85話 第十四幕 残された課題 ①
5月19日、15時10分
元の時間へ帰った私は、
今日は神楽坂のお祭りが開かれていて、メイン通りは人で
普段なら私もお祭りを覗きに行くところだが、左腕には包帯が巻かれ首から吊っている状態。自分でも見るに堪えない姿なせいもあるが、どうしても喜んで祭りに行く気分にはなれない。
私の気持ちを察してか、和風モダンドレス姿のユッキーがカウンターの向こうから神々しい笑顔でウインクしてくれる。
いろいろあったし、死にかけるような目にも遭ったが、この店に来ると何もかもがリセットできる。
今日も常連客は数人ほどで、静かな雰囲気が漂っている。私は大きく息を吐いた。
コーヒーを一口飲む。目を閉じる。口当たりは軽く、フルーティーな酸味が私の心をゆっくりと癒してくれる。
──その時、私の横で何かが動く気配を感じた。
ちらっと横目で見ると、小さな黒い影が視界の端をよぎる。私は特に気にせずに再びコーヒーに集中する。しかし、その影が何度も私の周りをうろうろとしている。構って欲しいのだろうか? うん……まぁ、気にしない。
気を取り直し今回の赤いベランダの家の一連の出来事を頭の中で整理してみた。
このニケで飾られていた母の写真から、赤い手すりのベランダで微笑む彼女と、プルートと思われる黒猫が写っている一枚が出てきた事からこの事件は始まった。
この流れで私が特に心配していたのは、
谷中の時は、お店から大時計がなくなったり、蛇口の形が変わったりした程度で済んだが、今回は人一人の命を左右してしまったのだ。
しかし、今のところ確認できる変化はほんの数件くらい……だと思う。
例えば、前々からこのお祭りのためにアニが力を入れて試作品を作っていたクリームソーダ。
あれは何がどうしてそうなったのか、ユッキー考案のニケ特製クリームソーダということになっていた。
──まぁ、この変化はクリームソーダが美味しくなったので、アニには悪いけど問題はない。うん。
あと、これだ……凄く気になる事実改変。レジの横にお客を迎えるように座っていた存在感のある置物の黒猫が消えている。
あれは谷中の事件がひと段落ついた頃から突然現れた……いや、アニ
その代わり、今私の席の隣……先ほどの小さな黒い影の正体。黒猫が私に構ってもらおうと私の腰の辺りに猫パンチを繰り返している。
どう言う事だろう?正真正銘、本物の黒猫だ。あの「ニケちゃん」が本物に変わってしまったのだ。
先ほどお店に入った時、レジ横の置物があった場所で寝そべる黒猫を見て驚く私に、アニは眼鏡をキラリと光らせて言った。
「なるほど……それは興味深い話だね、看板猫のニケちゃんはずっと昔からいるんだが、ルミがタイムリープする前はただの置物だったって言うのか」
アニは、このお店の名前の由来になったのが黒猫「ニケ」だと説明した。正確には3代目らしい……私もとても可愛がっていたと言う事だ。私に懐いているのはそういう事なのか?
タイムリープして事実改変が起こるたびに、ある意味グレードアップしてくるこの現象は一体なんなのだろう??
猫パンチを繰り返す「ニケちゃん」と同じパンチの構えをすると、嬉しそうに「ニャォ」と鳴いた。
──まぁ、これも可愛いから良いけど……
そうだ……菊池が最後に投稿サイトにアップロードするはずだった、ある意味私の恥ずかしい動画が、アップロードされていないこともあった。
起こらなかったはずの火災が起こり、アップロードの事実は消えてしまったようだ。
──コレについても、私にとっては喜ばしいことだ……
私はテーブルに置かれた新聞の写真に目を落とす。藤沢の「ムーンキャットカフェ」の火災の記事が小さく載っている。問題はこれだ。
あの火災でビル全体が焼けてしまったが、犠牲者は1人もいないという。
やはりあの火災は私たちだけを襲ったのかもしれない──事実を捻じ曲げる異物と見なされたせいで。
菊池を狙った黒スーツたちも、私の記憶ではあの時間にビルに火をつけていないのだ。菊池を助けたことで何らかの力が黒スーツの動きを変えた?
さらにスマホに目を向ける。今日は19日。藤沢へタイムリープする決意をしたのは16日。
この日で私は、藤沢にタイムリープする前に鎌倉の病院で、万莉の看病をしている松本貴之と会っている。つまり彼は16日には生きていた。
しかし、タイムリープした私が松本と対峙し、彼が死んでしまった日は14日。
松本は菊池とは逆に、本当は今も生きているはずだったのかもしれない。
もしくは菊池を助けたことで松本が死ぬ事になったのか? 深く考えると頭が混乱する自体だ。
ふと思う。実は今回のタイムリープによって、世界じゅうで松本と同じような事実改変が起こっているのかもしれない……そう考えると背中がヒヤリとする。
そう言えば、飯田橋の駅からここまで来るまでにも数件見知らぬお店があったような……
前言撤回だ、かなりの改変があった……と思う。世界のことについては調べる術がないけれど……
そうだ、松本と言えば……彼と対峙していた時の言葉も気になる。
──あの家の隠し扉の場所さえわかれば、万莉も用無しだ!!
ミカの話によると、松本貴之は多額の借金を抱えて苦しんでいたとのことだ。
隠し扉ってなんだろう??
万莉の家に隠し扉があり、その場所を万莉から聞き出せば、大金が入ると松本は信じていたようだ。 どんなお宝があるのか知らないが……
そして、一番の問題は、その松本がタイムリープらしきチカラを使ったことだ。あれは彼のチカラなのか?それとも誰かに唆されて犯行に及んだのか?
『あぁ?なぜコイツが?!私は…騙……されたのか?!』
松本の最期の言葉だ。
一つだけ確かなこと──満月の夜に、猫の鳴き声。松本を殺したのは間違いなく、漆黒の白猫だ。
そしてあの時、私に振り向かないでと叫んだあの声。あの声は確かに……。
今までの考察を踏まえると、すべてのことに関わっていそうな人物が1人浮かび上がってくる。
想像の中で彼女はエキゾチックな瞳で私を見つめ、ゆっくりと首を傾げる。
酸味のあるコーヒーを一口含み、カップをゆっくりとテーブルに戻す。
息を大きく吐き、戯れてくるニケちゃんを撫でながら視線を窓の外に移す。私は複雑な思いを込めて呟く。
「マユ……」
その時、お馴染みの茶化すような声が私の思考を中断した。
「ナルシストタイムはまだ続くのかい、お姫さま?」
私はコーヒーを軽く吹き出した。
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