30話 第八幕 ~チカラの価値~ ③

4月09日 15時00分


「姫のチカラのテストの件は追って連絡を入れる」


 ミカはそう言い残し、意気揚々いきようようと店を出て行った。


 扉が閉まる音が聞こえると、気疲れのあまりそのまま私はソファに倒れ込む。何も考えられないし、力も入らない。かなりの時間まどろんでいたが、店の大時計の容赦ない鐘の音で起こされた。時刻を見ると15時だ。そろそろ起きないと……


 ボサボサ髪をボーッとしたまま手櫛で整えていると、


「お、ルミ。起きたか!おはよう!」


とアニが興奮冷めやらぬ顔で駆け寄ってきて、私の両肩を掴むと前後に振る。


「今日は理想的な取引が出来たよな、念願の警察との繋がりを作れた。すべてルミが頑張ったおかげだよ」


 私は振られるまま、気だるそうに口を開いた。


「ううん、みんなのおかげだよ。──だけどあの刑事は本当に信用出来るのかな?」


「今のところは大丈夫。……結局ルミのチカラを使えたら、大抵のこちらの要求はお釣りが来るほど安いものだろう」


「それじゃ、双方にとっても良かったって事?」


 アニは目を閉じて手を広げて大きく首を振る。


「いや……それはな。圧倒的にミカの勝ちだよ。ただね、私たちの安全の確保と、クセあり過ぎだけどこちらも心強い協力者が出来たこと、この2つだけで今の時点では充分だ」


「そうなんだ、それは良かった。でも私、あの刑事は苦手だな……」


 キラリとメガネを光らせたアニは、鼻の穴を広げドヤ顔で腕を組む。


「大丈夫、今回の件ではっきりした。ミカはある程度コントロール出来そうだ。アレで甘い物に目がないようだしな」


「甘いもの?あの刑事が??それはちょっと……いや、凄く信じられないな……」


 そこにユッキーが割って入って来た。彼女は、ミカの正体を知らずにお店に入れた事を悔やんでいた。


「ルミちゃん、本当にごめんね。知ってたらあんな鬼刑事、追い返したのに……」


「ううん、今回の取引の成功はユッキーのスペシャルコーヒーのお陰だよ。凄く助かったし勇気をくれたよ。ありがとうね」


 ユッキーは珍しく涙ぐむ。よほど今回のことが悔しかったのであろう。私は少し背伸びして、そんなユッキーを力いっぱいハグする。


「──ルミちゃん、ありがとう。今美味しいもの作ってあげるからね」


 ユッキーは涙目に微笑み、私に極上のウインクしてからカウンターに戻っていく。それを見ていたアニは自分で淹れたコーヒーを美味しそうに一口飲む。


「後は谷中辺りでのタイムリープを避けて、ルミの負担を抑えればね。まぁ、中山殺しの疑いは晴れたのだから、もう真犯人探しで谷中でタイムリープの必要はないけど」


「そっか、そうだよね。ミカに今までの調査報告を提供した時点で、もう谷中で跳ばなくて良いのか……」


 思い返すと本当に色々な目にあった。一度ならず命の危険もあったが不思議なもので、これで終わりと言われると少し寂しさを感じる。


 そもそも中山殺し事件自体は解決していないのだ。アニは私の様子を見ると少しおどけた仕草をする。


「まぁ、退院明けだしゆっくりして、また元気になったら犬猫探偵お願いするよ。奥さんが行方不明になって、浜田宅の黒猫プルート探しはどうなるか今はわからないけど、今回の件で人相手の探偵調査も行けそうだよね」


「アニ、たまたま犬猫が多かっただけでしょ?私何でも行けるよ」


「おぉ、ルミが成長した感じで嬉しいよ。まぁ、とにかく今日はこの店でのんびりして行って」


 アニはそう言うと、ユッキーに呼ばれカウンターに戻っていく。私は2番目にお気に入りのソファ席で、大きく伸びをして軽くストレッチを始めた。


 ゆっくり上半身を捻り息を吐いていると、先ほどの母の写真と目が合う。ミカとの取引の時、ユッキーのコーヒーとこの母の写真がどれだけ勇気をくれたことか。そう考えると胸の奥に何か温かいものを感じる。


