48話 第一幕 ~タイムリープ探偵、再び。~ ④

5月12日 12時56分


「──いや、ルミに元気になって欲しいと思って、少し刺激的なドリンクをさ」


 アニは眼鏡を整えて頭を押さえながらユッキーに弁解している。ユッキーが持って来た冷たい氷を3ついっぺんに口に頬張った私は、ハムスター状態でそれを見ている。


「アニさん、このドリンクは自分自身で試したの?」


「あー、いや……大事なルミにね、まずはね。理論上は……」


「本当にもう……」


「そうだ、次は中辛スパイスで試して……」


「──アニさん、またルミちゃん泣かせたら……」


「いやいやいや、だから泣かせてないから、ねっ?」


 アニは、私や店内にいる常連さん達を気にしながら、何度も首を振る。


 口の中はヒリヒリするが、2人のやり取りを聞いていていると心がふんわり和んでくる。同時に今まであった身体の重さが消えてきたようだ。


 ふと、壁に掛かっている母の写真を眺める。母はいつもと変わらず、優しく私を見ていた。その笑顔が、私の背中を押しているように思えた。


 私は、そろそろ行動に移すタイミングかもしれないと感じる──



5月12日 13時00分


 「ニケ」の壁にかけられた小さな時計の鐘が、控えめに1度鳴った。


 千駄木せんだぎの公園での一件以降、事実改変の影響なのか「ニケ」の名物だった時計が何故か変わってしまったわけだが……


 時にはうるさいと思っていた大時計の鐘の音に慣れてしまっているので、いまだにこの音は物足りない。


 あの後、時計と同じく以前と変わっているものがないか店内を調べてみると、お手洗いの扉の飾り窓の形と蛇口の形が変わっているのを発見した。


 メニューの種類と、生ミルクを入れる小さい容器が以前と違うような気もするが、これらは気のせいだろうと思いたい。


 間違い探しのノリなら良いが、店内でもそうなのだから、街全体、いや世界中で、私が知らないとんでもない数の何かが変わったのかもしれない……


 そんなことをとりとめもなく考えつつ、アニとユッキーのやり取りがおさまるのを辛抱強く待つ。


「──いやいやいや、あのドリンクはまだ改善の余地アリだね、次は期待しててくれよルミ」


 懲りない様子のアニが、頭をさすりながら私の向かいの席に座る。その言葉は聞かなかったことにして、私は姿勢を正しアニの顔を見る。

 

「アニ、ちょっといいかな?」


「ん?何だい?」


「明日、稲村ヶ崎いなむらがさきへ行ってみようと思うの」


「え?明日か……えらい急だな」


「うん、あの写真に写っていた赤いベランダの家を探すことがお母さんの行方を知る手がかりになるって、アニ言ってたでしょ?」


「そうだよ、まぁルミに任せるって言ったけど……」


「だから明日にしたの、決めたから。あの家の場所を調べてみようと思う」


 私がそう言うと、アニは私の顔をジッと見つめる。


「ん、どうしたのアニ?」


 彼はやれやれといった顔をして暫く天井を仰ぐ。やがて、喫茶店の店主ではなく探偵のボスの顔になって口を開いた。


「了解だよ、ルミ。いつも通りこの「ニケ」から必要な情報は随時流していくし、不明な事が起こったらすぐに連絡してほしい」


「うん、わかったアニ」


「それと、江ノ島で亡くなった浜田知世はまだともよの件や、ルミが見た谷中やなかの御猫神社と同じような江島御猫祠についても、ユッキーと一緒に調べておく」


「うん、ありがとう」


 最後に、アニはいつになく真剣な顔で言った。


「今回は聞き込みだけで良いからね。タイムリープは無理には使わずに聞き込みだよ。もしタイムリープする時は、一言連絡して欲しい。無理をせずに赤いベランダの家の情報を集めること」


 アニは念を押すように私に言い聞かせる。


「──うんわかってる。谷中の時みたいにタイムリープを繰り返すのは私も怖いから大丈夫だよ」


 谷中で繰り返しタイムリープをした結果、空間の歪みが大きくなり、私自身も危うく時空の狭間に消えそうになる経験をした。あの体験だけは2度としたくないと思う。


「同じ地域でタイムリープを繰り返すことで空間の歪みが大きくなるようだし、くれぐれも無理はしないようにな」


 私はマイカップをテーブルに置き、アニに笑顔でオーケーのサインを出して見せる。


「明日、まずは稲村ヶ崎辺りから聞き込みを始めてみるよ。何かあったら必ず連絡するから。

 ユッキー、コーヒーご馳走さま、今日のも凄く美味しかった♪」


 ユッキーは神々しい笑顔で私にウィンクする。


「ルミちゃん、湘南しょうなんに行くの?良いなぁ、もう海も気持ちの良い季節だよね。今度一緒に湘南デート行こうよ♩」              


 それを聞き付けたお店の常連たち─ユッキー親衛隊たちが、一斉にガタガタッと立ち上がって私を睨み付ける。


「ひゃっ!!」


 私は首をすくめて立ち上がり、赤いリュックを掴むと店から逃げ出した。


—— 第二幕「赤いベランダの家探し」へ続く。

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