閑話休題2 ~写真喫茶ニケにて~


4月20日 14時00分


 神楽坂かぐらざかの裏路地の一角にひっそりと佇む、写真喫茶店「ニケ」。


 その店内は落ち着いたアンティーク風で、ジャズピアノの心地よいBGMと淹れたてのコーヒーの香りが漂い、店主のアニや常連客が撮った写真が雑然と、実は絶妙なバランスで飾られている。


「ユッキー、そろそろ一旦休憩にしようか?」


 ランチタイムの客が一段落し、店内を見渡してひと息つくと、アニは看板アルバイトのユッキーに声をかけた。


「あ、じゃ、休憩入りますね〜」


「お疲れさま。今、コーヒー淹れるから、ドアの看板をクローズによろしく」


 そう言いながらコーヒーをカップに注ぐアニに、ユッキーが黒猫模様のエプロンを外しながら呆れ顔で呟く。


「またアニさん……お店ごと休憩?このお店の経営大丈夫かなぁ」


「いやいやいや、経営強化のための休憩だよ。最近、新メニューの開発のことでも時間取らないとと思ってさ」


「あー、何か作っているよね。今のところ美味しそうに見えないけど……」


「今度の神楽坂のお祭りまでには完成させようと思っているんだ!ユッキーも協力してくれよ」


 アニはドヤ顔で言い放ち、カウンターの椅子に座って頬杖をついているユッキーの前に淹れたてのコーヒーを置いた。香ばしい香りが辺りに広がる。


「……言っておくけど、私は試飲とかしないからね〜」


「え?何で?」


「嫌な予感がするから……私の予感、最近当たるんだ」


「ちょ、そこをなんとか。下手したら、あの鬼刑事ミカがどうこう言ってくる前に、経営不振で夜逃げしないといけなくなるからさ」


 ユッキーはアニの顔を見ると、ヤレヤレといった感じで両手を広げる。


「まぁ、ルミちゃんのためにも、このお店を無くさないようにしないとね。私も頑張って売り上げに貢献するよ」


 ユッキーはそう言ってコーヒーカップに口を付け、ふとルミのお気に入りの席に目を向ける。


「あれからルミちゃんお店に来ないけど、ちゃんと休養とっているかな……かなり顔色悪かったから心配」


 アニは手早く食器洗いを済ませると、黒猫模様のエプロンで手を拭きながら店の時計を見上げる。


「今日は江ノ島に行くって言ってたな。気分転換らしいけど、ルミのことだからなぁ。変なことに巻き込まれてなければ良いけど……」


「え?江ノ島って、あの黒猫プルート探しの依頼主が発見された場所でしょ?気分転換にならないじゃない」


「だよなぁ、ただ、一度浜田知世はまだともよさんにお花を供えたいって言ってたからさ」


「そっかぁ、今回の事件は色々あり過ぎたし、自分の気持ちを整理するためでもあるのかな……」


 アニはテーブルの前に腰を下ろすと、眼鏡を外し、丁寧に拭き始める。そして、やはり頭の中を整理するようにゆっくりと話し始めた。


「今回の中山なかやま殺しの犯人は芳雄よしおだった。これは、まぁ予想を外してはいない。動機も十分だし、今後証拠が揃えば……刑事事件としてはこれで一件落着するだろう」


 ユッキーは、またいつものアニ節が始まったという顔をしながらも、コーヒーカップの縁を指でなぞりながらうんうんと頷く。


「ただ、芳雄の妻の知世は中山と元恋人同士だった。この2人は偶然か必然か満月の夜に死んでいる。何かあるよな」


「うん。これは、何かありそうだよね」


「そして、この事件の発端である迷子の黒猫プルートは、中山が探していた漆黒の白猫だと、芳雄はルミに言っていた……」


「満月の呪いの伝説を持つ漆黒の白猫ね。でも、それって本当なのかな……芳雄は中山に暴行されて意識が朦朧としていたのでしょ?何かの聞き間違いとか、もしくは比喩的な……」


「そうだよな。第一、そんな伝説の化け猫を飼うとか信じられるか?俺たちは、化け猫探しの依頼を受けたってことになるよな」


 ユッキーは目を伏せ、カウンターにサービスで置いてあるチョコを一つつまむと、口に入れてから呟いた。


「化け猫探しの依頼かぁ、要はそういうことだよね。ルミちゃんのタイムリープで、不思議なことには慣れてたつもりだけど、今回はまた格別だね」


「それだけじゃない、化け猫探しの依頼は偶然の事故と思っていたけど、その化け猫と、全く関係のないアイツ……行方不明になったルミの母さんが一緒に写っていた。これはなんなんだ??」


