87話 第十四幕 残された課題 ③

5月19日、15時26分


「ルミちゃんの腕がまだこんなだし、私もこれに興味あるから気分転換に一緒に行こう。フフフ、ルミちゃんと湘南デートだよ」


「!!」


 その言葉に店の四方から殺気が放たれた。


 聞き耳を立てていた数人の常連客が一斉にガタガタッと席を立ち、私を鋭く睨んだ。


「ひゃぁぁ……」


 私が軽く冷や汗をかいて、さりげなく彼らに背を向けたその時、スマホが鳴った。


「あれ?鎌倉の病院?

──はい、もしもし…はい………本当ですか…!はい……はい、すぐ向かいます!」


 私は受付のスタッフと短く言葉を交わして電話を切る。一瞬俯いて、ぎゅっと目を瞑る。


「ど、どうかしたか、ルミ?」


 アニが心配そうに私の顔を覗き込んだ。無理もない、スマホを握っている私の手が震えている。


 私は勢いよく顔をあげて2人に告げた。


「万莉が……万莉ちゃんが目を覚ましたって!!」


 私はそう言うと、赤いリュックににスマホを放り込んで席を立つ。左腕を吊っていては背負えないので、もどかしく右肩に引っかける。


「万莉が?!ホントか?──って!今から行くのか?」


 唖然とした表情のアニたちに頷いて見せ、店のドアへ突進する。とにかく万莉に会わないと!私はその思いでいっぱいだった。


「あ……!」


 レジの前に、黒猫ニケちゃんが興味深そうに目を見開いて座っていた。お見送りのつもりなのだろうか?可愛いところがある。


「ニャウニャウニャウ」


 何か一生懸命言っているみたいだが、よくわからない。


「ごめん、急いでるの、また後でね!」


 私はそのままドアを閉め、急いで駅に向かった。


 祭りで賑わう神楽坂のメイン通りを避け、裏道を走る。人々の顔がぼやけ、心臓の鼓動と呼吸の音が耳に響く。早く早くと思っても視界の全てがスローモーションのように動きもどかしい。


 飯田橋の駅に到着し、混雑した電車に乗り込む。座れないことなど気にならない。頭の中には万莉のことしかなかった。


 ふと思う。私、どうしてこんなに万莉ちゃんのことを心配しているんだろう?


 つい先日、稲村ヶ崎で会ったばかりの高校生なのに。


 私は自分自身に問うてみる。


 赤いベランダの家が万莉の家で、そこに母が居たからか?


 彼女が母の失踪に関わる何かを知っているかもしれないから?


 それとも秘密の扉を謎を知っているかもしれないから?


 いや、そうじゃない。それだけじゃないのだ。


 ほんの少し前まで当たり前だった家族との時間が突然消えてしまった。その悲しみと孤独は、私の心に深く刻まれている。


 笑い合ったり、怒ったり、泣いたり、一緒にご飯を食べること、おはようやおやすみ、大好きだよと言い合うこと──そんな当たり前が奪われた瞬間を私は忘れることはできない。


 朝目覚めた時、家を出る時、ご飯を食べる時、ただいまを言っても誰も応えてくれない時のどうしようもない孤独。


 あの惨劇の日、あの部屋の中で見た万莉の瞳、そして彼女の叫び。あの光景は、母が消えた時の記憶と重なる。


 それでも私の場合、アニやコマルママ、そしてユッキーが側にいてくれた。成長を見守ってくれる人たちがいた。


 万莉には誰がいる?家族は誰もいなくなってしまった。叔父は殺人鬼だった──


 私にできることがあるのなら、してあげたい。ただその思いでいっぱいだった。



5月19日、17時11分


 鎌倉駅に着くと、私は急いで改札を抜け、鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうに向かう段葛だんかずら通りへと足を進めた。


 段葛通りは両側に桜の木が並び、道の中央に石畳が続いている。新緑の葉が青々と茂り、家族連れの観光客や地元の人々の目を楽しませている。


 私はその幸せそうな光景を横目に、早足で通りを進んだ。


 やがて、白く聳え立つ病院が目の前に現れた。


 つい数日前、あの病院に入院し退院し、そしてあの屋上で恐ろしい殺人鬼と対峙していたなんて、未だに信じられない。


 入口に立つと、自動ドアが静かに開いた。広々としたロビーは、白い壁と明るい照明が清潔感を醸し出している。


 受付のスタッフに事情を説明すると、すぐにエレベーターに案内された。


──万莉ちゃん……もうすぐだよ。


 6階に到着し、エレベーターのドアが開く。病院の静けさが私を包み込む。廊下は無機質で冷たいが、その静けさがはやる心を落ち着かせる。


 606号室の前には、警備の警察官が2人立っていた。あんな事件が起こって数日なので無理はない。二人の警官は無表情で、こちらの動きをじっと見守っている。


 ちょっと緊張したが、私は足を止めることなく彼らの間をすり抜ける。ミカの口利きで中に入らせてもらえることになっているのだ。


 その時ドアが開き、ちょうど医師が部屋から出てきた。冷静なその表情からつい何かを読み取ろうとする私に、ドアの横に立っていた看護師のイナベがニコッとして話しかけてきた。


