96話 第2幕 神江島家の一族 ④


6月21日 14時56分


 いにしえの儀式である伝承会が終わった。神聖な空気がまだ神社に漂っている。


 その静かな余韻の中、神江島龍子かみえしまりゅうこが二人の巫女みこを連れて私たちの方に近づいてきた。


 神職の衣をまとった彼女の凛とした雰囲気に圧倒され、私は無意識に背筋を伸ばす。


「本日は最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。お楽しみいただけましたでしょうか?」


 龍子の言葉に、私は心からの感謝を込めて答えた。


「はい、本当に素晴らしい会でした。それにこんな貴重な曼荼羅まんだらを見せていただいて嬉しいです」


「それは何よりですね。観光で当神社にお越しいただく方は少ないですから、少しばかり宣伝していただけると幸いです」


 龍子がそう言うと、ユッキーが笑顔で私たちにスマホを向け声をかける。


「それじゃ龍子さん、記念に写真を撮りましょうよ。2人の巫女さんも入ってくれると嬉しいな」


 ユッキーの声に応えて、龍子は2人の巫女の方に向かい、小さく手招きをする。


乙龍おりゅう火龍かりゅう、こちらに入ってくれるかしら?」


 名前を呼ばれた2人の巫女はこちらを振り向き、同時に口を開いた。


「あ、はい。お母様」


「あら、素敵なお二人ね、喜んで」


──2人は髪型や雰囲気などは違うが、よく見ると顔の造作が似ている。姉妹だろうか?


