34話 第十幕 ~試される運命~ ①

3月08日 22時32分   < 元の時間軸から−34日 >


 外濠公園そとぼりこうえんでタイムリープした私は、無事に刑事ミカの指定の日時の少し前へ跳んだ。夜も更けた公園内は真っ暗で、薄手の上着を通して寒さが身に染み通る。考えてみたら春の時期の1ヶ月前のタイムリープだ、ダウンコートを着てくれば良かった。


 私は電車に乗り、目的の場所の近くで待機しようと──千駄木駅せんだぎえき前の団子坂だんござかカフェに足を向けた。辿り着いた店内には、閉店間際なのかお客は私1人である。


 2階の窓際のカウンター席に座り、ビデオカメラの動作チェックをしながら時間まで待機する。窓の外はちょうど交差点で、信号機が規則正しく点滅を繰り返すのが見える。


 私はスマホで時間を確かめた。


「あぁ、あと1時間か……」


 胃にキュッと緊張が走る。


 過去の自分が1時間後に、中山の事務所のお手洗いへタイムリープして来るはず。その時間はまだ安全なのはわかっているが、今、指定の公園に行く気にはなれない。


 私は頭の中で何度も現場でのシミュレーションを繰り返す。中山は23時50分頃にはメンテナンスでセキュリティが解除された事務所の中にいた。


 中山が芳雄と公園でトラブルを起こしていたという情報から考えると、公園にいたのは23時30分から45分の間くらいだろうと思う。


 余裕を持って20分くらいから指定の場所でビデオを回し続けて、トラブルの様子を撮影した後、速やかに撤収すれば問題はないはずだ。


 …いや、25分くらいからでもいいかも?などと、公園へ行く時間を少しでも遅らせようとする自分に気付き、私は頬をペチペチと叩く。


「しっかりしないと……」


 ふと店の窓を見ると自分が写っている。元々このような光で映る自分の姿は良いものではないが、かなり驚きものだ。


「はぁ、なんて怖い顔をしているんだろう。緊張で顔がガチガチだよ」


 私は頬に両手をあてて何度も深呼吸をし、窓に映る自分に向かって精一杯の笑顔を作る。あれ?…我ながら良い笑顔。


 何かノって来た。私はスマホを取り出し自撮りをしようとする。全てが終わったらユッキーに送ろう。 現実逃避でも何でも良い、テンションは大事だと思う。


──その時。


「隣、良いかしら?」


 突然、私の後ろから声がした。

 

 他に客のいない店内で、1人で笑顔で自撮りしようとしていた私をどう思っただろう?何か凄く恥ずかしい、うつむきながら取り繕うように声の主に返事をする。


「あ、ハイどうぞ……」


 声の主は私の右隣に座る。顔を上げて何気なく正面を向くと、窓には二人の姿が映っていた。


 私は目を見開く。エキゾチックな瞳が冷たくこちらを見つめていた。


「マユ……」


 彼女はゆっくりと息を吐き出すと軽く首を傾げる。先日対峙した刑事ミカとは異質の威圧感を強く感じる。


 窓に映るマユを目だけで追い、生唾を飲み込む。手に持っていたスマホが汗でジワリと濡れている。私は勇気を振り絞り彼女に問いかけるが、喉が強張こわばって思うように声が出ない。


「──なぜ?ここに……」


 彼女はゆっくりと目を閉じてコーヒーを一口飲む。そして感情の感じられない口調で答える。


「なぜって……これから面白いことが起こるかもしれないから、見物に来たのよ」


 マユは目を開けると、窓に映る自分の姿を確認するかのように一点を見つめている。


「面白いこと?」


「そうよ、面白いこと。──私もかつて1度も経験したことのない面白いこと」


 突然店の電気が消え、辺りが暗くなる。店の中全体が外の信号の光で赤く染まる。


「え?えっ?」


 周りを見回す。まだ閉店には時間があるはずだ。店内の赤い光と黒いシルエットの異様な光景に私の心臓が早鐘を打ち始める。


 窓に目を向ければ、マユと自分の顔も赤く染まっている。私は恐怖を抑えようと両手で強くスマホを握りしめる。スマホは既に汗まみれだ。マユは目を細め、今度は反対側に首を傾げながら語り続ける。


