閑話休題 〜写真喫茶ニケにて〜


4月02日 13時40分


 神楽坂かぐらざかの裏路地の一角に、写真喫茶店「ニケ」はある。


 その店内は落ち着いたアンティーク風で、ピアノジャズの心地よいBGMと淹れたてのコーヒーの香りが漂い、店主のアニや常連客が撮った写真が雑然ざつぜんと、実は絶妙なバランスで飾られている。


 お店のドアには「午前中は臨時休業」の張り紙が貼ってあった。店長のアニはルミのお見舞いの帰りに食材の買い出しをして店に戻り、開店準備をしていた。


 ユッキーは店内を軽やかに動き回り、椅子を整えたり、テーブルに花瓶を置いたりしている。彼女の丁寧な所作しょさの一つ一つに、この店への深い愛情が感じられる。


「アニさん、これで開店準備はOKだよ。お疲れ様、ルミちゃんどうだった?」


 アニは自分で淹れたコーヒーを、アルバイトのユッキーにも出しながら大きく息を吐いた。顔には少し疲労の色が見えるが、病院から連絡をもらった時と比べると安堵した表情を浮かべていた。


「うん、病院に運ばれた後、丸一日目が覚めなくて心配したけどね。ちゃんと話せていたし大丈夫そうだよ」


「そっかぁ、まずは良かったね。私も心配しちゃったよ、本当に良かった」


 ユッキーはレジの横に置いてある黄色の可愛い花カゴに優しく目をやると、アニにニッコリと微笑んだ。


「俺の知らない間も、繰り返しタイムリープを重ねてたようでね。ルミはその代償を受けた感じだけど。よく帰ってきてくれたと思う」


「そんなに危ない感じだったの?」


「ああ、今回これで済んだのはラッキーなのかもしれない。今後はマユの忠告通り、タイムリープは慎重にさせないと……」


「色々あったから、元気ないなって思ってたけど……もっと話を聞いてあげれば良かった」


「いや、ユッキーのせいじゃないよ……俺の責任だよ。日常がなくなるかもって軽々しく言ったせいで、知らない間にルミを追い詰めていたみたいでさ。ホントに反省だよ」


「ルミちゃんにとっては、このニケや神楽坂の環境が全てだもんね」


 ──ルミの母親は、彼女が4歳の頃に突然行方不明になった。行き場を無くしたルミが頼ったのが、母の親友であるアニであった。彼女はこの店で育ったも同然なのだ。


 そして、ルミの成長を親のように見守ってきたアニにも今回の件がかなりショックであることは、彼を見れば明白である。


 アニは眼鏡を外すと目を閉じ、目頭を摘みゆっくりとマッサージをする。


谷中やなかの浜田夫妻の黒猫探しから、こんなことになるなんてな……」


「うん。ルミちゃんも張り切っていたよね。猫好きな優しい夫婦のために頑張るって」


「谷中だけじゃなくて根津ねず千駄木せんだぎ日暮里にっぽりまでポスター貼るから沢山作ってくれってさ。迷い猫はまずは家周辺がセオリーだっていつも言ってるのに……」


「そうは言っても、作ってあげちゃうのがアニさんなんだよね♩優しいよ」


 ユッキーは飲んでいたコーヒーのカップをカウンターに置くと、ニヤニヤしながらニケの黒猫模様のエプロンを身につける。


「ははは。まぁ、そこまではいつものことだよ。犬猫探偵のまま黒猫プルートが見つかって終われば良かったんだ」


「うん。まさか殺人事件に巻き込まれるなんて思わないよね……」


「死体を見つけてしまって焦って逃げる気持ちはわかるけど、あれで警察に完全に目を付けられた。それもあのミカってクセのある刑事にね。黒猫探しどころじゃなくなるよな」


 ユッキーはカウンターに入り、椅子に座っているアニのカップに、残ったコーヒーをゆっくりと注いだ。


「それで、アニさん。ミカってどんな刑事なの?」


「そうか。ユッキーはまだミカに会ってないよな。まぁ嫌でももうすぐ会えると思うけど」


「いつも話を聞くだけだもんね……スタイリッシュでキレのある笑みでとか……」


 ユッキーの注いでくれたコーヒーを美味しそうに飲みながら、アニは暫し天井を見つめる。


「ミカはさ、なんだろうね。多分警察組織の中でも一匹狼で、自分の勘でここまで生きてきた感じでさ。一筋縄じゃいかないね」