「それこそ偶然の事故じゃなくて、あの依頼は必然だったのかもしれないってこと?」


「そうとしか考えられないよな……」


 二人はしばらく、それぞれ天井を眺めながら黙って考え込んでいた。


 暫くするとユッキーは目を閉じてため息をつき、コーヒーカップを口に運ぶ。


「もしかして私たち、前にアニさんが言っていたように、何かの流れの中に引き込まれているのかもしれないね」


 アニは彼女の言葉に軽く頷いた。


「──流れね、良い流れだと良いけどな」


「うん、ルミちゃんのお母さんが見つかって幸せになる流れなら大歓迎だけどね」


「そうだな。そのためには赤いベランダの家探しの前にルミには休んで貰わないと。タイムリープのし過ぎなのか調子悪そうだしな」


「本当だよね」


 ユッキーが力強く同意した時だ。


 店のドアベルがカランコロンと涼しげな音を鳴らした。ユッキーが反射的に女神の微笑みを作って入り口を振り返る。


「すみませーん、今準備中なん……ってコマルママ!」


 辺りを払うようなオーラを放ちながら入ってきたのは、神楽坂のメイン通りでインド料理レストラン「ガンジス」を経営しているコマルだった。


 彼女は、当然ながら子供の扱いに不慣れなアニをずっと手助けし、長い間愛情こめてルミを見守ってきた。


 ルミからはコマルママと呼ばれ、その名前が定着したようだ。


「ナマステ……って、あらら。お邪魔だったかしら?白昼のご休憩タイム。刺激的な背徳のシチュエーションね!」


 深緑のサリーを身にまとったコマルママは、インドの神様のような瞳をキラリと光らせて2人を興味深げに見つめる。


 彼女は皆が認める人格者ではあるが、恋愛系のネタには目がないようで、常に誰かを結びつけようとすることに情熱を注いでいる。


 ちなみに彼女が手がけた恋愛成就率は今のところ0%と専らの噂ではあるが。


「これのどこが刺激的で背徳なのか、説明して欲しい所だよな」


 アニは肩をすくめて苦笑いをして見せる。軽やかな身のこなしでカウンターの椅子から滑り下りたユッキーは、力いっぱいのハグをしてコマルママを歓待する。


「コマルママ、お久しぶり。この時間にいらっしゃるなんて珍しいですね」


 ユッキーに優しくハグを返すと、コマルママは肩にかかる漆黒のロングヘアーを長い指で払ってから、三毛猫プリントの紙袋をアニに手渡した。


「そうそう。アニさん、ご依頼の品を持って来たわよ。特製なのでコレは取り扱い注意よ」


「ありがとうママ。こちらから取りに行ったのに。まぁおかげさまで、新メニューもクオリティー爆上がり間違いなしだよ……って何してるのかな?」


 アニの声に、まるで探査機で宝物を探すかの如く店内をくまなく見回していたコマルママが、キッと振り返った。魂まで射抜かれそうなその眼力に、ユッキーが一瞬ビクッと固まる。


「いえね、これを届ける目的もあったのだけど、ちょっと気になってね」


「気になるって、お店に何か?」


 そのまま、アニとユッキーがコマルママの動向を油断なく見守っていると、彼女は突然目を見開き叫び声をあげた。


「あらら!灯台下暗しってこのことね!ミステリアス!あんまり近くにあってわからなかった」


「何か?……ありました?」


 アニがそぅっと訊ねると、コマルは微かに震える指で、レジ横の存在感ある黒猫の置物を指差した。


「この置物って……いつからあったのかしら?」


 ルミと同じことを言うコマルに、アニとユッキーは目を合わせる。


「いや、昔から……あったよな?」


「そうだよね、私が初めてお店に来た時からあった……ような?」


「いえね、ガンジスのお店の瞑想タイムに感じたのよ、ニケの方角から漂うこのサスピシャスな黒猫の違和感を……」


 驚いたことにコマルは、ルミのタイムリープで生じた事実改変による違和感を感じ取っているようだった。


 なぜ、こんな能力を持つママの世話焼き恋愛成就率が0%なのか、理解に苦しむ。


「そ、そうなんですね。コイツは昔からここに置いてある置物で……」


「そうなのかしら??忘れている私がおかしいの??」


「まぁ、落ち着いて。せっかく来たのだし、少し休んで行ってくださいよ」


 アニはどうとでも取れるような笑顔を見せると、ユッキーを促してコマルに座ってもらい、コーヒーの準備にかかる。


 長い付き合いで全幅の信頼おけるコマルママではあるが、ルミのタイムリープについては話していない。知るのは「ニケ」のメンバーだけで十分だ。


 それが今回、よりによってあの刑事ミカに知られてしまったわけだ……非常に便利な、ある意味チートなルミのタイムリープであるが、知れば知るほどリスクも感じる。


 下手すると、事実改変どころかルミの存在そのものが危うくなるというのだから。


 次の赤いベランダの家探しでは、谷中の時のようなタイムリープは決してしないよう、くれぐれもルミに言っておかないと。コマルママの話を聞きながら改めてアニはそう思った。


──その時。


「??」


 ユッキーとコマルがぴたりと会話を止め、顔を見合せる。


「ん?どうした?」


 アニが2人に問いかける。ユッキーとコマルがそれぞれ肩や腕をさすりながら辺りを見回す。


「うん…今、一瞬何か嫌な感じがした気がしたんだけど……うーん、気のせい?」


「ええ、今、またどこかからサスピシャスな違和感を……でもそうね、気のせいかもね」


「そうだな、気のせいだよ」


 コーヒーの香ばしい香り漂う店内で、3人は再び何事もなかったように、和やかに談笑を続けた。


──彼らの姿をレジ横からひっそりと眺めていた黒猫の置物が一瞬、微かに震えた……


──本編:第十二幕 「エピローグ:そして湘南」に続く。


――あとがき――

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