80話 第十二幕 証拠の映像 ②

5月14日 16時43分


 そうだ…… ビデオはどこにあったっけ?


 私は先ほどからブツブツと呟き続ける菊地きくちをそっとうかがい、彼の正面にまわって訊ねる。


「菊地さん、この間撮ってもらった二股の家のビデオだけど…どこにあるの?」


 菊地は無言のまま、機材が入ったバッグを指差した。人の話はちゃんと聞こえているようだ。


 ただ、その動きは重く、目は虚ろで焦点が合っていない。かなり自分の奥の奥の硬い殻に閉じこもっている様子だ。


「いいかい、中を調べさせてもらうよ?」


 ミカが断ってから菊地のバッグのジッパーを開け、中を調べ始める。食べかけのポテトチップ。南国ベイビーのVIPカード。よくわからない機械。


 そして──小さなSDカードが数枚。


「これだ……!!」


 私は思わず声を上げる。


「この動画が証拠になるってことだね。これで犯人が特定できたら、お手柄ってヤツだよ、お姫さま」


「ここで映像が見られるの?」


「ここで見ないと、どこで見るってね……」


 ミカはキレのある目を細めると、車から持ってきた自身のケースを開き、手早くノートパソコンをセッティングして、SDカードを差し込む。


 ミカの手つきは慣れたもので、一連の動作に一切の無駄がない。パソコンのモニターが光り、動画が再生される。


「あ、出てきた、万莉まりちゃんの家だ!」


 画面に万莉の家が映った瞬間、あの惨劇の日の光景がフラッシュバックする。再び私の胸が苦しくなる。鮮やかな映像の中で、あの日の恐怖と無力感がよみがえり、私は両手を握りしめてそれに耐えた。


 動画は朝早くから撮影されていたようだ。ミカと私は、しばらく食い入るように映像を見つめる。


「あ、誰か出てきた!!」


 ドアが開き、万莉が家から出てきて元気よく走っていくのが映る。表情までは見えないが、その溌剌はつらつとした笑顔が容易に想像できる。


 胸が刺されたように痛み、私は思わずぎゅっと目を閉じる。


 この日この後、万莉の家族が……そして万莉は……


 彼女の笑顔がこの後の悲劇によって木っ端微塵こっぱみじんにされてしまうことを思うとたまらなくなる。


 私は溢れそうな涙をまばたきで必死に散らし、心の中で万莉に叫ぶ。


 ──何もできなくてごめん……

   ごめんね、万莉ちゃん……!!



