閑話休題3 〜写真喫茶ニケにて〜

5月16日 15時32分  


 神楽坂かぐらざかの裏路地の一角にひっそりと佇む、写真喫茶店「ニケ」。


 その店内は落ち着いたアンティーク風で、流れるのはジャズピアノの心地よいBGMと淹れたてのコーヒーの香り。


 壁には店主のアニや常連客が撮った写真が雑然と、実は絶妙なバランスで飾られている。


「アニさん、お疲れさま。今日のおやつはスペシャルバージョンで作ってみたよ」


 看板アルバイトのユッキーが、カウンター席に座るアニに声をかけた。近々開催される神楽坂の祭りにあわせた和モダンな着物ドレスが、彼女の女神オーラをいっそう引き立たせている。


 先ほどまでルミと電話で話していたアニは、壁の時計をチラリと見ると、メガネを外して眉間を軽く揉んだ。少し疲れが滲み出てはいるが、その仕草や表情はいつもと変わらず穏やかだ。


「おっ、今日は抹茶プリン?しかもホイップクリームとサクランボ付きじゃないか。嬉しいねぇ、元気が出るよ」


「アニさんも、ルミちゃんに元気になってもらうために一生懸命だったからね、今日はご褒美に2皿食べて良いよ♪」


 ユッキーはカウンター越しに、抹茶プリンの乗った皿を2つ差し出す。そして、アニ専用のマグカップ──去年のクリスマスにコマルママから贈られた、美人の黒ネコが取っ手に付いた陶器のカップ──に丁寧にコーヒーを注いだ。香ばしい香りが立ちのぼる。


 いつもながら、カウンター内の小さな空間を巧みに使いこなすユッキーの所作は、軽やかで優雅で無駄がない。


「それは嬉しいね。じゃ遠慮なくいただくよ、ちょっとエネルギー使い果たした感じだからさ」


 アニは大好物のプリンを2つも前にして、嬉しそうにいそいそとスプーンを手に取る。


「……ルミちゃん、かなり気落ちしてたもんね。無理はないけどさ……」


「だよな……ルミもせっかく母親の新しい手がかりが見つかって、気分上がってきた所だったのに、大変なことに巻き込まれて……」


 アニは頬杖をつきながらスプーンでプリンをすくい、レジ横の黒猫の置物──通称「ニケちゃん」──の方を見ながら話を続ける。


「俺だって、あんな残虐な事件に遭遇したら正気でいられるかどうか……」


「うんうん、私だったら当分はその現場には戻れないと思う……ルミちゃんって強いよ」


「まぁ、母親探しがルミの希望の光だからな……そして何よりあの家の唯一の生き残り、万莉まりへの思い入れが強いみたいだな」


 アニはホイップクリームをたっぷり乗せたプリンを口に入れると、満足げに片眉を上げ、スプーンを器用に指で一回転させる。


 それを見たユッキーは、アニの前に置いたもう一皿のプリンを自分もスプーンで少しすくって口に入れ、満足そうにうんうんと頷く。


「──万莉ちゃんって、ルミちゃんと一緒に病院に運ばれた子でしょ?やっぱり、あの惨状を共有しちゃったからには放っておけない、守ってあげたいって気持ちなのかな?」


「まぁ、一緒に運ばれたわけじゃないみたいだけどな。確かに、万莉も家族が突然いなくなってさ……ルミのことだ、これからのあの子のことを考えて、なんとかしてあげたくなるのは当然のことだよ」


「そっか……」


 ユッキーは深く頷きながらさりげなくもう一口プリンを口に運び、ふと顔を上げる。


「って……ルミちゃんって、あの家から万莉ちゃんと一緒に救急車で運ばれたんじゃないの?」


「あ、そうそう。あの病院の、婦長みたいな貫禄ある看護師さん……イナベさんだったかに聞いたんだけど、ルミはなぜか稲村ヶ崎いなむらがさきの海岸で倒れている所を発見されて運ばれたそうだ」


「海岸?え?だって、あの家から海岸まで結構あるって言ってたよね?」


 ユッキーは、切れ長の大きな目をますます大きく見張ってアニへ疑問を投げかけた。その間も彼女が手にしたスプーンは、優雅にプリンをすくい続けている。


「そうなんだよ、そこはミステリーでさ」


「ルミちゃん、1人で海岸まで逃げて倒れたのかな?それとも誰かに助けられて海まで運ばれた?」


「それは考えにくいな……目撃者も1人もいないみたいだし」


「でも、アニさん。あの時、一度ルミちゃん電話で連絡してきたんだよね?」


「そうそう、で……あの時のことを思い出すとさ、確かにルミの声の後ろで波の音が聞こえてたんだ」


「そのこと、ルミちゃんには話したの?」


「いや、今のルミにとっては情報量多すぎだろ?まだ話してない。今回のヒデの件といい、ちょっとルミに負担がかかり過ぎている」


 アニはプリンをまた一口食べ、しばし考え込むように目を閉じる。


「そっか……ミステリーだね」


 ユッキーの驚きの声に、アニはゆっくり頷いた後でコーヒーを一口飲んだ。


──その時、店のドアベルがカランコロンと涼しげな音を鳴らした。ユッキーが反射的に女神の微笑みを作って入り口を振り返る。


「いらっしゃいませ♩……鬼刑……じゃなかった。刑事さん!」


 刑事ミカは、いつものスタイリッシュな黒いスーツ姿で颯爽と現れた。かと思うと獲物を見つけた猫のように目を光らせ、カウンター席のアニの隣に素早く滑り込む。


「おや、ちょうど良いね。スイーツタイムかい?」


 ミカはそう言うと、アニのプリンの上に乗ったサクランボを素早く摘まみ、自分の口に放り込んだ。


「あー!この不良刑事!!窃盗罪じゃないのか?!」


「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ、サクランボ1つにみっともないね、不敬罪でしょっぴくよ」


