92話 第1幕 誘(いざな)われた舞台 ④
6月21日 12時51分
「あー、ユッキー美味しかったね♪お腹いっぱい」
「うんうん、身体も心も喜んでる感じ。あそこのカフェは穴場だったね!」
トキノトでのランチを終えて外へ出ると、私たちは
ユッキーが観光案内所でもらった地図を2人で見ながら歩いていると、ふと見覚えのある階段を見つけた。先日、
「確か、この先に今日の伝承会の石祠があったはず……」
私がそう呟くと、ユッキーは手をかざし興味津々といった表情で階段の先を見つめた。
「ルミちゃん、伝承会の予習のためにちょっと行ってみようよ。あ、ルミちゃんのカバンは持つから大丈夫!」
彼女はおどけた顔で私のカバンと自分のバッグを両手で軽々持ち上げて見せ、弾む足取りで先に立って歩いて行く。
「ありがとうユッキー……あ、待って待って!」
私たちは少し急な階段を登り、その先の細い小道を進んだ。
道は緑豊かで、太陽の光が木漏れ日となって地面に降り注いでいた。風が木々を揺らし、葉がざわめく音が心地よく響いている。
少し歩くと見覚えのある石祠が見えてきた。よく見るとその前で一人の男性が花を供えている。
「……あれ? 先客がいるね」
男性は二十代後半くらいか、長い手足を折り畳んでしゃがみ込み、その横顔はじっと遠くを見つめたまま物思いにふけっているようだ。
少しウェーブのかかった長めの髪が、風で微かに揺れていた。
ユッキーはその男性を見るなり、私の背中を突きながら顔を寄せて、楽しそうに耳元に息を吹きかける。
「ひゃっ!」
「ルミちゃん、イケメン発見だよ!旅先での運命の出会いかもしれないよ、早く声をかけないと」
「やだ、ユッキー!何言ってるの?」
その声が聞こえたのか、男性がこちらを振り向いた。端正な顔立ち、少し憂いを帯びた瞳、ユッキーの言う通りドラマに出てきそうなイケメンだった。
男性は立ち上がり、デニムについた土を軽く払うと微かに笑顔を見せて話しかけてきた。突然の事で、どうして良いのか分からず、謎の緊張感が走る。
「あ、気づかなかった。ごめん。この石祠に用?」
「──あ、私、ちょっと前にここに来たことがあって……」
私はなぜか赤面してしどろもどろに答える。どうしたんだ、私?? 最初の「あ」で声が裏返っているじゃないか??
「き、今日この祠の伝承会があると聞いて。えっと、それで……」
ユッキーが私の様子を見て、後ろから楽しそうに私の背中を突いてくる。男性は一瞬真顔になったが、再び微笑み、石祠の前を私たちに譲る仕草をした。
「あぁ、神江島神社の伝承会に来たんだね。観光であの神社に来る人も珍しいけど……」
風に揺らいだ髪をかき上げながら、男性の憂いた瞳が私たちをじっと見る。その眼差しに再び謎の緊張が走り出す。ユッキーは面白がってさらに私の背中を強めに突いてくる。
「そ、そうなんですか?」
「──行けばわかるけど、観光スポットの江ノ島神社と違って地味な神社だからね」
「そう……なんですか?」
もうやだ、ボキャブラリーが煙のように消え失せて同じ返事しかできない。
「そうだね。自分の目で確かめると良いよ。僕はもう行くので、どうぞゆっくり……」
そう言うと、男性は微かに会釈をしてから、私たちが来た道を歩いて行った。その後ろ姿をボーッと見ていると、ユッキーが私の背中をくすぐってからかう。
「ひゃっ!ちょっとぉ!!」
「何をボーッと見てたのかな?」
「あはは、くすぐったいからぁ」
「ルミちゃんは、すぐ顔に出るからわかりやすいなぁ。可愛いなぁ」
ユッキーはさらに脇の下をくすぐり始める、完全に遊ばれている感じだ。
「ルミちゃん! もっとあのイケメンの個人情報を引き出さないと!」
「あははは。もう、ちょっとユッキーやめて」
「もう、あまりいないよぉ、あのレベルのイケメン君」
その後、暫くの間くすぐったり、突っつきながら楽しむユッキーだった。
こんな石祠の前で私たちは何をしているのだろう? 私はお返しに彼女を突っつき返しながら石祠を見た。
「あれ、見事な紫陽花……」
石祠には青紫色の紫陽花が丁寧に供えられていた。以前ここに訪れたときにも花が供えられていたが、今の彼の手によるものだろうか?
「ユッキー、ちゃんとここも、お参りしないとね」
私たちは石祠の前でしゃがみ込み、目を閉じて手を合わせた。
「ルミちゃん、これは古い祠だよね。江ノ島って天女と
とユッキーが目を輝かせる。
風で微かに紫陽花が揺れている。そっと見回すと、周囲の木漏れ日の中で、数匹の猫たちが昼下がりの日差しを楽しみながらスヤスヤと寝息を立てていた。
── 第二幕「神江島家の一族」へ続く。
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