98話 第3幕 秘密が交差する場所にて ①


6月21日 16時16分


「久しぶりだな、多次元の使者──いや、同志よ!」


 駅の改札を抜けた瞬間、歓待の大声を浴びせかけられた。滑舌の悪いその声に振り向いた通りすがりの観光客たちが、首をすくめるユッキーと私を興味深そうに見ている。


 菊池雄一きくちゆういちは「異世界へ帰りたい」と書かれた赤いTシャツにミリタリーパンツ、分厚いブーツ姿で、周囲のざわつきをものともせずに引きつった笑顔を見せている。


──神江島神社かみえしまじんじゃを後にしたユッキーと私は、彼女オススメの江ノ島の映えスポットをまわった後、今日のもう一つの目的地、稲村ヶ崎いなむらがさきに降り立ったところだった。


 ユッキーは菊池の姿を見ると、好奇心でキラキラした瞳を私に向ける。


「さっきのリーゼント宮司もすごかったけど、噂の菊池クンも濃いねぇ」


 私は菊池の今日のファッションを見て苦笑しながら返す。


「ユッキー、彼は濃いんじゃないの。濃厚なんだよ……」


 ユッキーは期待に満ちた顔で私を見つめる。


「へぇぇ、ルミちゃんが言ってた多次元の動画も見たかったなぁ。菊池クン、今日動画持ってないかな」


 あの恥ずかしい映像が脳裏に蘇り、私は顔をしかめてぶんぶんと首を振った。


「ううん見なくていいよ、本当に…」


 菊池は、あの藤沢の事件の後はショックでしばらく寝込んでいるかと思っていたが、意外にも早々と動画投稿に復帰し、毎日数々の怪しい動画を上げていた。但し再生回数は相変わらずらしい。


 その彼から、最近万莉まりの赤いベランダの家の様子がおかしいので話を聞きに来ないか?と連絡があったのだ。


 正直、あの家のことを考えると未だ身体の震えが止まらなくなるほど怖い。


 しかし、あそこが赤いベランダの家とわかり、私が今一番知りたいのことや、母と漆黒の白猫の繋がりが掴めるのならと思い、勇気を振り絞ってこうしてやってきた。


 松本貴之まつもとたかゆきが言っていた隠し扉──それが本当にあの家の中にあるのだろうか?


 菊池は意気揚々と私たちの方に近づくと、視線をふとユッキーに移した。その途端、サッと赤面し、目をキョロキョロ泳がせ始める。


「と、ところでそこにいる女は、君の信頼できる仲間なのか?」


「え? ユッキーのこと?」


「そうだ。私は常々命を狙われる運命ではあるが、一人の女のために無用なリスクは冒したくないのだ」


「ちょっと……菊池さん!あなたねぇ……」


 菊池は相変わらず神経質だし滑舌は悪いし、注意して聞かないと何を言っているのか分からないが、そのくせ選ぶ言葉は後ろからハリセンで叩きたくなるほど失礼でふてぶてしい。


 しかしユッキーの方が一枚上手だった。


 彼女はいきなり菊池の両手をぎゅっと握ると、とっておきの女神の微笑みを見せる。


「初めまして、ルミちゃんと大の仲良しのユッキーだよ♪ 菊池クンの噂は聞いているよ。すっごい動画を作っているんだってね?カッコ良いなぁ」


 ユッキーの言葉に、菊池の顔がさらにトマトのように赤くなり、意味不明なことをつぶやき始める。


「わ、私にハニートラップは通じない。そうだ!こんな時こそケルトの循環呼吸法を使う時だ……あああぁぁ……」


 抵抗虚しく、彼女の絶対的な陽のパワーに、負の菊池が溶けていく様子が見て取れた。


 菊池の頭から大量の湯気が出ているのを見て、私は笑いをこらえることができなかった。


「ユッキー、それ以上は刺激強いから許してあげてね、お話出来なくなるから……」



 ──暫く意味不明のケルトの何とか呼吸法とやらをしていた菊池は、意外にも少し落ち着きを取り戻したようだ。


「あ、危うくハニトラで全てを失うところだった。女よ!そ、その手には……の、乗らないからな」


 ユッキーは肩をすくめて楽しむように私を見る。とりあえず2人の初対面の挨拶は無事に完了したようだ。


「さて、同志よ!詳しくは俺のアジトで話したいのだが、今日の話をより理解して貰うためにまずは、例の場所まで一緒に行って貰いたい」


 菊池はそう言い放つと、私たちの返事を待たずに歩き出す。


「ちょっと、菊池さん!いきなりどこに連れて行くの?」


「この方角と言えば、わかっているだろう。忌々いまいましいあの家だ」


「忌々しいあの家って、万莉ちゃんの……赤いベランダの家?」


「そうだ!先ほども言ったが、少しあそこの状況が変わったのだ。それを見て欲しい」


 そう言いながらズンズンと坂を上って行く。


「状況が変わった?どういうこと?」


「フフフ。とりあえず……見るがいい」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


──二股の道に続く道は相変わらず急で、少し息が苦しくなる。片手が使えないと歩くのも大変なんだと実感する。


 ユッキーを見ると、まるでハイキングをしているように辺りの景色を楽しんでいる。毎日立ち仕事で鍛えている人はさすがに違う。


 やがて坂道の両側は鬱蒼うっそうとした木々に覆われ、徐々に日の光が隠れ薄暗くなってきた。日没にはまだ2時間ほどあるが、日が傾き始める。


「ハァハァ、菊池さん。このすぐ先が……二股の道だけど……」


「ハァハァ、もうふぐら……ふぐらの……ばなぞだ……フフフフッ」


 元々滑舌の悪い菊池だが、息切れで何を言っているのやらわからない。


 一歩この道を進むたびに、あの家での惨劇の光景が蘇ってくる。心と身体がこの先には行きたくはないと拒否し始める。


 菊池は何を見せようとしているのだろう?


「あ、ルミちゃん♩ あの道の先に何かあるよ」


 ユッキーは涼やかな表情で少し先を指差す。突き当たりに覚えのある二股の道が見える。ここを左側へ折れて行くと、万莉の赤いベランダの家へ続く。


「ハァハァ、菊池さん。どこまで行くの?」


 菊池は、震える腕を持ち上げてユッキーと同じく行く手を指差す。


「ハァハァ、ふぉこを……むれ!!」


 もはや何だか意味がさっぱりわからないが、指差された方向を目を細めて注視する。


 二股の道の手前に、黄色い立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、私たちの行く手を阻んでいた。


「え?なに? どうなっているの?」


 私は思わずその場所に向かって走り出した。


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