86話 第十四幕 残された課題 ②

5月19日、15時15分


 今までの考察を踏まえると、すべてのことに関わっていそうな人物が1人浮かび上がってくる。


 想像の中で、彼女はエキゾチックな瞳で私を見つめ、ゆっくりと首を傾げる。


「マユ……」


 酸味のあるコーヒーを一口含み、カップをゆっくりとテーブルに戻す。息を大きく吐き、視線を窓の外に移しながら、私は複雑な思いを込めて呟く。


 その時、お馴染みの茶化すような声が私の思考を中断した。


「ナルシストタイムはまだ続くのかい、お姫さま?」


 私はコーヒーを軽く吹き出した。


 向かいの席で、ニケ特製クリームソーダのバニラアイスを美味しそうにつつくミカを、私は軽く睨む。


 ミカはキレのある目を細めてニヤリと笑う。


「ほんとうに今回も姫のおかげで事件解決だ。これは私からのご褒美さ」


「え?あ、やめてくださいよ!ふがっ」


ミカは私が手を自由に使えないのをいいことに、クリームソーダに乗っている猫の肉球クッキーを強引に私の口に突っ込んだ。


 驚きと同時に、口の中に広がるバニラアイスの冷たさと甘さが、予想外の美味しさを伴って私を襲った。


「あれ?これ、美味ひい……」


 サクランボを口の中に入れて、ミカは器用に話を続ける。


「しかし、あれだね。姫の切なる願いにもこれで一歩近づいたんじゃないかい?」


「一歩……近づいた??」


 私は口をモグモグさせ、テーブルに飛び散ったコーヒーを片手で拭きながら、ミカの話に首を傾げた。


「わからないのかい?」


「ん?ん??」


 いつまでも口をモグつかせている私に彼女は呆れたように両手を広げる。いやいや、強引に口に入れたのは誰なのよと言いたい。


「良いかい?稲村ヶ崎のあの家にタイムリープしてきた松本は、先日の満月の夜に鎌倉で漆黒の白猫に殺された……姫、そう考えているんだろう?」


 私はコクコクコクと頷く。松本貴之が死んだあの夜の状況──満月、猫のシルエット、突然の不審死──を考えあわせると、そうとしか考えられないと思う。


 満月の夜に漆黒の白猫と目を合わせた者は呪われて殺されるという伝説、まさにあの通りのことが起こっている。


「ふふん。そして、姫の持っていた赤いベランダの家の写真に写っているのも漆黒の白猫。そう言いたいと?」


 クッキーを処理しきれない私は、無言のまま再び何度かコクコクと頷く。それは間違いがない。理由は、プルート探しの依頼主である知世からもらった写真だ。


 この子の大きな特徴はオッドアイ。ただでさえ黒猫のオッドアイは珍しいのに、赤いベランダの家で写っていた黒猫の目は左右の色がプルートと一致している、つまり漆黒の白猫と同じなのだ。


「漆黒の白猫繋がり、まぁ良い線だ……だけど、これだけじゃただの妄想に過ぎない。もう少しばかり材料が必要さ」


 妄想か……まぁ、確かにそうかも。私は口の中にある残りのクッキーをようやく飲み込む。


「じゃ、これはどうだい? 材料探してみよう」


 ミカは一息ついてから続けた。


「菊池がビデオに収めた万莉の家での発光現象は覚えているだろう?」


「うん。万莉の家全体が、青白く光った動画だよね。」


「そう。それなんだが、姫の母から貰ったカメラがタイムリープする時の発光現象に似ていると思わないかい?」


「確かに。似ている……七色に光る前の光って感じだね」


「さらに、松本貴之がタイムリープしたときの発光現象もどう見てもタイムリープの光だって言っていたよね」


「そっか……全部同じような光だってこと?」


「そうさ、漆黒の白猫繋がりと青白い光繋がり…まぁ、どちらも心許ない材料だが、それだけレアな材料が揃う家はあの辺りにはない、そもそも全国どこへ行ってもないと思うがね」