5月14日 17時45分


 1時間が経った。


 食い入るように画面を見つめていたものの、郵便屋がのんびりとやってきて郵便受けに何かを入れた以外、今のところ映像に変化はない。


「元々人通りが少ない心霊スポットだからね、幽霊でも出てくれた方が張り合いがあるけどねぇ」


 ミカが2本目のカモミールティーの缶を投げてよこし、欠伸あくびをしながら動画の早送りのボタンを押す。


 私は画面から目を離さずに、慎重に缶のプルトップに指をかけた。


5月14日 18時20分


──その時、突然動画に変化が起こった。


「ミカさん、止めて!」


 私の声に、ミカは動画を通常モードに戻した。私たちは改めてモニターに顔を寄せる。


「──なんだいこれは?」


 動画が乱れ始め、風景がまるで霧に覆われたように色褪いろあせ、壊れた蛍光灯のように点滅して見えた。


 ミカは立ち上がってポケットから目薬を取り出し、目に点しながら面倒臭そうな顔で呟く。


「ったく安物のSDカードはこれだからねぇ……」


 ──しかし私は、この光景に息を飲んだ。心臓が激しく鼓動し、冷や汗が背中を伝う。


「──この光景……私知っている!」


 以前、谷中でタイムリープに失敗して倒れた時にこの目で見た光景だ。忘れたくても忘れられないあの不気味な光景──


「姫はこの光景を見た事あるのかい?」


 私は叫び出さないよう両手で口を覆い、ミカの問いにコクコクと頷いた。


「これは……空間の歪み……!!」


 風に揺れる木々が早回しのように激しく動いたかと思うと、次の瞬間、逆回転のような不可解な動きを見せる。


「!!」


 突然、画面全体が青白い光で満たされた。


 その光は一瞬で輝きを増し、中心から広がり始めた。それは瞬く間に大きな円形の光輪を形成する。


 そしてその中に、異次元への扉が開かれるような不思議な光景が現れた。


「青白い光の輪が出来たね、ライオンにでもくぐらせるのかい?最高のイリュージョンじゃないか」


 軽口を叩きながらも、ミカのその目はキレと光を増し、パソコン画面をじっと凝視している。


 いや違う!なにこれ? 


 これは……くぐると言うよりも……そこから……


 その刹那、私は予想通りの光景を目の当たりにする。


「あぁ!!」


 何もなかった所に突然、人影が現れた。


「人?!人が……!タイムリープ?!」


 画像の乱れではっきりはわからないが、左手に斧のようなものを持っている。後ろ姿からも、その冷徹な殺意がはっきりと感じ取れる。


 その人影は万莉の家の方にゆっくりと向かっていく。


「!!!!」


 私は言葉を失う。恐怖が全身を駆け巡り、手のひらが冷たくなる。


 ミカは冷静に動画を止め、人影を拡大する。


「なんだこの映像は。出来そこないのB級ホラー映画みたいだね、別世界から殺人鬼の登場かい?」


 私は身を乗り出し、動画をスロー再生させる。


 万莉の家に向かう人影は、門の前で足を止めた。そして、ゆっくりと左右を確認する様な素振りを見せる。


「辺りを伺っているね、どう見ても楽しくお茶を飲みに行く感じには見えないねぇ」


 私はミカと顔を並べて画面を食い入るように見つめる。


 その時、人影は一瞬、カメラの方に顔を向けた。犯人と思われる人影と私たちとの目が合う。


「!!」


 背中がゾクリとし、肌が粟立つのを感じる。冷たい汗が首筋を伝う。


 ただ、画像の乱れで人相がよくわからない。ミカはブツブツ独り言を続ける菊地の方に振り向き、怒鳴る。


「次から動画は8Kで撮るんだね!売れないインフルエンサー君!!」


「これじゃ、犯人はわからないよ!」


 ここまできて、犯人の顔がわからないなんて……


「えい!この……!」


 思わず私は両手を伸ばし、ノートパソコンを持ち上げてそれを左右に振る。


「姫!!落ち着きな……!!パソコンが壊れる。まだ手があるさ」


「だって……!!」


「だってじゃない、昭和姫!さっさとその手を放しな!」


 迫力に押された私がしぶしぶパソコンを置くと、ミカは動画を止めて手早く特別なアプリに移す。


「ふふん。これでどうだい?ノイズを外してご対面だよ」


「凄い……画像がシャープになっていく……」


 ノイズが取り除かれると、映像は徐々に鮮明になり、まるで霧が晴れるように細部が浮かび上がってくる。


 犯人と思われる人影の、足から腰・腹部に胸、そして首……


 不鮮明だったシルエットが段々と人間の形を取り戻してゆく。私は息を詰めてその変化を見守った。


 そして、顔が高解像に変換された。乱れた画像が完全にクリアになった瞬間、時が止まったかのように感じた。


「そ、そんな!!!」


 目の前に現れた顔に私は叫び声をあげた。ミカも同じように目を見開いて叫んだ。


「コイツは……!!」


 そこに映っていたのは、今この瞬間、鎌倉の病院の一室で万莉を見守っているであろう人物。


 ──万莉の叔父の松本貴之まつもとたかゆきであった。


 その酷薄で残忍な形相が、私の脳裏に焼き付いた。私は椅子を蹴って立ち上がっていた。


「万莉が……万莉ちゃんが危ない!!!」


── 第十三幕「対峙」へ続く。 

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