73話 第十幕 このチカラがある限り…… ②


5月16日 17時30分


 万莉の病院を辞した私は、鎌倉から神楽坂の写真喫茶店「ニケ」に向かい、アニにタイムリープの結果を報告することにした。


 店に入ると、例の黒猫の置物の前で和モダンな着物ドレスに身を包んだユッキーのにっこり神々しい笑顔が私を迎えてくれる。


「ユッキー、ただいま!」


「ルミちゃんお帰り。退院おめでと♩凄く心配したよ、お顔見せて……うーん、いつも通り可愛いけどちょっと顔色が悪いかな。特別スペシャルコーヒーと何か美味しいもの作ってあげるからね」


 特別スペシャルコーヒーは、私の体調やメンタルに合わせた絶妙な調整が施されたもの。愛情こもった特別バージョンの、まさに女神のコーヒーだ。


 私の女神はカウンターに入り何かを作り始める。すぐにいい香りが漂ってくる。


 テンションが上がりワクワク感いっぱいだ。アニはどこだろう?私は店内を見回す。


「あ、ルミちゃん。アニさんは今買い物でいないよ」


「あ、そうなんだね」

 

 いつものように、ユッキーの指示で買い出しに行っているのだろう。店長のアニとアルバイトのユッキーだが、ここは突っ込まないのがこの店のルールだ。


 お気に入りの席へ向かおうとした私を、ユッキーが呼び止めて小声で囁く。


「あ、あと、奥の部屋で、例の鬼刑事がお待ちかねよ」


 ユッキーは私に極上のウィンクをして微笑んだ。


 鬼刑事とはミカのことだろう……


 今回のタイムリープは、ミカから依頼されて、容疑者である神崎や菊池の当日のアリバイを調べるためのものであった。なのでミカが結果を聞きにこの店に来るのは当然だが、せめてアニがいる時に来てほしかった……


 彼女と1対1で話せるほどには、まだ私は警戒心が解けていないのだ。


——また何か茶化すように話すんだろうなぁ……


 注意深く店の奥に入ると、長身で黒スーツの似合う都会派の女性がスタイリッシュに座っていた。刑事ミカは、私に例のキレのある笑顔を見せる。


「おや、時をかけるお姫さまのお帰りだねぇ。収穫はあったかい?」


 開口一番これだ……まぁ悪気は多分ないのだろうけど、まだこの調子に慣れない自分がいる。彼女のキレのある笑みは、どこか凄みがあり、正直怖い。


 ふと、彼女のテーブルに置いてあるモノに目を移す。サクランボとバニラアイスの上に大きな猫の肉球クッキーが刺してある。


 アニ曰く独自のマーケティングを駆使して、かなり前から試作を繰り返しなんとかメニューに入れたものだ。


 神楽坂に来る若い女性をターゲットに用意していると言っていたが、予想通り人気はさっぱりだ。


 唖然としてミカと肉球クリームソーダを見比べていると、ミカはバニラアイスをつつきながらニヤリと笑う。


「何を見ているんだい?職業柄、苦い案件ばかりだし、同僚もむさ苦しい奴ばかり。口に入れるものはせめて甘いものが良いんだよ。絵になるだろう?文句あるかい?」


 私はあまりのギャップに吹き出しそうになるのをうつむいて誤魔化し、ブンブンと首を横に振った。


 ミカはバニラアイスを可愛い女子のように器用にスプーンですくい、話を続ける。 ミカが甘いものに目がないと言うのは本当だったのか……


 私はミカと対角線上の席に座り、とりあえず彼女の話に耳を傾ける。


「そんなことより、アニにも話したけど、私の周りでも少しキナ臭くなってきてね」


「キナ臭い?」


「そうさ、稲村ヶ崎の一家殺害の件。テレビや週刊誌だけかと思っていたら、ウチらにも上から圧力がきているようで、これ以上あの家を調べられないみたいなんだよ。とにかく、下っ端は振り回されっぱなし。これは何かあるね」


「上から圧力? 警察が圧力をかけられているの?」


──あれ?どこかで聞いたことのある言葉だ……


 私は以前、海岸沿いのカフェに現れたマユの話を思い出す。


──事件の当日にはタイムリープできないわよ。あの家のことをこれ以上探るのはやめた方がいいわ。あなたの手には負えないわよ……


 マユの言っていたことと、警察が圧力を受けてあの家の捜査が出来なくなることに何か関連があるのだろうか? 確かにミカの言う通りキナ臭い。


 私はミカに、容疑者である神崎敬三と菊池雄一のそれぞれのアリバイについて報告した。ミカは満足そうにニヤリと笑うとサクランボを口に入れながら器用に答える。


「オーケー上出来だよ、さすがは時をかけるお姫さま。神崎については羽田の搭乗名簿を調べておくよ。名前があれば、シロって事だ。問題は菊池雄一、彼は未だに行方不明でね……」


「……」


──「南国ベイビー」で私の依頼を受けた彼は、あの惨劇の日の当日、万莉の家の前で動画を撮り、その帰り道に私に会っている。そしてその後、彼は行方不明になっているのだ……


「一体、あれから何処に…」


「で、今野万莉の家に行く途中ですれ違った男は確かに菊池雄一で良いんだよね?」


 引き攣った顔で首を傾げながら指を突きつける彼が頭の中に浮かぶ。


「もちろん、あれは一度会ったらある意味忘れられないよ」


──本当に、菊池はあの日を最後にどこに行ったのだろう?




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