 そっと手を伸ばして写真を取り、フレームの中で微笑んでいる母にそっと呼びかける。


「ありがとう、お母さん……」


 じっと、写真を見つめる。そして瞬きを数回。


「──?」


 私は母の写真に何か既視感のようなものを感じる。


「──あれ?……この場所って……」


 どこかで見たはず。どこで見たのだろう?母の後ろに写っている特徴的な大きなヒマラヤ杉。眉を寄せて懸命に記憶を手繰り寄せる。


「どこだろう?」


 突然、お孫さんを連れたおばあちゃんの顔が思い浮かぶ。


「え?嘘?!」


 私は目を丸くしてフォトフレームを覗き込む。


「──ここは……もしかして、先日の谷中の猫神社?」


 写真の中のお母さんは、谷中の「漆黒しっこく白猫しろねこ」の伝説を持つ御猫神社おねこじんじゃと思われる場所で、優しく私を見て微笑んでいた。


4月09日 15時47分


「うーん、この写真は私が撮ったものじゃないね」


 そう言うとアニは写真を私に返す。私はユッキーの作ってくれた特製パンケーキを食べ終わると、改めて受け取った写真をジッと眺める。


「そうなんだ、ちょっと残念。アニが撮ったものなら何かわかるかな?と思ったけど」


「そうだねぇ、撮った場所が谷中のルミが言う御猫神社だったとしたら、もしかしたらアイツも漆黒の白猫伝説に興味があったのか?……もしくは──」


「もしくは?」


「漆黒の白猫に関係していたのか?それともヒマラヤ杉に興味が?……それはないか」


 確かにあそこの神社は、余程の猫好きか猫にご縁がないと行かないと思う。母はなぜこの神社に行ったのだろう?


「──アニはお母さんから漆黒の白猫の話は聞いてないの?」


「全然だね。アイツはオカルト話とかは結構好きだったと思うよ、探偵部と称して2人でよく不思議な話を調査していたけど、この話は初めて聞くなぁ」


「え?お母さんって怖いの好きだったの?」


「好きだったよ、ルミみたいに怖がりなんだけど、好奇心旺盛と言うか……」


「──怖がりだけど好奇心旺盛……」


私は自分の母のイメージにその項目をいれてみる。


「って、そうか……そこはルミに似てるよな」


 アニは一人で思い出し笑いをしている。


 私も一人で照れてニヤニヤしていた。やはり母に似ていると言われると少し嬉しい。


「──とりあえずこの神社なのかどうか、行って確かめて来るね。このヒマラヤ杉を見れば1発でわかるはず」


 早速、愛用の赤いリュックをつかんでお店を出ようとすると、アニはびっくりした顔で私を引き止めた。


「ちょっと待った。え……今から行くの?いくら何でも、退院したばかりなんだから……」


「お母さんの行方を見つけられるかも知れないんだよ、今日動かなきゃ」


 アニは私の目を見て暫し沈黙した。やがて軽く息を吐くと、苦笑しながら手を振る。


「──そうか、気をつけてな……くれぐれも谷中でのタイムリープはしないこと」


 私はアニに勢いよく頷いて見せ、リュックを背負うのももどかしく「ニケ」のドアを押した。


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──「アニさん、何でルミちゃん行かせたの?体調心配だったんでしょ?」


 カウンターに戻ったアニの背中にユッキーが尋ねる。


「いや、あんな顔中キラキラ輝かせてる人に何言っても聞かないでしょ…」


 アニは苦笑して答えてから、壁に飾られた「親友」の写真に顔を向け、一瞬遠い目になって呟いた。


 「できればルミは…ずっとあんな笑顔でいさせてあげたいけどな──」



── 第九幕「母の手掛かりと私の覚悟」へ続く。

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