「確かにそうかも……うん」


 ミカは私の言葉に、キレのある笑みを見せる。


「ってことは、レアな漆黒の白猫繋がりと発光繋がりで、姫の一番探していた赤いベランダの家は決定ってことにならないかい?」


「ん、あ。そう……か」


「そうさ。まぁ、この目で赤い手すりを確認できれば良かったが、タイムリープでも調べる事ができないのだろう?」


「うん、タイムリープは5年前以上の過去に行くのは危険だから……ホント、アニに怒られるし」


「そうだ……少し乱暴だが、もう一度言うよ。それらに該当する家はあの辺りには他にないんだ。捜査の基本でもあるが今後はだということを前提で話を進めようじゃないか」


「そっか、お母さんは何らかの理由であの家にいたんだね。万莉ちゃんの一家が引っ越してくる以前に」


「その通り。ほら、一歩前進しただろう?」


「それじゃ、松本の言っていた隠し扉があの家のどこかにあって、中に入れたら……あの黒猫のことはもちろん、お母さんのことがもっとわかるかも!」


 ミカは私を見て、珍しく苦笑する。


「乗って来たじゃないか……勇ましい姫だ」


「ミカさんも沢山付き合って貰うからね」


その言葉にミカはキレのある眉毛を上げた。


「そういう契約だよね!ミカさん。」


 私の勢いに、ミカはヤレヤレという調子で左右に首を振った。


 谷中の事件以降、ミカとの取引は圧倒的にこちらが不利だと思っていた。彼女の鋭い洞察力と瞬時に状況を判断する力、そして統率力は時には脅威にも感じられ、正直苦手だった。


