91話 第1幕 誘(いざな)われた舞台 ③

6月21日 12時32分


「ん?じゃぁ、トンビじゃないの?」


 ユッキーは、箸をプレートに置くと首をかしげる。


「うん、トンビってもっと気配がないんだよ、あいつらは知らないうちに近づいてシュッと」


「シュッと?」


「そそ、シュッと。さっきの気配は明らかだもん。ジッと見つめられて寒気がしてね。そんなのトンビじゃないよ」


 私は身振り手振りを交えて熱弁をふるう。以前メロンパンをトンビに盗られた切ない思い出は忘れることが出来ない。


「じゃ、ルミちゃんのストーカーかな? ルミちゃん可愛いし無防備だから……」


 ユッキーが心配そうに私を見てくれるのは嬉しいが、無防備ってちょっとなんだか……。それに、ストーカーが狙うとしたら明らかにユッキーだと思う。


「うーん、なんだろうね。さっきも話したけど、あれは人じゃないような」


「じゃ、やっぱりお化け? 嫌だな……知世さんの件もあるしね」


 確かにあの岩場で人が亡くなっているのだ、少し寂しい場所だし、正直不気味な雰囲気だ。稲村ヶ崎の赤いベランダの家と同じような空間の歪みが検出された場所でもある。お化けスポットになっても不思議はない。


……あれはやっぱり、人以外の何かが、私を見てた?



──その時。


「お待たせしましたー!ルイボスティーと豆乳プリンです♪ すべて無農薬で無添加です。もちろん私のお気に入りです♪ プリン用のスプーンも二つ用意しましたからね!」


 キャシーが軽快でリズミカルな歩き方でテーブルに近づき、豆乳プリンの乗ったプレートを置く。


 その動作はまるで音楽に合わせているかのように、軽やかでエネルギッシュだ。 何か体幹が凄く強そう…彼女の立ち振る舞いに惚れ惚れとしてしまう。


 ルイボスティーの入った透明なガラス製のポットを右手で持ちやすいように移動させていると、キャシーは私の左腕を見て気の毒そうな顔をした。


「Oh、気づかなくてごめんなさい、その腕、大変だったわね。交通事故か何か?」


「えぇ、その……そんな感じです」


 キャシーの質問に曖昧に答える。満月の夜に殺し屋と対峙して斬られましたとはさすがに言えない。


 ユッキーが、そのやり取りを聞きながら意味ありげに微笑んでいる。


「ワォ、それはそれはお気の毒にね。何かと不自由でしょ……」


 キャシーは眉を曇らせながら、ガラス製の透明なカップにルイボスティーを注いでくれる。


「必要でしたら手が不自由な方用のスプーンとかフォークとかもあるので気軽に頼んでね♩」


「どうもありがとう、利き腕はこの通り無事なので大丈夫。でも、そんな手が不自由な方の食器もあるんですね」


「そう、素敵でしょ?もちろん環境にも優しいのよ」


 キャシーは何かを思い出したように両手を軽く打ち合わせ、嬉しそうに微笑むと、テーブルの横に挿してあった立派な通販カタログを広げて見せる。


「あ、今お使いのスプーンもお箸も、実は動物や魚の骨から出来ているんですよ!面白いでしょ?」


「え?コレ、骨から出来ているの?紙とかはあるかも知れないけど、骨は初めてだな」


 私は豆乳プリンの横に添えてあるモノを手に取り、ジッと眺めてみる。銀のスプーンより軽く、木製のスプーンのような優しい感じだ。


「そう、珍しいでしょ、もちろん環境に配慮しています。今ある物はゴミにならず自然に還るものでないとね。これは生分解って言ってね……」


 カタログのページを手早くめくりながら、キャシーは通販番組のように流暢に話し始める。


「う、うーん。これからの時代はそういう商品選びをしっかりするべきなんですね」


 正直キャシーの言うことの半分もわからない私は、定型文のような最もらしい言葉を返すのが精一杯だ。


 しかしキャシーは目を輝かせ、さらに熱を込めて説明を続ける。


「素晴らしいでしょ?どの商品もサステナブルで、生分解製品です。これなんかボタニカルライトって言いますが面白い商品でね……これからの時代、エコロジカルでエレガントに生きることが大切なんだから」


——専門用語が飛び交い、いまいちよくわからなくなってきた。私は少しだけ話題を変えてみた。


「えっと、キャシーさんはどれか実際に家でも使っているんですか?」


「ええ、もちろん私の家でも愛用しています。私のハズバンドも気に入っててね!この骨スプーンはもちろん、こっちの商品とかもね。どうぞ通販カタログもお持ちくださいね」


 キャシーが通販カタログをソツなく差し出す。なかなか営業上手のようだ。


 ユッキーは豆乳プリンを一口食べると、目を見張って両手でほっぺたを押さえる。


「わぁ美味しい♩ 優しい甘さですね。プリン大好きだよ、これニケで再現したいなぁ」


「ワォ、嬉しい♩今度また二人で来て下さいね、もう沢山サービスしちゃいますから……もちろん頭の硬いオーナーにはシークレットですけどね」


 そう言って見事なサムズアップを決めると、キャシーは再びリズミカルにカウンターに戻っていった。


 彼女から渡された通販カタログをチラ見していたユッキーが、食器のページで値段をチェックしている。


「ルミちゃん、この骨シリーズ。箸とかスプーンとかも、ニケで仕入れられたら良いと思わない?可愛いし」


「うんうん、普通の食器も良いけど、メニューによって変えても良いよね。後はアニ次第だよね……」


 ユッキーは私の最後の言葉をさらっとスルーしてカタログの最後のページを指差し、無邪気に微笑む。


「あ、ここに仕入れ先書いてあるよ。後で電話してみよ」


 ──どうやらアニの意見は要らないようだ。


 私は香り高い琥珀色のルイボスティーを口へ運び、窓の外にキラキラと光る湘南の海を楽しんだ。


 先ほどの不気味な視線のことは、いつの間にか忘れていた。

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