「──その結果、あなたが時空の狭間に消えるのが見られるかもしれないわね……」


 その言葉に私は声を震わせながらも即座に反論する。


「それはっ……過去の私と鉢合わせした時のことでしょ?過去の私が事務所から出る前にちゃんと……」


 マユは珍しく表情を微かに崩す。目線だけを私に向け、少し呆れた顔になる。信号機は青に変わり店全体を青の世界に変える。


「ご存知かしら?この世の中はね、絶妙なバランスで成り立っているのよ。それはまるで一つの生き物の身体の中のように」


「──バランス?生き物?」


「そう、生き物の免疫システムって凄いわよね?自分のものなのか、そうでないものなのか?明確に分けて異物を排除する」


 私は意味不明な事を話すマユに、恐怖の余り強い口調で言い返す。


「それがっ……それが一体なんなの?」


 黄色信号が店全体を照らす。マユはコーヒーをまた一口飲み、たっぷり間を置いて私を見つめる。私たちを照らす信号の光が再び赤へと変わる。


「この世の中も同じなのよ、異物は排除される。そして……私たちはこの時間軸では異物」


「私が異物?」


「──そう。もちろん私もそう……」


 マユは窓に映る赤い光に照らされた自分の顔を見て僅かに頷き、話を進める。


「空間の歪みについて、正直まだわからないことばかりだけど、同じ人物が2人いると言うのは、世の中の免疫から見たらかなり異常事態じゃないかしら……」


「それって、それが歪みの原因ってこと?」


「そう、歪みの原因の一つ。それがね、今夜はどうかしらね?すでにこの時間軸に2人のあなたがいる」


 確かにここにいる私と、まだこの事件に巻き込まれていない私が、この時間軸のどこかにいる。これから何が起こるかも知らずに犬猫探偵をやっているだろう。


 「今言ったように、同じ時間軸に2人だってこの世の免疫にとってすでに異常事態なのにね……さて、ここまで言えばわかるわよね?1時間後に何が起こるの?」


 私はマユの話を聞き、ハッとする。


「さらにもう1人の……私が」


 気づくと信号は黄色に変わり、点滅を繰り返している。マユはゆっくり首を反対方向に傾け、右手で3本の指を緩く立てる。


「あなたが3人、さて、何が起こるのかしらね?」


「──そんなの……わかるはずない」


「そうね……私も初めてよ。案外何も起こらないか……」


 マユは黄色い光の点滅を浴びながら、ゆっくり瞬きをして話す。


「自然の摂理が何がなんでもあなたを排除しようとするか?」


「──それを……阻止する方法は?……」


「ないわよ、そんなもの……」


 マユは冷たい眼差しと同じような冷徹な声で即答した。店内全体が黄色い信号の点滅に照らされ、異様な空間に閉じ込められた錯覚に陥る。


「まぁ、リスクを避ける唯一の方法は……」


 その言葉に私は勇気を振り絞って、右側に座るマユの方に向き直ろうとした。その瞬間、信号機の光が消えた。


 店全体が真っ暗になる。不思議な事にマユの目だけが猫の様に輝いていた。


「リスクを避ける唯一の方法は……今すぐここから撤退することよ、覚悟がなければね──」


 静寂の世界に、マユの低い声だけが響き渡る。


「覚悟──」


 私は爛々らんらんと輝くマユの瞳から目が離せなくなっていた。頭の中に、「ニケ」やアニやユッキー、そして刑事ミカとのやり取りが浮かんでは消える。


 マユは不意に目を閉じた。全てが闇に包まれる。


──どれくらい経ったのだろう、突然店の電気が点灯した。眩しさに目を細めるが、すぐに目を見開いて隣を見る。


 マユは再び、煙のように姿を消していた。私は脱力し、ぐったりと椅子にもたれる。ひどく長い時間だったような気がするが、時計を見ると10分も経っていない。


 私は震える身体を落ち着かせながら、一人呟いた。


「──覚悟?覚悟はできてるよ…だって、それしか道はないんだから。他にどうすれば良いの??」

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