 しかし、その能力を味方にすれば、ミカはとても頼もしい仲間になるかもしれない。


 私の1番の願いの母探し、これからもミカには思いっきり付き合って貰おう。


「しかし、あの稲村ヶ崎の家はオカルト的にも政治的にも何かヤバい代物のようだ……前の所有者を調べても何も出て来やしないのさ。これは何かあると見て良いね」


「それは神崎さんも言っていたね……市役所で調べてもダメだったって」


「ふふん。黒服三人組のことも気になるけど、あそこを探るなら、これ以上厄介なことにならないことを祈るよ」


 そこへカランコロンと店のドアベルが鳴り響き、アニが帰ってきた。今日も、アルバイトのユッキーから足りないものメモを渡され、店主自ら買いに行っていたようだ。


 黒猫「ニケちゃん」が「ミャウ」と挨拶をする。


「ただいま。お、ミカ。来てたのか」


 アニは買い物袋をカウンターの中に置くと、自分で淹れたコーヒーを持ってきて席につく。


「ルミ、今回もよく頑張ったね。腕は大丈夫?怪我したのが利き腕じゃないのが幸いだよ」


 アニは、私がタイムリープしている間も、探偵の情報網を駆使して情報収集してくれていた。


「今回のルミの一連の話は聞かせてもらった。で、こちらでも一つ面白いことがわかってね、これはルミにもシェアしたいと思ってたんだ」


「面白いこと?」


「そう、松本貴之の最期の話を聞いていてね、谷中の浜田知世はまだともよが江ノ島で亡くなっていた状況と似ているなと思って気になっていたんだけど……」


 そこにクリームソーダを美味しそうにストローで吸っていたミカが口を挟む。


「ふふん、なるほどね」


 ミカは察したようにニヤリとして見せる。アニはコーヒーを一口飲み、ミカに頷く。


 浜田知世……この騒動の発端である、迷子の黒猫プルート探しの依頼主であり、谷中の地主の中山浩司なかやまこうじ殺しの犯人である浜田芳雄はまだよしおの妻だ。


 彼女は謎の失踪を遂げた後、江ノ島の裏で満月の夜に死んでいるのが見つかったのだが、死因はいまだに不明なのだ。


 アニは眼鏡拭きを取り出し、眼鏡をつまんで丁寧に拭き始めた。


「菊池が言っていたよな、稲村ヶ崎のあの家の周辺には磁場の乱れ……つまり空間の歪みがあるって」


「確かに南国ベイビーで自慢げに話してたね……」


「で、今朝早く、菊池に機材を借りて、江ノ島の知世の発見場所まで行ってきたんだ」


「今朝早くに、江ノ島に?」


「そう、稲村ヶ崎と江ノ島とあと鎌倉にね。やはり検証しないことには何事も先には進めないからね」


 アニの眼鏡が拭かれる度に何かに反射して怪しく光る。やはりアニは菊池と同じ匂いがする……


「まずは結論を言うね。2人の亡くなった状況は、科学の目で見ると似てるなんてもんじゃない」


アニは得意げに一呼吸置くと、拭いていたレンズに息を吹きかける。


「2つの場所から見事に稲村ヶ崎と全く同じ空間の歪みが検知された」


「鎌倉の病院と江ノ島にも稲村ヶ崎と全く同じ空間の歪み?」


「まだ谷中とか検証を進めたいところだが、稲村ヶ崎のあの家周辺は心霊スポットと呼ばれる超常現象が起こる場所だ」


「そうみたいだよね。菊池も神崎も言っていた」


「つまり、超常現象が起こる場所は空間の歪みがあると言える。これは確かだ」


 自然と続きの言葉が私の口をついて出る。


「つまり、その見方から言うとだと。歪みの中でなんらかの超常現象が起きてってこと?……」


「そうだ、そして2人は満月の夜に亡くなった。ルミ、そこから考えられる事って何があると思う?」


「知世と松本の2人は、超常現象と言える漆黒の白猫に殺された……だよね?」


「そう、その通り!ルミ、よくわかっているじゃないか」


 うーん、空間の歪み……それって、私のタイムリープでも起こる事だよね。鎌倉と江ノ島でもタイムリープしてきた人がいるとも言えるけど……って、もう難しくて頭がおかしくなりそう。


 アニの眼鏡拭きと口調が熱を帯びてくる。これは話が長くなりそうだ……


「そこから導かれる自論があるんだ。三つの根拠をで説明するよ……」


「あ、いやアニ、結論だけで良いけど……」


「──って、わぁぁぁ!」


 タイミングを見計らったのか、ユッキーが神々しい笑顔でアニを押しのけて登場した。場の空気が一気に、お花畑のように華やぐ。


「ルミちゃん、ルミちゃん♩私も調べたのよ、これを見て♩」


 自由の女神にようなポーズのユッキーの手には注文用のタブレットが……


「えぇ?」


──フフフ、私の正体を見抜くとは只者ではないな、菊池雄一!


 あの恥ずかしい動画のトラウマが蘇った。ええ、まさか?


「ユッキーちょっと、ちょっと!!」


 しかし、よく見ると例の菊池の動画では無さそうだ。


「え?これって……?」


 それは、江ノ島の神江島神社のホームページだった。読んでみると、催し物の告知が書いてある。


江島御猫伝説えのしまおねこでんせつの伝承会と御猫曼荼羅拝観日おねこまんだらはいかんび  6月21日13時30分から】


 司会は神崎敬三かんざきけいぞう、語り部は神江島神社かみえしまじんじゃの宮司、神江島龍子かみえしまりゅうこ


 私はタブレットに顔を寄せる。


「江島御猫って、先日の石祠?……えぇ?神崎さん、こんなことやってたの?」


 ユッキーが私にウィンクして見せ、嬉しそうに言う。


「ルミちゃんの腕がまだこんなだし、私もこれに興味あるから気分転換に一緒に行こう。フフフ、ルミちゃんと湘南デートだよ」


「!!」


 やだ、大声でこの店でそんな事を言ったら、殺され……って、遅かった。瞬時に店の四方から殺気が放たれた。


「えっ?!」


 聞き耳を立てていた数人の常連客が一斉にガタガタッと席を立ち、殺意を持って私を鋭く睨みつけた。


「ひゃぁぁ……」


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