79話 第十二幕 証拠の映像 ①

──何だろう?これはまた夢の中に違いない……。


 私は再び子供の頃に戻っていた。


 巨大な施設の中は真っ暗だ。そこここで赤いランプが点滅を繰り返し、サイレンが鳴り響いている。


 ここにいたら最悪の事態になる──幼い私にはなぜかその確信があった。


 宙に伸びる細い通路を母と一緒に懸命に走る。背後では、悪魔の口の中のような赤い炎が燃え上がっている。


 振り返るとその赤い口がニヤリと笑い、甲高い声で叫びながら私たちを追ってくる。


 幼い私は、小さな手で必死に母の手を握りしめて走った。


 いつもは笑顔で声をかけてくれる大人たちが、今日は蒼白な顔で右往左往し──そして突然、目の前で消えていく。


「あの人消えちゃったよ…おかあさん…!!」


 赤いランプとサイレン、そして消えていく大人たち。その異様な光景は、幼い私に耐えがたい恐怖として襲いかかってきた。


 そしてついに、前からも悪魔の赤い口が迫ってくる。


「やだやだやだ!こわいよ!!」


 私はついに泣き出し、その場に立ちすくんでしまう。


 母は立ち止まり、私を強く抱きしめて言い聞かせる。


「大丈夫だよ……あなたはお母さんの子だから大丈夫」


 母の優しい声は、この混沌とした世界で唯一の光だった。


「ほら深呼吸して…大丈夫?」


「うん…」


「じゃ、お母さんと一緒に走ろうね」


「うん!」


 私は小さなこぶしで涙を拭き、再び母の手を握りしめて走り出す。前後から迫る炎を、2人で横道に逃げ込んで何とかやり過ごす。


 幼い私は震えながら何度も心の中で呟いた。


 だいじょうぶ、おかあさんが大丈夫って言うからだいじょうぶ……


 その時、目の前に座り込む男を見て私は驚いた。


「……菊池……」


 菊池は私たちを見ると、ガタガタと震え、怯え切った声で命乞いを始める。


「殺さないで、殺さないで」


「菊池…どうしてこんな所に??」


「殺さないで…」


 その時、後ろから不気味な轟音とともに再び炎が迫ってきた。


「早く逃げないと大変なことになる、菊池も早く逃げて!」


 菊池にそう言い置いて、私は母に向き直り哀願する。


「お母さん、一緒に逃げよう?」


 母は、辺りを見回すとその場でしゃがみ込み、優しく私の頭を撫でる。


 そうして、いつも大切そうに持っていた古い二眼カメラを私に手渡した。


「あれ?そうじゃない……一緒に逃げないと、全員消えちゃうよ」


 母はダイヤルを回し、ファインダーを開いて見せて、私に笑顔で語りかける。


「じゃあ、お母さんはここでちゃんと待っているから。安心して行ってらっしゃいね」


「そうじゃないよ、お母さん聞いて!一緒に逃げたいの!」


 母の瞳は涙で潤み、その声は震えていた。


「それじゃ、一緒にいつもの魔法の呪文を唱えようか……」


「違うってば!」


「──真実を、見極める!!」


 その瞬間、私の目の前は眩い光に包まれた。


 やだ、一緒に逃げたかったのに!!一緒に!!一緒にいたかった!!


