46話 第一幕 ~タイムリープ探偵、再び。~ ②

5月12日 12時15分


「いらっしゃいませ♪」


 気付くと私は、神楽坂かぐらざかの喫茶店「ニケ」に足を運んでいた。


 神楽坂は石畳の坂道が風情ある街並みを作り出しており、古い町家が立ち並び、路地裏には隠れ家的なバーが点在している。


 その路地の一角に喫茶店「ニケ」はある。ニケの店内はアンティーク風で、アニや常連客、そして母が撮った写真が雑然と、実は絶妙なバランスで飾られている。


 古いスピーカーから低く流れるジャズと淹れたてのコーヒーの香り、全てが心地よく、気持ちが落ち着く。ニケは私の職場であると同時に、一番心安らぐ場所。私の日常はここにある。


「ルミちゃん、お帰りなさい♪元気だった?」


 お店の扉を開くと、ここの看板アルバイト、ユッキーが着物地のモダンなドレス姿で私を出迎えてくれた。


 モデル並みの美貌を持つ彼女がにっこりと笑顔を見せるだけで、この古い写真喫茶店はおとぎの国のお洒落なカフェに変身する。彼女は私の憧れの存在だ。


「わぁ、ユッキー、今日はモダンな江戸のお姫様みたい♪凄く素敵だよ。カッコ良い」


「嬉しい!ルミちゃんありがとう♪もうすぐ神楽坂のお祭りでしょ?期間限定の衣装だよ」


「そっか、お祭りはもうすぐなんだね。そう言えば常連さんも今日はテンション上がっている感じ」


 ユッキーはケタケタ笑い、私に顔を寄せて囁く。


「この時期にお店の売り上げ倍増だ!ってアニさんも何か考えてて鼻息荒いけどね。のんびりして行ってね──あれ、ルミちゃんちょっと顔赤くない?」


「えっ、ううん、気のせいだよ!まだ5月だっていうのにこの暑さだもんね、あぁ暑い暑い……今日はユッキーのスペシャルコーヒーが飲みたいな」


 私がお店に置いてあるお気に入りのマイカップを指差すと、ユッキーは嬉しそうに頷いた。


「ちょうどルミちゃんのお気に入りの席が空いたばかりだよ、そこで少し待っててね」


 そう言って極上のウインクをして見せると、ユッキーは良い香りを残してカウンターに戻っていく。


 私はお気に入りの席に座ると、壁に飾られた母の写真に挨拶を済ませ、椅子にもたれてほっと息をついた。


 この席とマイカップ、そしてユッキーの淹れてくれたスペシャルコーヒーの組み合わせが、私にとっての最高の癒しの時間をくれる。


 私はユッキーのコーヒーが来るまで軽く目を瞑り、これまでの出来事を整理していた。


 江ノ島で死体となって発見された知世ともよの死因や失踪の理由は未だに不明で、夫の芳雄よしお中山なかやま殺しを自白した事で逮捕されている。


 そもそもすべての始まり──浜田はまだ夫妻から探してほしいと依頼を受けていたオッドアイの黒猫プルートも、依然行方不明のままだ。


──プルート……いや、僕らの漆黒の白猫を返せ!!このゲス野郎!!──


 芳雄の言葉だ。


 プルートは漆黒の白猫だと言っていた。谷中やなかの御猫神社に伝わる漆黒の白猫伝説。


 人に富をもたらすが、満月の夜にその目を見ると呪い殺されてしまうと言われる伝説の猫。


 そんな猫が本当に実在するのか?

 江ノ島の知世の発見現場の近くには、漆黒の白猫に関係するかもしれない猫を祀った石祠せきしがあった。


 この石祠についてもインターネットで調べたが、それらしき情報は今のところ何も出て来ていない。


 そして、行方不明になっている母の写った赤いベランダの写真に、プルートと瓜二つの黒猫の姿が……一体、母とどんな関係があるのだろう? 


 私は目を開き、スマホの待ち受け画面をじっと見つめた。谷中の事件以来、あの御猫神社で微笑む母の写真を壁紙にしている。


 母は穏やかな笑顔を私に向けていた。私は髪をかきあげ、軽く息を吐く。


「ルミ、また谷中の事件の事を考えているね?」


 アニの声が背中越しに聞こえた。

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