36話 第十幕 ~試される運命~ ③

3月08日 23時45分


 私は驚きのあまり息をのんだ。


『プルート?』


 突然の事で頭が回らない。


『──迷子のプルートが、あの漆黒の白猫?!』


 浜田夫妻の依頼で、私は黒猫プルートをずっと探し続けていた。そのプルートが、この土地の伝説「漆黒の白猫」だったと言うのか?


 そして私の母は、その伝説を語る谷中の御猫神社おねこじんじゃに来て写真を撮っていた。母とこの伝説の接点は見当もつかないが……


 頭の中で色々な想いが渦巻いて、私は混乱した。


──しかし芳雄の呻き声で我に返る。


 彼は中山に殴りかかろうとしたが、逆にカウンターで殴られ、地面に倒れてしまった。中山はニヤニヤ笑いながら、


「知世か、あれはアイツから言い寄ってきたんだよ、お前に魅力が無かったってことだろう?」


「そんなはずは……知世がそんなはずは──」


 涙を流す芳雄の姿を見て、中山は大笑いする。


「ブザマだな、漆黒の白猫も残念だけど俺のところにはもういないよ。探せるものなら探してみればいい」


 中山はそう言うと、倒れている芳雄を何度も蹴飛ばす。蹴飛ばされる度に、芳雄は呻き声をあげた。


 私はその光景を直視出来なかった。何とかしたかったが、マユの言葉を思い出すとそれも出来ず、奥歯を噛みしめる。

 

 過去で人を助けたりしてはいけないのだ。


「酷いよ、本当に酷いよ」


 中山は最後に酒瓶を口に含むと、思いっきり芳雄に向かって吹き出した。芳雄はぴくりとも動かなくなった。


23時50分


 去って行く中山の背を私は全力で睨み付ける。奴は事務所に戻り、これから過去の私と対峙するのだろう。


 私は頭を振って息をつくと、ビデオを撤収して公園から移動しようと立ち上がる。もう一度芳雄の方を見ると、何か嫌な予感がした。急いで彼の元に走り寄る。


「──芳雄さん!大丈夫?意識ある?」


 先ほどから動かないのだ。最悪の事態が私の脳裏をよぎる。よく見ると意識が朦朧としているようだ。


 私の息が荒くなる。過去に戻り人を助けてはいけない。それはわかっている。しかしこのまま放置すればそれこそ……


 辺りを見回す。酔った芳雄の知人は、呆然としてそばに座りこんでいた。


 私は彼に駆け寄った。


「あなた、友達でしょ?救急車呼んだ方が良いと思う」


 彼はハッとした表情になる。


「──あ、ああそうだ……救急車!」


 手元が怪しい中スマホを取り出し、119を押す。


『これは自分が助けたわけじゃない……よね?』


 不安になりながら自分を納得させようと心の中で呟く。


「芳雄さん、救急車呼びましたから!大丈夫だから!」


 芳雄はうな垂れるようにして何かブツブツ喋っている。私は彼の口元に耳を寄せた。



23時54分


「──知世とプルートが……3年前どん底だった僕の人生を変えてくれた」


 咳き込みながら芳雄は途切れ途切れに語っている。中山に蹴られた肋骨が折れているのかもしれない。


「それが……中山が……プルートを狙っていて」


「うんうん、もう話さなくて良いから。救急車来るから待っててね。私も行かないと……」


 私が立ち去ろうとすると、芳雄が私の手を握る。困り果てる私に芳雄が朦朧もうろうとした様子で呟く。


「プルートは、漆黒の白猫なんだ……」


 私は耳をさらに近づけて聞き返す。


「え?プルート?聞こえないよ」


「あれは、ただの猫じゃない」


 その時、ハッと我に返り私はスマホを見る。


23時58分


「あぁ、こんな時間だ」


 そろそろ過去の私が事務所を飛び出す時間だ。無理に公園の外に出れば、逆に鉢合わせになるだろう。


 遠くから救急車のサイレンが聞こえて来た。私は芳雄に聞こえるように大きな声で呼びかける。


「芳雄さん、救急車来たからね、安心して!もう大丈夫だから」


 彼は半分意識のないまま、握った私の手を離さない。


「──知世……何故だ」


 私はどうしたら良いのか悩む。


 その時、中山の事務所の方角から大きな音がした。見ると、黒い影が事務所の入口から飛び出してくる所だった。


「過去の私だ……」


 記憶の中ではそのまま真っ直ぐ走っていき、根津ねずの手前でタイムリープしたはずだ。


時刻は24時00分


 過去の私は一生懸命走っていく。私は遠くから複雑な思いで見守る。


──その時。


 過去の私の前に救急車が飛び出した。私は思わず口を押さえて絶叫する。


「あぁ!危ない!!」


 過去の私は間一髪で救急車を避ける。


「当たらなかった?あぁ、良かった」


 大きくため息を吐いてしゃがみこむ。そしてもう一度そちらを見た瞬間、私は愕然とした。救急車の後から来たパトカーが数台、過去の私の前に立ち塞がったのだ。


「えぇ?」


 さらに事務所から怒り心頭の中山が走り出て来る。過去の私は逃げ場を失い、方向を変えて公園に向かって走って来たのだ。


「え?ウソ?やだ来ないで!!」


 私は即座に逃げ出そうとする。しかし芳雄が私の手を強く握っているのだ。


「やだ、手離して芳雄さん!」


 過去の私の足音が近付いて来る。私は繋がった手をブンブンと振りほどこうとする。もう直ぐ近くに足音が──


「芳雄さん、ちょっと、お願いだから!!」

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