37話 第十幕 ~試される運命~ ④
3月08日 24時03分
不意に芳雄の手が離れた。私は咄嗟に足音が聞こえる反対側へと、呆然と見ている芳雄の知人の側を走り抜ける。
草むらを飛び越えた時、後ろから過去の私の叫び声が聞こえた。
「えぇ?人?──やだ、大丈夫ですか?」
間一髪、鉢合う寸前であった。私は公園の奥に逃げこむ。
以前、中山の事務所を張り込みした時は知らなかったが、意外と大きい公園だ。奥には高低差もあり、階段があちこちに設置されている。私はマユの言葉を思い出す。
──自然の摂理が何がなんでも異物を排除しようとする──
『いくらなんでも警察の対応が早すぎる。どうやら過去が変わってしまっただけじゃないようだ──早くこの時間軸から脱出しないと、本当に危険かもしれない』
しばらく走って進むと、道は途絶えて行き止まりになっていた。肺が痛くなり息が上がってくる。
「そんな……」
今来た道を振り向く。過去の私が追いついて来たら、さらに警察や中山が追って来たらと思うと、顔から血の気が引いていく。
ここでタイムリープをして元の時間に戻ったら?一瞬その考えが頭をよぎるが、すぐに首を振る。
『元の時間軸のこの辺りは、空間の歪みが大きくなっている。そこに跳ぶのはリスクが大きすぎる』
そこにハンディライトの光と共に数人の足音が聞こえて来、私はパニックになる。周りは行き止まりで逃げ場がない。
「どうしよう?考える余裕がないよ、今度は警察……」
中山の遺体を見つけた時のことを思い出す。腓返りが頭をよぎるが、今のところ大丈夫だ。
道を外れ、身を低くして草木が生えているエリアに走り出す。虫が湧く季節でなくて良かった。
草木をかき分けながらともかく進む。あちこちで警察が探し回っているようだ。とにかく、他の出口か公園沿いの道路に出なければ。
「見つけたぞ、この泥棒めぇ!」
そう遠くない位置から中山の声が聞こえ、私は全身が総毛立つ。
声がする方を振り返ると、何と過去の私が中山に追われてこちらに向かって走って来る。過去の私は、私にはまだ気づいていない。
「ちょっ……そんな…」
私は焦って辺りを見回す。直ぐ近くに池に通じる小さな水路がある。夜で水は止められているらしく、私1人分入れる大きさだ。
咄嗟に水路に身体を入れてうつ伏せ状態で2人をやり過ごす。
足音が去るとソッと顔を上げて辺りを伺う。すると直ぐ近くに中山が立っていた。心臓が飛び出そうになり顔を再び下げる。
『なんで立ち止まるかな?!』
しばらく息を潜めた後、再び顔を上げると中山の姿は見えない。私はゆっくり立ち上がると、少し大きめの木を背にして覗くような形で再び辺りを伺う。
公園のあちこちに見える警察のハンディライトの光。
『一体どうすれば?』
私は自分に問いかける。
──その時。
すぐ近くから聞き覚えのある声が聞こえた。
「一体どうすれば?」
「!!」
その声は……私の声であった。
正真正銘間違えようのない自分の声。過去の私がすぐ近くにいる。
吐息まで聞こえる距離だ。咄嗟に鼻と口を押さえる。私の体は恐怖で固まってしまった。
マユの話では、過去の私が私を「私」と認識してしまったら、過去の方ではなく私が時空の狭間に飛ばされてこの世から消えるというのだ。アニは理にかなっていると言っていた。
つまり、至近距離にいる過去の私に、私がここにいることを気づかれてはいけないのだ。ほんの一瞬でも「私かも!」と思考させてはいけない。
過去の私はこの木の反対側にいるのであろう。深呼吸をしているのが聞こえる。ほんの数秒のことだろうが、まるで永遠のように感じた。
パキッ!
私は無意識に足の位置を変えようとして、小枝を踏んでしまったようだ。
「ひゃっ!」
過去の私から小さな悲鳴が聞こえ、深呼吸する音が消えた。どうやら警戒しているようだ。
音をたてないようにゆっくりと小枝を踏んだ足を反対の足に寄せる。私は神様に祈る。
『どうか私の臆病が幸いして振り向く勇気が出ませんように……』
──暫くの重苦しい沈黙の後、過去の私の独り言が聞こえる。
「──あそこの建物の裏に回れば、ハンディライトの光が当たらないかも……」
こんな状況下で何だが、自分の声を近くで聞くのは不思議な体験だ。私は過去の私の言葉に同意する。私も同じ状況にいたことを思い出す。
ここも安全ではないのだ。彼女はその答えを見つけたのか、突然軽く足音を立てて建物の方へと向かった。
私は胸を撫で下ろし、ゆっくりと木の周りを覗いて、過去の私の後ろ姿を確認する。
するとその後ろを追いかけるように数名のハンディライトの光が動き、中山と思われるシルエットが見えた。過去の私は大丈夫であろうか?
そもそも、過去の私は戻る先の時間軸が私の時間軸より安全なのだ。どこかでタイムリープすれば良いのにと歯痒い思いをする。
『──だけど、この機会を逃してはならない』
私は深呼吸を一つして、過去の私が進んだ方向とは逆へと進んでいった。
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