62話 第七幕 ミカの情報屋 ①

5月16日 16時17分


「PunkHeat……パンクヒートかぁ……」


 刑事ミカに、情報屋ヒデの経営する店の名前と住所をメッセンジャーで聞くと、すぐさま返信が来た。……イカつそうな、いかにもという店名である。


 私はもう一度ヒデの写真を見る。彼の雰囲気を一言で言うと飢えた狼のようで、彫りの深いこけた頬にギラギラと光る瞳が、幾度もの闘いを生き抜いて来た野生味を感じさせる。


「鎖とかでグルグル巻きにされないかなぁ。鉄パイプとかはもう懲り懲りだよ……」


 その時、もう1通メッセージが送られて来た。ヒデの経歴らしい。


「え?こんなの必要ないと思うけど……」


 私は添付されていた経歴を恐る恐る読む。


 ──その昔、かの湘南しょうなんの地には、戦国時代を彷彿とさせるほどの勢力争いに満ちた時代があった。


 小さな暴走族の集団が、領土を巡り日夜、熾烈な争いを繰り広げていた。


 街ごとに独自の覇権を主張し、抗争の火花は絶え間なく飛び散っていた。その結果、この地の治安は極めて悪化し、住民たちは不安の中で暮らしていた。


 しかし、その混沌とした時代に、恐れを知らぬ3人のリーダーが台頭する。


 彼らはそれぞれの暴走族のチームを束ね、力の均衡を生み出した。三つ巴の勢力はお互いに牽制し合い、長きに渡って睨み合いが続いた。


 皮肉なことに、この三者間の均衡こそが、湘南の治安を奇妙なほどに安定させたのだ。


 いつしか人は、その3人を湘南トリプルゴッドと呼んだ。


 そして、その3人のうちの1人が、ヒデという名の男である。彼は3人の中でも、1番気性が荒く、怒り出したら手に負えない。


 しかし彼を慕う人たちは言う──反面、ヒデは今もただの元暴走族のリーダーではなく、時代を象徴する存在だと崇められているのだと──。


──ここまで読み、私は大きく息を吐く。


「あぁ、ヤダもう、読まなきゃ良かったよ。誰が書いたの?もう怖いよ」


 嘆きながらもともかく、メッセンジャーに書かれた稲村ヶ崎いなむらがさき駅のすぐそばの小さな商店街へと向かう。


 この辺りの商店街は、観光客向けよりも地元の人たちの生活のためのお店がほとんどで、「Punk  Heat」という看板はどこにも見当たらなかった。


「あれ?商店街もひと回りしたはずけど……住所、間違えてるのかな?」


 私は近くのパン屋の主人に、メッセージに書かれた店の名前を見せる。


「あの、ごめんください。この辺りにこんな名前のお店ありませんか?」


「ん?どれどれ?見せてごらん」


 にこやかに応じたパン屋の主人の表情が、店の名前を見た瞬間一変した。目を丸くし、次に怪訝な顔で私をまじまじと見る。


「えっ……お嬢ちゃんが、この店に行くの?」


「あ、はい……一応」


「えっ?そ、そうなんだ……行くんだ」


 店の主人は左右を見回すと、私に顔を少し近づけて小声で囁く。


「ここだけの話、冷やかし半分でお嬢ちゃんが行くところじゃないよ。その……世界が違うでしょ、アナタとは……」


 その言葉を聞き、ますます恐怖感がアップし手に嫌な汗が滲んでくる。あぁ、アニに任せた方が良かったのか。


「いえ、決して冷やかしとかじゃないんですけど……行けと言われて」


「行けって……そんな……イジメか何か?」


「あ、そんな、脅されてとかじゃなくて」


 さすがに刑事に頼まれて、子飼いの情報屋に殺人犯のアリバイの情報を聞きに来たとは言えない。


 主人は気の毒そうに私を見て、何度かうんうんと頷く。


「そうかい、何か事情があるのかい。何もなければ良いけどね。その店なら、ここの角の1番奥だから……」