 おりゅうと呼ばれた女性は、美しい黒髪をきちんと束ね、短めの前髪が美しい額にかかっている。


 肌は羨ましいほど白く陶器のように滑らかだ。軽く結んだ赤い唇からは静かな強さが感じられ、その品のある容姿は日本人形を思わせる。


 その一方で彼女の漆黒の瞳は、まるで目の前のすべてを観察しようとするかのような鋭い光を放っている。


 そして、かりゅうと呼ばれた女性もおりゅうと似た顔立ちだが、彼女の肌は日差しを十分浴びた健康的な輝きを感じさせる。


 瞳はキラキラと眩しく輝き、好奇心と情熱に溢れているのが側からでもわかる。


 ふんわりとカールがかかった髪は軽く束ねられ、全体的に自由で社交的な雰囲気を漂わせている。


 対照的な容姿の姉妹が2人並んで立つ姿は、しかしどこか調和が取れており、それぞれの個性を引き立て合っていた。


 うん、なるほど、そっか……母の龍子と姉妹……乙龍と火龍。彼女らはこの神社の3匹の龍の親子なのだろう。


 龍子の言葉に二人の巫女たちは素直に私の背後に立つ。ユッキーは自撮りで手をいっぱいに伸ばして自身も笑顔を作る。


「はい、撮りますね。ルミちゃん、笑って笑って♩」


 ユッキーがスマホのシャッターを押そうとした時、今度は私の後ろから神職の衣裳を身に纏った男性が現れた。


 その男性は先ほどの虎之助とは違い、小柄で髪は短く整えられている。知性の感じられる端正な顔立ちであるが、心なしかその目には狡猾さも感じる。


「あぁ、私が撮りますよ。鳥居も入れて華やかに撮りましょう。ささ、どうぞどうぞ」


 男性はユッキーからスマホを受け取り、彼女を私の横にエスコートした後、それっぽく立ち位置を調整する。


 すると巫女の一人、火龍と呼ばれた女性が、男性に嫌味混じりに言葉を投げかける。


雅治まさはるの写真って、いつもなんか微妙なのよね。特に今日は重要な日なんだから、ちゃんと撮ってよね?」


 雅治と呼ばれた男性は、爽やかな笑顔を作り言い返す。


「火龍姉さん、今日もお美しいですね。せっかくの記念日ですから、少しの間だけでもその素敵な顔を笑顔にしてくれると嬉しいんですが」


 そう言われた火龍は、ムッとした表情で雅治を睨む。


「あら、よく聞こえなかったけれど?もう一度言ってごらんなさいな、雅治」


「いや、ただ火龍姉さんの美しさを称賛しただけですよ。それに、今日の特別な日を台無しにしたくないですから。そうでしょう?」


 火龍は冷たい笑みを浮かべながら答える。


「その口の上手さ、何とかならないの?いつも言葉だけで誤魔化して。今回も失敗したら覚えてなさいよ」


 雅治はその姿を見て笑いを堪える風でシャッターを切る。


「ありがとうございます、さすが火龍姉さん!ただ…乙龍姉さんもいつも通り笑顔がなかったのでね、もう一枚良いですか?」


 乙龍は、厳しい表情を崩さず、右の掌をビシッと雅治に向けて突き出し、毅然とした声で言った。


「雅治、真面目にやりなさい。お客様の前でふざけるのはやめて。お2人とも、愛想笑いをしながら不安そうにしているわ」


 乙龍の鋭い目が私とユッキーに突き刺さる。


 愛想笑いって……はっきり言われてしまって、どうしたら良いのかわからない。それにどうもこの空気、何だろう?彼女らの会話からだけでなく、どこかピリピリとしたものを感じるが……


 雅治は乙龍の言葉に少し肩をすくめる。


「乙龍姉さん、ご心配なく。お2人もきっと楽しんでくれてますよね? こんな機会はなかなかないですから」


 火龍が雅治の言葉に即座に反論する。


「楽しんでいるかどうかは本人たちに聞いてみれば?あなたの軽薄でいい加減な態度が、不安にさせてるんじゃないの?」


 乙龍が一歩前に出ると、ビシッと右手の人差し指を立てて2人を制する。


「火龍、雅治。いい加減にしなさい。今日は特別なお客さまの前よ。神社の名を汚すような行いは慎むべきです。それに、愛想笑いをしているお客様2人を気遣うのが先でしょ?」


 雅治はこちらを見て再び肩をすくめて見せ、愛想よく笑いながらカメラを構え直す。


「もちろんです、乙龍姉さん。皆さん、最高の笑顔をお願いしますよ──!」


 そつなく写真を撮り終えて雅治が去っていく。ユッキーと私は顔を見合わせて苦笑いし、写真を確認した。


 3人のやり取りを横で聞いていたせいか、私もユッキーもどこか微妙な笑顔で写っている。


 うーん、あの険悪な空気の中で笑顔を作るのは難しいよ…!


 ユッキーが頭を掻きながら写真を見つめる。


「あー、微妙な顔してるね、私たち。こうやって斜めで撮るのも集合写真ではちょっとね……でも、まあ、これも思い出かな」


 火龍は軽くため息を吐き呟いた。


「本当に雅治は口ばかりなんだから……後でどうしてあげようか」


 乙龍が火龍に一瞬、厳しい目を向けた。


 この2人は姉妹のようだが、この人が長女なんだろう。龍子譲りの厳格さを感じさせる。


 乙龍は私たちに向き直り、深く頭を下げる。


「本当に至らなくて申し訳ありません、恥ずかしいところをお見せしてしまいました。かくなる上は私が撮りましょう!もう一度スマホをお貸しください!」


 そう言うと、彼女は私の目の前にビシッと右手を差し出す。


「あら、写真のセンスなら私の方が上よ。私が思い出に残るような最高にエモい写真を撮ってあげるわ」


 歌うように言いながら、火龍も私の前に右手を差し出した。


 差し出された2人の右手を前に、私とユッキーは顔を見合わせながらまた苦笑いをする。


 その様子を少し離れた場所で静かに見ていた龍子が、左右に首を振り口を開いた。


「乙龍、火龍。もう下がりなさい……」


「お母様?」


「え?」


 戸惑う2人に、眼光鋭く龍子がきっぱりと言いきった。


「下がりなさいと言っているのです」


 姉妹は襟を正して深く一礼すると、そそくさと他の参拝客の所へ去って行った。


 雅治に、2人の巫女の乙龍と火龍。なかなか個性的な人たちだ。


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