「ルミさん、早速駆け付けてきたわね。良かったわ」


「どうもありがとう。イナベさんにも色々お世話になって」


「ほんとよ、もう。夜中の徘徊は病院だけにしてね!」


 イナベは悪戯っぽい笑顔を見せて、私の額に軽くゲンコツを当てる。


「あぁ……あはは。えっと、そう。彼女の様子はどうですか?」


「今はまだ少し混乱しているようだけど、少しずつ落ち着いてきているわね。ただ、あまり刺激しないように気をつけてね」


 イナベは優しく微笑んで立ち去った。その笑顔に私は勇気付けられる。


 深呼吸をし、ドキドキしながらそっとドアを開けた。中を覗くと、上半身を起こしたベッドで万莉が窓の外を見ていた。


 夕方の柔らかい光が部屋に差し込み、万莉の横顔を淡く照らしていた。彼女の姿に安堵しつつも、胸の奥に込み上げる感情を抑えることができなかった。


 私は万莉の側に静かに近づき、絞り出すように声をかける。


「万莉ちゃん……」


 万莉はゆっくりと振り返る。


「……」


 まるで生命力のない表情、虚ろな目。まるで遠い世界から戻ってきたばかりのように、その姿は儚く現実感がない。


「……」


 私は万莉の手を右手で優しく握る。その手は冷たく、かすかに震えていた。


「あ……」


 一生懸命話そうとする万莉に、精一杯頷く。


「うんうん、大丈夫だよ、大丈夫だからね」


 万莉の目に涙が溢れる。彼女の心の中の不安と混乱が透けて見えた。


「……」


「目覚めて良かった……うん、うん。私ね、これからも万莉ちゃんを守るよ……大丈夫」


 私は万莉の肩をそっと抱き寄せる。その瞬間、彼女の体の重みと体温が仄かに伝わってきた。


 万莉は私の耳元で何か囁く。


「マ……」


 私は精一杯の笑顔で返す。


「何?万莉ちゃん?」




「──……無事で良かった……」



「───」


 私は病院の天井を眺めて、言葉を探す。天井の白さが目に沁みる。


「ええと──」


 私は必死で、万莉の言葉の意味を理解しようと試みていた。



──次章「神江島家かみえしまけと青い曼荼羅まんだら」編に続く。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



【予告】 神江島家と青い曼荼羅編 


 行方不明になった母の大きな手がかりが、赤いベランダの家の隠し扉にあると知ったルミ。菊池や万莉の友人、陽奈とのやり取りで真相が見えてきたかに思えた時。


 江ノ島の名門・神江島かみえしま家を襲う殺人事件の解決依頼が舞い込む。


 次期当主の座を巡る権力闘争と、神秘の青い曼荼羅まんだらを巡る陰謀が浮かび上がる。梅雨に煙る湘南・江ノ島を舞台に、ルミは新たな真実にいざなわれる──。


* ユッキーはパンフレットを受け取り、興味深く眺める。「これによると……江ノ島は、他の伝承と比べて規模や歴史が大きいみたい。この宇津神うつかみえんの話は、他の伝承の中心になってるってことね……」


「宇津神の円ってさ、もしかして漆黒の白猫しっこくのしろねこって事?」


* 「乙龍おりゅう火龍かりゅう、こちらに入ってくれるかしら?」


 名前を呼ばれた2人の巫女はこちらに振り向き、同時に口を開いた。


* ボビー店員はカウンター越しに悲しい顔をして首を振っている。私は菊池の言葉に耳を疑う。


「万莉ちゃんのお父さんが?隠し扉を探していたって事?」

「ルミちゃん、もしかしたら……隠し扉の事を知った上で、引っ越しして来たのかもよ」


* 「ルミさん、あなたのチカラが頼りです」  公に出来ない秘密の儀を前にしての失態。名門・神江島の一大事。龍子りゅうこの願いが私の心を大きくかき乱す。


* 「神江島家の人達に心を許さない事ね……あなたの青臭さが全てを台無しにするのよ」  マユが呟いた。再び雷鳴が響き、あたりに眩い光が放たれる。


* 「あぁ!アニもミカも助けてよ!助けてあげて!!やだぁ、万莉!!」  アニとミカは必死で私を羽交締めにする。


* 『ルミよ、是か?それとも非か?』  私の手には嫌な脂汗が滲みでて、激しく動く心臓の鼓動が全身に伝わる。


次章、「神江島家と青い曼荼羅」編──神江島家に秘められた謎と殺人事件の真相を追うルミ。散りばめられた謎が一つに繋がり始める。彼女はこの難局をどう切り抜けるのか? 


乞うご期待!!


──あとがき──


タイムリープ探偵ルミ第2章を読んでいただき本当にありがとうございます。フォローやコメント、★でのご評価を頂けたら創作のモチベーションも上がり嬉しく思います♪今後ともどうぞ宜しくお願いします。

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