 パン屋の主人に手を振られ、笑顔で返すが、すでに私の顔は緊張でコチコチになっていただろう。


 私は足取り重く、パン屋の主人に言われた角を曲がり、先へと進む。


「あれぇおかしいな、ここさっきも来たのに……奥にあったお店って、確か可愛い看板のお店しか……」


 そう呟きながら、道の突き当たりのお店に着く。


「え?」


 私は目を丸くしながら、メッセージの文字とお店の看板を見比べて驚愕する。


「Punk Heatじゃなくて……」


 ハートで形取られた可愛い看板には、丸文字でPink Heartと描かれていた。


「ピンクハート??」


 私はお店の前で意味がわからず立ち尽くす。


 もう一度メッセージに書かれた店の名前を確認すると、「Pink Heart」と書かれていた。


「えぇ?私の読み間違い?」


 先入観とは本当に恐ろしいものである。ヒデの写真を見た私の脳は、勝手に文字を変換してしまったようだ。


──その時。


「ゴォラァ!オマエはここで何してるんだ!」


「ひゃっ!」


 後ろから雷鳴のような大声が轟き、私は悲鳴を上げて首をすくめた。


 振り返ると、筋骨隆々でガタイの良い角刈りの中年男性が──淡い水色の愛らしいワンピースを着て立っていた。


「?!」


 一瞬、頭の中が真っ白になる。が、次の瞬間、


「わぁ、男の娘?いや、オバさん??」


 あまりの展開に、心の声が漏れてしまった。


 男のオバさんは、ドット柄のワンピースのスカートを可愛くひるがえしながら近付いて来た。


「誰が男のオバさんだ、ゴルァ!!」


「わぁ、口に出ちゃった!ごめんなさい!」


「オマエ、さっきもこの辺りで何か探ってただろ、ゴルァ!」


 男のオバさんは私の前に来ると、グイと顔を近づけ睨みをきかす。その瞬間、私は甘く可憐な香水の香りに包み込まれる。


「怪しい奴だ、どこの回し者だ、ゴルァ!」


 ビジュアルとダミ声と香りの激しすぎるミスマッチに、私の脳はパニックに落ち入る。が、わずかに機能していた灰色の脳細胞が、とっさにこの窮地を切り抜けるための最適な言葉を計算して絞り出す。


「あ、えっと、あの、情報屋ヒデの仲間ですよね? わ、私はヒデと同じ刑事ミカの情報屋で探偵のルミと言います。ヒデはいますか?」


 私はそう言いながら男のオバさんを見上げる。彼、いや彼女?は、長いまつ毛のつぶらな瞳で何回かパチパチと瞬きした。


──雷鳴のような大声が一瞬止まる。江ノ電が発車する音が遠くから聞こえた。


 良かった。効果があったかも!


 そう思った瞬間、大男の娘は身体中を震わせる。


「あ……?」


 男のオバさんの瞳から、真珠のような大粒の涙がこぼれ落ちる。


「オ、オ、オマエ……俺たちの尊敬するヒデさんを呼び捨てに……」


「えぇっ!!」


「それもヒデさんを小汚い情報屋呼ばわりかぁ?」


「えぇ!それもダメ?!」


 男のオバさんはフリルの可憐なワンピースを揺らしながら、目からボロボロと大量の涙を流す。


「それも、あの不良刑事ミカの仲間だとぉ!!」


「わぁ、話が違うよぉ!!」


 逃げようとした瞬間、太く長い腕が素早く伸び、私の赤いリュックを鷲掴みにする。


「ヒデさんの前で土下座させてやるからなぁ、この不良の仲間めぇ!!」


「やだやだやだ、助けて!!」


 私は足をバタバタさせるが、リュックごと持ち上げられて、「夢のひと時Bar PINK HEART」と描かれた扉の奥に連れ込まれる。


「やだぁ!!」


 パステルピンクの可愛い扉が、ギィィーー、バタンと絶望的な音を立てて閉まった。

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