90話 第1幕 誘(いざな)われた舞台 ②
6月21日 11時52分
その店は、江ノ島神社の参道の途中にある脇道を曲がり、階段を降りた岩場の高台にあった。
「いらっしゃいませ♩」
ドアを開け足を踏み入れると、奥から気持ちのよい声がかかる。
店内は外観と同じく白を基調としたウッディな仕様で、ドライフラワーが壁に飾られ、湘南の風景写真があちこちに飾られている。
レジのバックボードには、今っぽいファンシー調で、開かれた扉の中に可愛い時計が飾ってある。
店の名前は【時の扉】
時の扉でトキノト……ちょっとタイムリープっぽくて、なかなかお洒落だ。たぶん時間を忘れて楽しんで♩ って事なのだろう。
どこからか溌剌とした声がかかった。
「──あ、ごめんなさいね、今ちょっと手が離せないもので、お席はお好きな場所にどうぞ。すぐにお冷をお持ちしますね」
声はすれど声の主は姿を見せない。どうやらカウンターの奥にいるようだ。
店内を見回すとお客は数人ほど、席は選び放題。私達は、海が見渡せる一番眺めの良さそうな席につく。ユッキーは、スマホで数枚店内の写真を撮る。
「ルミちゃん、やった♪ このお店当たりかもよ。見晴らしも良いし穴場っぽい」
「そうだね、後はお料理が美味しければ、言うことないよね」
その時、後ろからやけに明るい声が聞こえた。
「お待たせしました♩お冷をどうぞぉー」
声の主は、ショートヘアに小麦色の肌、均整のとれたプロポーションで白いTシャツとスタイリッシュなデニムを履きこなしている。
いかにも湘南生まれの湘南育ちと言う感じの女性だ。
「ごめんなさいね、今日はアルバイトさんがお休みで人手が足りなくて。あ、でももちろんウェルカムですよ」
ウェルカムの発音が無駄にネイティブだ。
女性はフレンドリーに輝く白い歯を見せながら、輪切りのライムを浮かべた水のグラスとメニューをテーブルに置く。
「お水はあちらで飲み放題だけど、有機コナコーヒーやルイボスティー、あとハーブティーもオススメですよ。私も大好きなのよ♪」
彼女は再び白い歯を光らせ、ニコリと笑う。胸のプレートには、「キャシー勝田」と書いてある。名前からすると、ハーフだろうか?
メニューを広げると、プラントベースミートやオーガニック系の料理の写真が並び、何が他のお店と違うのか等、ウンチクがこまごまと書いてある。 なるほど、それ系のお店なんだ。
「わぁ、ヘルシーだ。身体にも美味しそう」
私が呟くと、彼女はフレンドリーな笑顔でメニューの写真を軽やかに指さす。
「そうなのよヘルシーよ♩ 今日のオススメは、シラスとダイズミートのバーガーか、鎌倉野菜で作ったパスタかな?もちろんグルテンフリーなの。後は今日は白トリュフのリゾットかな。って、私の好みなんですけどね」
——やはりヘルシーの発音が無駄にネイティブだ。ユッキーはお腹が空いているのか、お構いなしに真剣な顔でメニューを眺めている。
「ルミちゃん、白トリュフだって!カフェレストランで珍しいよね?」
「えぇ……珍しいも何も私は食べたことすらないけど」
「あれ、そうなんだ。神楽坂でも出すお店多いよ」
「神楽坂ではニケ一筋だもん、後はコマルママの【ガンジス】くらいかな」
私たちのやり取りを頷きながら聞いていたキャシーが、得意気な顔で口を挟む。
「ここの白トリュフは、実はゲノム操作されているのよ、本物と同じ味で栄養価も変わらず何より安く食べられるの」
「ゲノム操作……どこかで聞いた事ある」
「そう、一時期テレビでも話題になったものですけどね、フードテックって分野で賛否はあるけど、ここ最近の気候異常や世界的な情勢の中で、現実的な持続可能な運動の一環なんですのよ」
私はキャシーが言ったメニューを改めて見て、金額と照らし合わせてみる。
「うーん。食べてみたいけど、それでもちょっとお高いかな……」
「ザッツ トゥルー、確かにそうね♩でも金額に見合う価値はあると思うわ。他にも頭の良くなるトマトスープや毒のないフグのカルパッチョとか色々あるのよ」
キャシーは爽やかにトークを終えると、にっこりと微笑んだ。
「と言うことで、後はごゆっくり選んでくださいねー」
彼女は栄養ドリンクのポスターのように、小麦色の肌に映える白い歯を見せ、親指を立ててサムズアップすると、カウンターの奥に消えていく。
ライム入りの水を口に運び飲み込むと、乾いた口の中に爽やかな酸味が広がり喉を潤す。やっと少し落ち着いた。
窓から見える景色が先ほどの、知世に花を添えた稚児の淵の岩場に似ている。
ふと右腕をみる。さっきまでの鳥肌も治ったようだ。
アニ曰く、あの岩場には空間の歪みがあるということだが……
──あそこにはやはり何かいるのだろうか?
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