「口からサクランボの茎を出しながらよく言うよな…説得力がないんだよ」


「相変わらず、小さい男だね。せっかく新しいネタを持ってきたけど廃棄するかい?」


 その声にアニのメガネがキラリと光る。


「ったく……なんだよ新しいネタってさ。いくら契約とはいえ、あまりルミに負担かけさせるなよ」


「負担って、ヒデのことかい?大丈夫さ……最近はヒデとは連絡のみで直接は会ってないが、周りの奴らから聞こえてくるのは、信じられないほど丸くなったって話ばかりだからさ」


「警察も手を焼いた伝説の暴走族の元ヘッドだろ、更正して丸くなったのか……信じられないほどに。まぁ、テレビでよくある話だよな。とにかく今のルミになるべく負担かけさせたくはないんだがな」


「ふふん、優しいパパだねぇ。姫が羨ましい限りさ……」


 ミカはニヤリと笑ったかと思うと、スーツの内ポケットからマイスプーンを取り出し、素早くアニのプリンをすくって口に運んだ。


「花の独身男に向かって、誰がパパなんだよ──って、コラ!食べるな!」


「おや、スイーツの提供も契約のうちの一つじゃなかったのかい?」


「知らん!そんな人道に反する契約はたった今忘れたぞ!!」


 2人のやり取りをしばらく呆れ顔で見ていたユッキーが、ため息をついた後で口を開いた。


「刑事さん、新しい情報ってなんですか?」


 そう尋ねながら、カウンター越しにミカにカフェラテを差し出す。器用に描かれた今日のアートは藁人形だ……


「ふふん、さすが用意がいいね。そう、情報だよ情報」


「なんだよ、その情報って」


「察しはつくと思うが、二股の先の家での猟奇殺人は、捜査がかなり難航していてね。怪しい人物の目撃情報は少ないし、あれだけ派手に血飛沫が上がっているのに外にはまるで血痕がない。犯人は一体どうやって逃げたのか?」


「なるほどね、それで苦労して絞り出したのが、ルミがこれから調べる容疑者なんだな」


「そう、しかしそれも一筋縄じゃいかない奴らだよ。そもそもこの事件、谷中やなかの時と同じでどこのメディアも未だこの事件には一つも触れていない」


「──何かの圧力がかかっていると言いたいわけだ。谷中の時と同じに……」


 ミカはアニに向かってニヤリと口角を上げて見せ、藁人形のアートラテを美味しそうに飲み始めた。


「──つまり、谷中の中山殺しと稲村ヶ崎の猟奇殺人は繋がっていると?」


 アニの問いに、ミカが目を閉じて軽く息を吐いた。


「まぁ、まだ仮定の中の話さ……ただ、私の勘では間違いなく繋がっているね」


「繋がっている、か……前に言った、何かの大きな流れの中に、俺たちは巻き込まれているってわけだな」


 ユッキーもスプーン片手にカウンターに頬杖をつき、神妙な顔で何度も頷いた。


「うんうん、何かない方がおかしいよね。絶対何かあるんだよ。そもそもあの赤いベランダの家で、ルミちゃんのお母さんが黒猫プルートと一緒に写っていたでしょ」


 アニはふと、目の前のカウンターに置かれた2つの皿を見つめ、天井を仰ぐ。


「──そうだな、それと……ほとんど食べていないこの2皿のプリンが空になってることについても、おかしいと思ってくれると嬉しいんだけどな」


「え?アニさんってば、なに言ってるの?」


 と、あどけなく可憐に首を傾げるユッキーの口元にはサクランボの茎がのぞいていた。


「あっ、我ながら美味しくてつい1皿食べちゃったよ、テヘ♪」  


「テヘ♪じゃないよもう…」


「アニさん、後で補充のサクランボ買ってきてね♪」


「おぃおぃ、それはないだろ……」


──その時。


「??」


 ユッキーとミカがぴたりと口をつぐみ、顔を見合せる。


「ん?どうした?」


 アニが2人を見て怪訝な顔をする。ユッキーとミカはゆっくりとレジ横の黒猫の置物に視線を移し、揃ってそれをじっと見つめた。


「って、お前ら!プリンを食べ尽くしたことを誤魔化すために、何を……」


 アニがそう言いかけると、2人は同時にシーッと口元に人差し指を当てる。


「何か、視線を感じるね。殺気はないがこの視線は……人間のものじゃないね」


「アニさん……確かルミちゃん、この猫の置物は事実改変で現れたって言ってたよね?」


「言ってたよな。事実改変前は、この置物のニケちゃんは存在していなかったって」


「私も今一瞬ね、前にはこのニケちゃん、いなかったかも……って違和感を感じたよ」


 ミカも大きく頷いている。


「私もそう思っていた所さ、これも姫のイリュージョンのチカラなのか。面白いじゃないか」


 アニは2人の会話にキラリとメガネを光らせて、残りのコーヒーを飲み干した。


「ほぅ……興味深いね。もしかしたらこの置物のニケちゃんが、全ての謎の答えを知っているかもな」


──彼らの姿をレジ横からじっと眺めていた黒猫の置物の瞳の奥で、青白い光がメラメラと揺らいでいた。



──第七幕「ミカの情報屋」へ続く。

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