99話 第3幕 秘密が交差する場所にて ②


6月21日 16時42分


 私たちは、万莉まりの赤いベランダの家へ続く、二股の道に立っていた。道の手前には黄色い立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、行く手を阻んでいる。


 鬱蒼うっそうとした樹木に囲まれたこの場所は、まるで時間が止まったかのように静まり返っている。辺りは薄暗く、ひんやりとした空気が肌に触れると一瞬ゾクッとする。不気味な気が私たちの周りを包み込む。


 思えばこの場所で、職務質問されそうに大きな荷物を担いだ菊池きくちに出会ったのだった……


 私は赤いリュックから、ペットボトルの水を取り出し、半分ほどゴクゴクと一気に飲む。そしてしばらく深呼吸をしながら息を整えた。


 ノックアウトされたボクサーのように膝をついて大きく肩で呼吸をしている菊池を、軽く睨んで訊ねる。


「このテープは、あの事件の時からこうなっているの?」


「……そうだ……これ自体は単なる警察の仕業だけどな……」


 ユッキーは、物珍しげにそのテープをつまみ、楽しそうに自撮りを始める。


「わぁ、ルミちゃん!これって、刑事もののドラマとかで見るよね、はじめて見たよ。すごいね!……でも菊池クン、私たちに見せたかったのって、このテープなの?」


「ふぅ……この立ち入り禁止のテープを見せたいために、こんな場所に来るものか!……見て貰いたいものはこの先にある」


「それって、このテープをくぐって、まだ先に行くってこと?」


「安心しろ、あとほんの少しこの中に入るだけだ」


「え、大丈夫なの?……もう、ちょっと待ってよ!少しは説明してくれないかな?!」


 私が叫ぶのにも構わず、菊池はすっくと立ち上がると、テープをくぐり、再びズンズンと先に行ってしまう。


 ユッキーと私は一瞬顔を見合わせるが、ここはついていくしかないだろう……。意を決してテープをくぐり抜け、二股の左の道をさらに奥に進む。


 前日の雨で足元の土は湿っており、一歩進むごとに靴が軽く沈む。


 木々の葉が頭上でささやくような音を立て、周囲の静寂を一層際立たせている。前へ進むごとに周りはさらに薄暗くなり、木々は踊るように曲がりくねり、不気味な雰囲気が増してゆく。


 やがて、菊池は背中を見せたまま口を開いた。


「まぁ、聞くが良い。同志も知っての通り我々は、あの藤沢ふじさわの大火災から、俺の生きる執念によって奇跡的な脱出を果たした」


「生きる執念……」


「そうだ……あの日自宅に帰った俺は、今回のワイルドな体験を活かした動画の構想を練っていたんだ」


 すでに彼の言葉に突っ込む所は沢山あるが、ややこしくなるので大人しく頷きながら歩き続ける。


「その晩だ……突然、枕元に設置していた空間変異測定装置が反応して警報が鳴ったんだ──この意味がわかるか?」


 「あの日の晩??」


 そのワードに、私は思わず声をあげる。記憶の中であの夜の出来事が鮮明に蘇る。


 あの晩とは──片瀬海岸かたせかいがんのホテルに菊池を置いたまま、病院の屋上で松本貴之まつもとたかゆきと対峙した日だ。


「それって、菊池さんの機械がどこかの空間の歪みに反応したってこと?」


 私は足を早め、したり顔で頷く菊池と肩を並べる。彼の表情には揺るぎない自信がみなぎっていた。


「そう、アレだ、前にあっただろう。あのビデオの中に映っていたアレだ」


 その言葉に、菊池が撮影していた、万莉の家族が惨殺されたあの日のビデオを思い出す。


 そう──突然青白いサークルが出現し、犯人の松本がその中から出てきたのだ。


 そこには確かに、空間の歪みが発生していることを示す画面のチラつき、電磁ノイズが映っていた。その映像が頭の中で再生され、胸の奥に重く圧し掛かるような感覚が広がる。


「じゃ、私が鎌倉かまくらの病院にいた同時刻に、ここに何者かが青白い光を使って出て来たってことなの?」


「そうだ、さすがは同志だ。実はキミからあの赤いベランダの家のビデオ撮影を引き受けた時、こんなこともあろうかと空間の歪みも計測していたのだよ。あの時と全く同じモノを今回も計測したんだ」


 私は左手の包帯を見やり、あの日のことを思い出そうとする。


「反応があったのは、ここの先の赤いベランダのあの家……例の事件以降ここら辺は警察が封鎖していた」


 何が楽しいのか、気分の乗ったらしい菊池は恍惚こうこつの表情を浮かべ、両手を広げながらズンズン歩く。 


「さぁ、ここから本題だ。翌朝、俺はさっきの立ち入り禁止のテープの場所に行ってみた。何が起こってたかわかるかな?」


「さあ、何が起こったの?」


「あの場所にいつも交代で立っていた警察が──いなくなっていたんだ。さっきもいなかっただろう、変だと思わないか?」


 ユッキーは鬱蒼うっそうと木々の生い茂った細道を、息一つ切らさず軽やかに歩きながら口を開く。


「その時は、朝早くだったからじゃないのかな?」


「いや、違う。あの殺人事件以降、あそこには24時間警官が立っていたんだ。何しろ残忍な犯行だったしな……キミが入院してた時は、それこそ捜査員だらけだったよ」


 彼の言葉に、私は不安をおぼえた。まるで警察が何かを知っていて、敢えてその場を離れたかのように聞こえる。


「そっか。そう言われると、何か変だよね……」


「ルミちゃんも知ってるでしょ?あの一家惨殺事件、まだ表向きは犯人捕まってないし、松本のことも看病疲れの過労死ってことになってるよね?」


──そう言えば、事実改変がなされる以前、「ニケ」でミカが気になる事を言っていた……


 そうさ、稲村ヶ崎いなむらがさきの一家殺害の件。テレビや週刊誌だけかと思っていたら、ウチらにも上から圧力がきているようで、これ以上あの家を調べられないみたいなんだよ──


 ただし、事実改変された後、この会話自体がなかったことになっているが。


「警察も何かあるのかな?」


「とにかく、大事なのはこれからだ。話すよりもこの道の先にある光景を見て欲しい。俺があの朝見た光景を……多分、危険はない」


「……多分?ちょっと嫌な予感がするんだけど……」


 その時、突然菊池は立ち止まり、道端の草むらに身を潜めると私たちを手招きした。


「あれだ、見えるか?あそこに立っている奴らを……!」



6月21日 16時53分

 

 私とユッキーは、菊池にならって草むらに身を隠し、菊池が指差した先を見ようと目を細める。遠くの人影はぼんやりとしていて細部まではわからないが、確かに人がいる。


「人がいるね。あれは、警察??」


 私はじっくりと目を凝らす。かなり体格の良い男性が2人、人形のようにをして立っている。その姿勢は不自然に固く、微動だにしない。


 まるで──誰かにコントロールされているかのような?


「え?!違う……あれは?」


 その2人は警察の制服姿ではなかった……2人の男たちの身につけている服は──


「えっ?あれは、黒スーツ……!!」


 私は目を見開き思わず声を上げる。ユッキーと菊池が私の口を同時に塞いだ。


──以前、菊池を襲った黒スーツが、なぜここに?! 

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