71話 第九幕 多次元からの指令 ③
5月10日 19時25分 < 元の時間軸から−6日 >
私は、
神崎は一瞬驚いて私を見て、
「何だ、また君か?」
と面倒そうな顔をした。
「こんばんは、神崎さん。先ほどはお時間いただき、ありがとうございました」
私はできるだけ自然な笑顔で先ほどのお礼を言った。神崎はドスの効いた渋い声で答えた。
「さすがは
「いや、偶然ですよ。踏切を渡ったら神崎さんを見かけて驚きました」
「ふん……まぁ、電車に乗り遅れてしまってね……何か用か?」
遠回しに神崎に今日の続きを聞いてみることにした。
「あの、綺麗なお花ですね」
「こんなくたびれた老人には似合わないだろう?」
神崎はわざとユリの花を自分の顔に近づけて見せる。私は慌てて答えた。
「いえいえいえ、神崎さんの綺麗なロマンスグレーの髪にユリの花がとても似合うなぁ、と、そう思って声をかけました、ハイ」
神崎は私の心の中を見透かすように苦笑する。
「君はお酒飲んでるな、顔が真っ赤だぞ」
酔っている事がバレバレって!私は両手を頬に添えてみる。ここまで走って来たのもあるが、確かにホッカイロのように熱い。神崎の言う通り顔が真っ赤なのだろう……
「ハハハ。まぁ、褒め言葉として受け取るよ。この歳だと褒めてくれる人もおらんからなぁ」
その後、手元のユリの花を見て悲しい目になり、
「まぁ、娘がいてな……」
とポツリポツリと話し出した。
「娘さん……ですか?」
「明日は娘の命日でな、毎年命日にはこの花を届けに行くんだよ。あの子は、我が家で咲くこの花が好きだったからな……もっと早く出かけるつもりだったが、あの後も玉子さんが家にまた押しかけて来てなぁ……忙しいと言うのに出かけるのを邪魔するんだよ、あの性格何とかならんもんかね」
「お花を届けにって……どちらまで行かれるんですか?」
神崎は、暮れかかる空を眺めながら呟いた。
「まぁ、これから飛行機で札幌だ」
「あ…札幌、ですか」
彼の話には心が痛んだが、その後の札幌という言葉を聞いて私は安堵していた。神崎が明日、稲村ヶ崎にいなかった理由がわかったのだ。 彼のアリバイは立証される。
「確か君は、あの家のことを知りたがってたな?」
「あ、はい……です」
「フム……」
神崎はそう言うと再び手元のユリに目を移し、厳しい表情を作る。
「しかし、あの家の父親には腹が立つ。若い娘2人がいるというのに、あんな化け物屋敷に住まわせるとは」
──あ、もしかしてそう言うこと?
私は神崎の表情から察して尋ねた。
「あの、亡くなった娘さんって高校生くらいだったのですか?」
暫くの沈黙の後で、神崎はユリの花に目をやりながら呟いた。
「そうじゃな──あの家の下の子もそうだが、上の子が、娘にどことなく似ててな、明るい良い子じゃないか。あんな化け物屋敷に合わん」
──その時。
駅の横の踏切が鳴り始めた。江ノ電の警笛が遠くから聞こえる。神崎は私の方を向くと大きく息を吐いた。
「また少し話し過ぎたな……まぁ玉子さんのことを言えんわ」
神崎は茶色いカバンとユリの花束を持ち、切符を買って改札口に向かった。私は彼の背中を見送りながら、声をかけた。
「お話してくれて、ありがとうございます、神崎さん!」
神崎は私に背を向けて最後にこう言った。
「玉子さんなぁ、君のことは知らんと言ってたぞ。キミは一体、誰なんだ?ワハハハ」
──あれ?バレていた?
私は目が点になりながらも、背中越しに手を振り江ノ電に乗り込む神崎を見ていた。
赤いテールランプをきらめかせ、江ノ電はゆっくりと駅を離れていく。
私はそれを見つめながら、神崎が持つユリの花束を思った。命日に毎年咲くその花が、亡くなった娘の面影を蘇らせているのだろう。
私は神崎の悲しみを思いながらも、彼のアリバイを確認できたことに何よりホッとしていた。
酔い覚ましに駅前の自販機でお茶を買い、近くの公園へ向かった。キーキーとブランコを揺らしながら、今日あったことを整理する。
とりあえずミカの言う容疑者2人には会った。
神崎のアリバイは、まず立証できると思った。元の時間に帰って、刑事ミカに犯行当日の札幌行きの乗客名簿を調べてもらえば良い。
ちょっと甘い見通しかもしれないが、
そもそも明日、
マユの話だと、明日は何故か私はここに居てはいけないと言う。けれど、もう私が明日までここに居なくても、元の時間に戻り、ミカに報告をして菊池雄一の撮ったビデオを見れば、万莉の家族を殺害した犯人がわかる。
私はお茶を一気に飲み干す。すっかり暗くなった夜空に綺麗な月が輝いていた。美しい月明かりに照らされた公園は、あちこちでキラキラと光り神秘的な雰囲気を漂わせていた。
まずは、2人のアリバイがあることをミカに報告。赤いベランダの家のことはそれからだ。
「うん、元の時間に帰ろう……」
私はアンティークな二眼カメラを赤いリュックから取り出した──。
── 第十幕「このチカラがある限り……」へ続く。
――あとがき――
この度は貴重なお時間を割いてまで読んでいただき、誠にありがとうございます。フォローやコメント、★での評価をいただけますと、創作活動のモチベーションが向上し、大変嬉しく思います。第二章、ルミの物語はもうすぐクライマックスを迎えます。引き続き、楽しんでいただけると幸いです。
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