31話 第九幕 ~母の手掛かりと私の覚悟~ ①


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4月09日 18時04分


 谷中やなかの外れの閑静な住宅に混じり、お寺や神社が点在するエリアに谷中御猫神社やなかおねこじんじゃはある。


 この小さな神社を守るように木々が生い茂り、中でも一際目立つ御神木ごしんぼくのヒマラヤ杉が、神聖な雰囲気をいっそう高めている気がする。


 息を切らして日暮里にっぽり駅から谷中御猫神社まで走ってきた私は、夕陽を浴びて光輝く鳥居をくぐり、その大きなヒマラヤ杉に直行する。


「──あった!ここだ!」


 心を落ち着かせながら、写真と木を交互に眺める。樹齢でどれくらいなのだろう?母と一緒に写っている杉と、目の前にある杉の形が見事に一致していた。


 母は確かにここに来たのだ。高揚感とともにさまざまな感情が胸にこみ上げ、私は大きく息を吸い込む。


 木の根元まで歩いて上を見上げる。微かな風が放射状に伸びた枝たちを揺らし、杉の葉が宝石の様に輝いている。


 木肌にそっと手を置いてみた。手の平に優しく温かいエネルギーが伝わってくる。


 私は思わずヒマラヤ杉を抱きしめる。杉の木の生命の力が私の全身に注がれて来るようだ。なんとも言えない、母を抱きしめているような感覚だ。


 夕陽が木々の間を縫うように差し込み、その温かい光が私を包み込む。


 周りの木々も静かに息づいており、そのささやきがまるで母からの励ましの言葉のように感じられた。


 私はそのまま目を閉じる。


──初めてタイムリープをした日の母の顔を思い出す。あれは一体どこだったのだろう。


 母は幼い私の目線に合わせしゃがみながら、何かを真剣に話していた。何を話していたのだろう?


──まだ幼く不安で怯えていた私は、その言葉に勇気づけられた。そのお陰で今があるのだ。ただ、その言葉が何だったのか、いくら考えても思い出せない──。


 最近、その時の夢もよく見るが、もしかしたら夢の中の想像の記憶なのかもしれない。

 

 辺りは夜のとばりが下りてきて、オレンジ色に輝いていた空はやがて藍色のグラデーションへと色を変えてゆく。西の空に一番星が瞬き始めた。


 木々は神秘的な輪郭を描きながら揺れて、まるで私を導くかのようにそっと囁いていた。


 気がつくとヒマラヤ杉の周りに数匹の猫が私を見守るように座っていた。


「わっ、さすが猫の神社だ。みんな……ありがとうね」


 数匹の猫たちを優しく撫でながらこの場の雰囲気を楽しんだ。心がとても満たされた気がする。その後、私は鳥居をくぐると振り返り、心からの感謝のお辞儀をする。


 神社の帰り道、夕やけだんだんを再び訪れた。通行の邪魔にならないように、階段の傍のフェンスを背にして手すりに腰掛け、行き交う人々を何気なく眺めてみる。


 谷中銀座の上空には、まるで街の人たちを見守るように上弦じょうげんの月が輝いていた。


 ここから見る谷中銀座商店街の風景が何だか好きだ。忙しなく歩いている人の影には生活の温もりを感じる。これから家族の元に帰っていくのであろう。


 私は谷中で起こった今回の出来事に運命の導きのようなものを感じた。もう一度母の写真を取り出す。


 浜田夫妻の依頼で訪れた谷中の街。そこで知った「漆黒の白猫伝説」を持つ谷中御猫神社。


 その場所を、行方不明になった母が以前訪れていた。母がその神社にいたのだ。こんな嬉しい事はない。


 子供の頃からずっと母の行方を探し続けてきたが、今日ほど身近に母を感じたことは無かった。


 母を探していると言いつつ、途方もない長い年月の中で、心の底では正直諦めていたのかもしれない。なぜなら母は煙のように消えてしまい、探す術がほぼなかったのだ。


 初めての手がかりが見つかった。この写真に日時が記載されていたなら、私はこの場でタイムリープしたかもしれない。


 行き交う人の中で、私は目を閉じて心のまま歌った。


あの人の影胸に秘め〜

呼ぶ声誰にも聞こえないように〜

時空を越えて追いかけて〜

明かされることない真実を見つめて〜♩


 先日の外濠公園そとぼりこうえんで歌ったラプソディだ。

歌い終わると聴いていたギャラリーから拍手が起こる。少し気分も良くなり気持ちも解放される。


 改めてこの谷中で、漆黒の白猫伝説から母を探してみよう。私はそう思った。


 その時、スマホにメッセージが届く。送り主は刑事ミカだ。私は恐る恐るメッセージを読む。


「姫のチカラを見せて欲しい。目的の日は3月8日 指定の時間と場所でこちらの希望の動画を撮ること」


「ターゲットは中山浩司なかやまこうじ浜田芳雄はまだよしお。芳雄を知る情報提供者によると、この日2人は指定の谷中の某所で喧嘩騒ぎを起こしていたとのこと。場所と時間は追って連絡する」


「目撃者は酔っていたため、この情報も信憑性しんぴょうせいが今のところ低い。姫の言うチカラが本物でこの現場の動画を撮る事が出来たなら、警察はこの方向から捜査が出来るし、これから私は姫のことを100パーセント信じる」


 私は思わず手すりを掴んでしゃがみ込んだ。


──とにかく何度も言う。特に谷中辺りでのタイムリープはこれ以上は使わない方がいいと思う──


 アニの言葉だ。私は天を仰ぐ。


『──よりによって、テストが谷中……どうしよう?』

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