「やだよぉ!!お母さぁーん!!!」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


──私は自分の叫び声に驚いて目を覚ます。


「あ、あれ?」


 気がつくと私は、ベッドの上に寝たまま目をぱちくりさせて天井を見つめていた。


「おはよう、眠れる森のお姫さま」


 声の方を振り向くと、両耳を塞いだ刑事ミカが一人掛けのソファーに足を組んで座っていた。


 彼女は私にキレのある眼差しを向けて軽く首を左右に振る。


「私がキレる前に起きて良かったねぇ、今もここからつまみ出そうか考えてた所さ」


「え?あ……私、寝てた?」


 部屋の中を見回して、記憶を手繰り寄せる……そうだ、ここは新江ノ島水族館の近くにある海岸沿いの古いホテルだ。


 ええと、藤沢の火災に巻き込まれ、江ノ島の海岸に謎の大ジャンプをして…そしてミカと合流することができてこの部屋に入ったが、そこからの記憶がない……


「さあ顔を洗っておいで、お嬢ちゃん。夢見る眠り姫の時間はおしまいだよ」


 ミカは皮肉な笑顔で私をバスルームへ追いやり、肩をすくめて両手を広げた。



5月14日 16時13分  < 元の時間軸から−2日 >






「この菊池の悲鳴を藤沢のロータリーで聞いた時はさすがに驚いたさ」


 ミカは長い足を組み直し、缶コーヒーを飲みながら藤沢の件を話しはじめる。


「コイツは私を見るなり、旧ドイツがどうこうと暴れてね。安物黒スーツのあいつらと、私の服の見分けができないなんて、僕ちゃんもいいトコさ。苦労したよ」


 ミカもいつもスタイリッシュに黒スーツで決めているが、どの黒スーツだろうが私もたぶん見分けがつかないだろう……菊地はまだ灰まみれで、何やらブツブツ呟いている。あまりのショックで自分の殻にこもっているようだ。


 私はバスルームで灰まみれの髪や身体を洗い流し、髪を乾かし、ミカが用意してくれたスウェットとパーカーに着替えた。


 正直私の好みじゃないけど、火災で臭くなった灰まみれのワンピースよりはずっと良い。気持ちはとりあえずホッとしたのだが、まだあの火災の恐怖は消えなかった。今もまだ胸はドキドキと鳴り続けている感じだ。


「ミカさんは、その後に身動きが取れないって言ってたけど、その黒スーツ達に狙われていたの?」


「菊池を逃した後も、あいつらに付き纏われてね。あのカフェを知られたら困ると思って巻いていたつもりだったが、別動体があの僕ちゃんを尾行をしていたようだね」


「すると、その黒スーツたちが、あのカフェに火をつけたとか?一体何者?」


「さてねぇ……まだ、はっきりとは断定できないがねぇ」


 どうやら彼女はその男たちの正体を知っているようだが、私が質問する前に話を変えた。


「しかし、火事場の馬鹿力ってやつかい?姫たちはてっきり火災に巻き込まれたと思っていたけどね。あれはビル丸焼けだよ。片瀬海岸に居ると連絡があった時はさすがの私も驚いたけど、とにかく無事でホッとしたよ」


それだ、謎の大ジャンプ。あれは、私が火事場の馬鹿力でやったのではない。


「ねえ、私のタイムリープにはこんなチカラはないよ。二人同時にそれも場所まで移動するなんて‥‥」


 ミカは灰まみれの菊池を、冷たく汚れたものを見るような目で見ながら私に尋ねる。


「姫は二日未来から来たっていうのに、あのネットカフェが全焼するのは知らなかったのかい?いくら何でも私だったら今から火災が起こるビルに飛び込むなんて事はしないねぇ……勇敢で憧れるよ」


 ミカは呆れるようなジェスチャーをしながら茶化している。その姿を見て髪を整えながら、さすがにちょっとムッとした。


「あれはね、二日後のミカさんが立てた作戦で、私はあそこに行けって言われたの!」


「おやおや……じゃ、姫が元の時間に戻ったらキツく叱っておくれよ」


 だめだ……この人の煽りに乗ってはいけない。私は思わず大きく息を吐き、今回何が起こったのかもう一度考えてみた。


「私の居た時間ではあのネットカフェが火事になるなんてニュースはなかった。考えられる事はただ一つ……死ぬはずだった菊地を助けようとした為に時空が歪み、起こるはずのない事が起こった……」


 チラリと菊池に視線を移すが、彼は相変わらずブツブツ何かを呟いている。


「運命に抗うことは水に泳ぐ魚に逆らうようなものって、言葉があるけどね。何か大きな力が、歪んでしまった運命をあるべきところに戻そうとしたのかねぇ?」


 そう言うとミカはいつになく真剣な顔で宙を見つめる。


「要は、姫がいた時間と言うか世界が大きく変わったって事だよね?このまま元の時間に戻ると、ややこしい事になるのじゃないのかい?」


 そう言って、私に非カフェインのカモミールティーの缶を投げてよこす。喉の痛みや炎症を和らげる効果があるらしい。先ほどの火災の煙で声をやられてしまい自慢の美声が台無しである。


 私はカモミールティーを飲み、再び大きく息を吐いて心を鎮める。


 不安はあるが、今やるべき事を思い出す。菊池が万莉の家で撮影したビデオをミカと見ることが、この日にタイムリープした目的なのだ。


 思考が少しずつクリアになるとともに、目の前の現実が焦点を取り戻す。そうだ…… ビデオはどこにあったっけ?

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