72話 第十幕 このチカラがある限り…… ①
5月16日 15時11分
私はタイムリープで元の時間に戻ってきた。 思えば今回は、退院した後すぐ万莉の家にタイムリープで跳び、元の時間軸に戻りアニやマユの忠告を聞き、ヒデ子ママと接触した後に再び時間を跳び、神崎・菊池のアリバイを調べて……など、ここまで本当にいろいろとあった。
——しかしこの元の時間軸に帰ってくると、当然だけれど私は病院から退院したばかり……
このタイムリープ生活を続けていると、私だけ先にお婆ちゃんになってしまうような……それを思うとヒヤリと背筋が寒くなる。まぁ、でも……考えてもしょうがないことか?
そうだ。退院と言えば、先に退院してしまったので一つ心残りがある。今できることをしてあげたい。
——私は神楽坂の「ニケ」に戻る前に鎌倉行きの江ノ電に飛び乗った。
そして鎌倉に着くと、駅前の小さなフラワーショップへと足を運ぶ。
店内はみずみずしい香りで満たされ、色とりどりの花々が生き生きとした彩りを放っていた。私は、窓際に飾られたピンクのチューリップとガーベラに目を留める。
「ピンクのチューリップは愛、ガーベラは希望と、ちょっとした幸せのメッセージなんですよ」
と店主が優しい笑顔で説明してくれた。 そのメッセージを彼女のイメージを重ねてみる。人懐っこい笑顔で前向きで心優しくて……。うん、倒れる前のあの子はそんな感じだった。
「それならこれで決まりだな」
私はそう答え、フラワーアレンジメントを注文した。
「こんなに心を込めて選ばれたお花をもらえる方は、お幸せですね」
店主はお花を包みながら私に微笑んだ。 その笑みに私の胸の中がほんわり温かくなる。
「──どうもありがとう」
私は満面の笑みを返し、ピンクのチューリップとガーベラのアレンジメントを受け取る。
この可愛らしい花の芳しい香りで、少しでもあの病室が明るく華やかなものになると良いけど……
私は鼻歌を歌いながら、鶴岡八幡宮へと続く段葛を足早に進む。
桜の木から新しい葉が育ち、新緑のアーチがとても眩しい。ツツジの花壇を曲がり信号を渡ると、目的の鎌倉病院が見えてきた。
病院の正面玄関から入りエレベーターを待っていると、「あら、ルミさん!」と聞き慣れた声がした。
振り返ると、万莉の部屋の件でお世話になった看護師のイナベが立っていた。
「確か今日午前中に退院されたのよね?おめでとうね。調子はどう?まだ先日みたいに無理はしないでね」
面倒見の良さそうな彼女は、笑顔で私の肩をポンと叩いた。
「はい!ありがとうございます」
「あら綺麗なお花ね、もしかして6階の今野万莉さんのお見舞い?」
「そうなんです」
「そう、警察の立ち入り禁止は解除されたものね。お見舞いができるようになって本当に良かったわね」
私はピンクのチューリップとガーベラのフラワーアレンジメントをイナべに見せて笑顔で頷く。
「退院する前に万莉ちゃんの部屋を覗いたらお花がなかったので……それで買って来ました」
「それは万莉ちゃんも、松本さん夫婦も喜ぶと思うわ。夫婦交代で付きっきりでしょ、旦那さんの方も足が悪いのに大変だと思うわ。私たち、そちらの方も心配でね、倒れないと良いけれど……」
エレベーターが開く。イナベは笑顔で私に手を振った。
「万莉さん、早く目覚めると良いわね。彼女が目覚めたらこちらからも連絡しますね」
「ありがとう、よろしくお願いします。万莉ちゃんとは一緒に病院に運ばれた仲でもあるしね」
この看護師さんのおかげで不安だらけの入院生活もなんとかやっていけたと思う。私はそう答えながら、感謝を込めて笑顔で手を振った。
「──え?ルミさんは……」
看護師が不思議そうな顔で何か言いかけた──
「ん?何か……言った?」
しかし、そのままドアが閉まり、エレベーターは6階へ昇っていく。
──イナべさん、何が言いたかったのかな?帰りにでも聞いてみよう……そう思いながらも私は万莉のことで頭がいっぱいになる。早くこのお花を渡してあげたい♩
手に持ったフラワーアレンジメントを確認すると、606号室の前で呼吸を整え、ノックしてドアを開ける。
「はい、どうぞお入りください」
叔父の松本は、前回と同じように椅子に座り、万莉の様子を見守っていた。こちらに振り向き会釈をする。
「おや、ルミさん。確か今日退院されたそうで……本当に良かったね」
「ありがとうございます。あの‥万莉ちゃんの様子はいかがですか?」
そう尋ねるが、彼は寂しそうに首を振るばかりだ。杖を突きながら付きっきりの看病で大変なのだろう、疲れが顔に滲んでいる。看護師のイナべさんのいう通りだ。私の胸がズキンと痛んだ。
私はフラワーアレンジメントを小さなサイドテーブルにそっと置き、軽く整える。そしてベッドに横たわる万莉に向かって優しく話しかけた。
「万莉ちゃん、早く目覚めるように祈っているからね。大丈夫だよ、大丈夫」
すると万莉の
「──え?」
今、確かに彼女の瞼が……!
「万莉ちゃん?──もしかして、聞こえているのかな?」
私のやり取りに気づいた松本が、私の後ろから嬉しそうに語りかける。
「先ほども瞼が動いてね、もうすぐ意識が回復するかもしれないね。嬉しいね、目が覚めたら何をしてあげようかね‥‥」
松本は、目を潤ませながら万莉をしばらくじっと見つめ、私に微笑んだ。
この優しい叔父さんのためにも、早く目が覚めて欲しい……万莉ちゃん!早く目を覚まして!
私は彼女の手を優しく握り、心の中で語りかけながら暫くの間、回復を祈った。
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