57話 第四幕 ~残された者の運命~ ③

 万莉まりの病室から出ると、私は大きく息を吐く。看護師のイナべが私の肩に手を乗せたまま、エレベータの前まで付き添ってくれた。


「まずはね、ルミさんが元気になることが大事よ、その後で何が出来るかよね……」


「……はい、そうですね」


 看護師の言葉に素直に頷く。家族が突然いなくなってしまった彼女に対して、今の私にできる事はなんだろう?


 閉まるエレベーター越しに満面の笑みで手を振る看護師さんに会釈をすると、私の頭の中である思いが渦を巻いた。


 そのまま自室に戻る気分になれず、7階のナースステーションの脇にある面会ルームのシートに座り、窓の外を眺める。


 目を瞑ると再びあの悍ましい光景がフラッシュバックして、万莉の悲鳴が頭の中にこだました。心臓が波打ち、呼吸が乱れ身体が震え出す。私は胸を押さえ、何度も深呼吸をする。


「──お姉ちゃんだいじょうぶ?」


 ふと見ると、面会を待っているのか小さな女の子が黒猫のぬいぐるみを抱いて心配そうな顔で私を見ていた。


「……うん、大丈夫。お姉ちゃんは元気だよ。ネコちゃん可愛いね」


 私は女の子に優しく微笑み、小さくガッツポーズを作る。彼女は安心したようで、ぬいぐるみを私に見せた後、手を振り面会ルームから出ていった。


 私も手を振り返しながら、少女の持っていた黒猫のぬいぐるみを思い出す。


「プルートみたいだったな……」


 谷中やなかの黒猫プルート探しから始まり、行方不明になった母の手がかりに繋がる赤いベランダの家を探し、事件に巻き込こまれることになった一連の出来事が、走馬灯のように私の中に流れていく。


 万莉という少女はまだ目が覚めない。あの家に住んでいた他の家族は全員殺されてしまった。行方不明の母の手掛かりを調べる術がなくなってしまった。


「どうすれば良いんだろう……」


 再び窓の外を眺めた。遠くに見える湘南しょうなん海岸が西日でキラキラと輝き、タイムリープの時の不思議な光のようだ。


「あんなことさえ起こらなければ……」


 私の中に大きなとある葛藤が渦巻いていた。


 

──部屋に戻ると、アニが腕を組んで待っていた。


「ルミ、顔色が悪いよ。体調は大丈夫かい?」


 彼の心配そうな問いに、私は表情を見られないよう慌ててそっぽを向く。アニはしばらく沈黙してから言う。


「マユの言葉を覚えているよね。くれぐれも、今回起こった殺人事件、それを無かったことにするような、事実を歪める行動だけはやめて欲しい」


 ズバリ言い当てられ、何も言えない私はだんまりを決め込む。


 アニは買って来たお茶のペットボトルの蓋を開けて私に差し出し、さらに念を押すように続ける。


谷中やなかの芳雄さんの時もそうだったと思うけど、何もできない歯痒い気持ちはわかる。しかし、私たちの優先順位は赤いベランダの家探しだよな」


「……」


「不幸にして殺人事件が起こってしまったけど……もう一度言うよ。あの家が赤いベランダの家なのか確かめることだよね」


 私はアニの言葉に頷き、お茶を貰い一口飲みながら、本当はベランダを見せて貰うだけで済んだことなのにと思う。


『あの家族はなぜこんな目にあったのだろう?』


 私はその時、タイムリープで事件が起こる前の日に飛び、万莉か家族にベランダを見せて貰うことを思いつく──


 けれど、過去にタイムリープしても、これから万莉一家に起こる惨劇を知りながら、それを伝えたり事実を変えたりはできないのだ。


 そのことに耐えられるだろうか?自分の無力さを痛感し、さらにタイムリープを使うことへの不安と心身の悪化への恐れが募る。


 しかし、少しでも事件の真相に近づく手がかりを見つけるために、覚悟を決めようと思った。自分に出来ることはやりたい。やってみる価値はあると感じる。


 アニは私の様子を見ていて何かを感じたのか、


「その選択はルミにとってとてもツラいことになると思う」


「……」


「良いかい?過去に戻っても大きく歴史を変えるようなことは絶対しないこと。そして、自分に手に負えないことが起こったら一人で背負わないで相談して欲しい」


 そして私の顔を覗き込み念を押すように言う。


「それから、お願いだから今はしっかり休むこと。約束だよ」


「──うん、わかった」


 私は決意を込め、今度はアニの目をしっかりと見て頷いた。


—— 第五幕「歯痒さの中で」へ続く。

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