から聞いたのですか?」
ミカは椅子に座ったまま純子に謝るポーズをとる。
「申し訳ないですね、彼女も旦那様にはお会いしているもので。取り調べの際に真実をお話しさせて頂きました」
ミカが空気を読み、それなりの受け答えをしてくれた。
純子は暫く沈黙した後に大きく息を吐き、私たちの顔を正面から見る。
「それはしょうがないわよね……ただね、これだけは分かって欲しいの。警察の話で聞いている貴之……貴之さんはね、ニセモノだと私は思うの」
彼女は一ミリの疑いもなく自分の言ったことを信じている様子で、真っ直ぐに私を見つめる。
「少なくとも金沢の温泉に行く前の貴之さんは、違っていた。彼は本当に優しい人だったから……」
「ニセモノ?旦那さまについて、何か旅行中にそう感じることがあったのですか?」
「そう、姿形は確かに貴之さんでした。ただ、中身がまるで違う……舌打ちなんかする人じゃなかったし、食べ物を食べる時の仕草も、私を見つめる目も……私との会話も避けているようだったし」
ミカは目をキラリと光らせ、テーブルに置いてあったコーヒーを飲み干すと、純子の言葉をメモしている。
純子は私たちを見てこう言った。
「だからね、死んだって聞かされているけど、本物の貴之さんは絶対に生きてると思うの……絶対──」
私は、身体を小刻みに震わせながらも気丈に振る舞う純子の手を片手で握る。
「──純子さんがそう思うのであれば、私もそう思います。絶対にどこかで生きていますよ。警察がどう言おうと私も信じます」
純子も、私の手を両手で握り返し笑顔で応える。
「ありがとうね、絶対あの人は生きてます。あなたは本当に優しい人ね。万莉がね……待っているから行ってあげて」
ミカは立ち上がり、純子に一礼するとエレベーターに向かった。私もその後に続く。
振り返ると、純子はこちらを見つめて何度もお辞儀を繰り返していた──
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