66話 第八幕 事件前日へ ①


5月10日 11時45分  < 元の時間軸から−6日 >


 万莉まりの家族惨殺事件の前日、そして元の時間軸から6日過去に跳んだ私は、スマホで時間を確認した。11時45分。どうやらお昼前にタイムリープしたようだ。


 万莉はまだ学校にいるはず。そしてこの日の私は神楽坂かぐらざかのニケにいる。鉢合わせの心配はない。安心してこの場所を動き回れる。


 もう一度、ヒデ子ママから貰った神崎敬三かんざきけいぞうの写真を見る。白髪で彫りが深く、鋭い眼光に口は見事なへの字口。玉子たまこの言う通り取っ付きにくそうな顔立ちではある。


「さすがにこの写真は現在のだよね……」


 私はとりあえず稲村ヶ崎いなむらがさき駅のすぐ裏の神崎敬三の家に向かう。呼び鈴を押すがまた返事がない。


「あれ?そう言えば……」


──この町の公民館の会合でお世話になっているの、よくお話しするのよ。昨日もお話ししててね──


 ふと、ここまで案内してくれた世話焼きな玉子の話を思い出す。


「そうだ。神崎は今、公民館にいるんだった」


 私は急いで稲村ヶ崎の公民館に向かった。この街の小さな公民館では、地域の住人の為に色々な催し物も企画しているらしく、掲示板に【本日、鎌倉歴史研究会10時から】と書いてあった。


「この会に神崎と玉子さんは参加していたのかな?」


 中に入ろうとした時、ちょうど会が終わったのか年配の男女数人が出てきた。私はその中の女性の一人に声をかけた。


「こんにちは、研究会は終わりました?まだ中に神崎さんは居ますか?」


 女性は私をジロジロと私の全身に目を走らせながら答える。


「神崎さんなら、まだ中にいると思うわ。さっきまで話好きな玉子さんに捕まってたけど、やっと解放されたと言ってたわ」


 女性は好奇心旺盛な目であらためて私を見る。


「あなた見ない顔だけど神崎さんのお知り合い?あ、玉子さんのお友達?」


 私はどうとでも受け取れるよう、曖昧に笑顔で頷く。玉子と私は明日出会うはずなので実際はまだ友達ではないのだが。


 女性は靴を履こうとするが、足が浮腫んでしまったのか苦労している。


「そうなのね、玉子さんは誰でも友達にしちゃうからね、本当に楽しい人。まぁちょっとお喋り過ぎるけどね、あなたもそう思うでしょ?」


「あはは、うーん、そうですねー」


「そうそう、彼女、何か明日大事な事があるとかで、その準備があると言ってたわ、もう帰ったみたいよ」


 私はお礼を言うと公民館の中に入る。中にはすでに人影はほとんどない。


 歴史研究会の看板が置いてある部屋に入ると、中庭に面した窓際で、缶コーヒーを片手にぼんやり座っている年配の男性を見つけた。膝の上ではトラ猫が気持ち良さそうににくつろいでいる。


 私は部屋の入口で大きく深呼吸をして息を整える。そして男性に近づき声をかけた。


「あの、神崎さんですか?」


 振り返ったのは先ほどの写真通り、白髪……いやロマンスグレーで彫りが深く眼光鋭い、渋いヒゲのおじい様。


『この人が容疑者の一人?』


「──確かに私は神崎だが、あなたはどなただったかな?」


 神崎はヒデ子ママと似たようなドスの効いた声で応える。私は一瞬言葉に詰まるが、なんとか頭を働かせ、出来る限り自然な笑顔で自己紹介を始める。


「私は玉子さんの友だちでルミと言います。神崎さんがこの地域のことにとても詳しいと聞いて……ちょっとだけで良いので教えて頂けたら嬉しいです」


 私は近くの折りたたみ椅子を開き、図々しく神崎の横に置いて座る。神崎の膝の上で寝ていたトラ猫が、うるさいニャーと言わんばかりに薄目を開けて私を睨む。


 神崎はトラ猫を撫でながらフムと言い、鋭い目で私の顔を見る。私は内心ドキドキしながらも、なるべく自然な笑顔で神崎の顔を見返す。彼の表情が少し柔らぎ、困った様な顔でこう言った。


「玉子さんの知り合いか。彼女の話好きには困ったもんだが……彼女が私に何でも聞いて来いと言ったのか?」


 私は笑顔を貼りつけたままコクコクコクと頷く。


 神崎は少し考え込み、やがて口を開いた。


「まあ、せっかくだから聞きたいことを言ってみなさい。ただし、答えられる範囲でだけだぞ」 

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