「へぇ、昔の刑事ドラマみたいね。そんな刑事が今時いるんだ。その嗅覚でルミちゃんをしつこく追いかけ回してたと……」


「うん、まぁ。一言で言うとスタイリッシュでしつこい蛇かな。あと、気になるのが変な言葉使い」


「アニさん、意味わからないよ……一言で言えてないし」


 ユッキーは苦笑しながら、カウンター越しに頬杖をついてアニを見る。


「いや、笑い事じゃないんだよ…あいつにはルミのタイムリープの瞬間を見られているからな。現実問題として、本当に場合によってはここから夜逃げだよ」


「夜逃げか……。アニさん……」


 ユッキーは頬杖をつきながら真顔になる。夜逃げという現実が迫って、ユッキーもやはり不安に思うことがあるのか?アニはそう考えた。


「──ん、なにかな?」


「夜逃げするなら、アルバイト代払ってからにしてね」


 アニはコーヒーを思いっきり吹き出す。ユッキーはすかさず銀のソーサーで防御する。


「熱っ!!あちあちっ!!」


「わっ!アニさん、冗談よ。冗談!熱くない?」


 ユッキーは慌ててカウンターの奥からおしぼりを数本持ち出しアニに渡すと、残りで周りに飛び散ったコーヒーを拭き始めた。


「熱いよ!ったく、熱いって最初に言ったよな」


「ごめんね、冗談だから」


「しかし、ユッキーが言うと冗談に聞こえないとこあるから」


 アニも苦笑しながら自身のエプロンについたコーヒーを拭くと、先ほどの夜逃げの話に戻る。


「ルミは生前の中山の事務所にも不法侵入してて、その証拠写真もミカの手札になってるからな。あいつの出方次第では、夜逃げもまんざら冗談でもないって話だよ」


「そっか、夜逃げするなら私もするけど。このニケを守るために出来ることあったら頑張るから言ってね」


「それは頼もしいし助かるよ」


「私だってルミちゃんが居るニケが好きなんだよ。私もこの幸せな日常を守りたい……」


 アニは笑みを浮かべると、目を閉じて微かに頷く。


「ルミが今こんな感じだし……ミカ以外でもこの一連の出来事は何かありそうだしね」


「色々驚かされることが多いよね」


「ユッキーも思うだろ?偶然巻き込まれた中山殺人事件だって、実は中山浩司なかやまこうじと黒猫探しの依頼主の浜田知世はまだともよが生前に恋人同士で繋がってたり、その知世が謎の行方不明になったり、あげく夫の芳雄まで……この3人には、何かある」


「知世の夫の芳雄も変なの?それは何かあるよね?」


「あとルミが神社で聞いた都市伝説の漆黒の白猫を、中山浩司が探していたこと……」


 アニは自分で喋りながら頭の中で今回の件を整理しているようだ。


「ユッキーさ……」


「ん?どうしたの?」


「なんかこう……」


「なんかこう?」


「うん、うまく言えないけど……大きな何か、全体が繋がっててさ……その流れの中に俺たちが引き寄せられてる気がするんだよな」


 ユッキーは頬杖をついていた腕を組み、首を傾げて静かに答える。


「──まるでSF探偵ミステリー小説みたいね」


 アニはユッキーの言葉に笑い出し、軽く頷く。


「はは。そうだな。学生の頃に凄く憧れたシチュエーションだけど、実際は死活問題だよ。現状を好転させるための鍵は、あの刑事ミカの態度だと俺は思うよ」


「ミカの態度次第か……アニさん、ミカがお店に現れたら教えてね」


「あぁ、あいつが現れたらね。ここが運命の分かれ道って感じかな……」


 アニはそう言うと、カウンターテーブルにあった籠から桜のチョコを摘もうとする。


「アニさん、ダメだよぉ。おやつ抜きの刑期が延びるからね!」


「ったく、ルミもいないし、1個ぐらい良くないか?」


「ダメダメ、ルミちゃんの優しさを反故にしたら、あの子が許しても私は許さないからね!」


 ユッキーは、そう言うと非情にも桜チョコ入りの籠を取り上げた。アニはヤレヤレと言ったポーズをとる。


──ニケの名物の大時計が14:00の鐘を鳴らす。


「さて、ユッキー。少し遅めだけど開店といこうか。病院にはガンジスのコマルママが行ってくれるから安心だよ」


 ユッキーは嬉しそうに頷くと、神々しい女神オーラを放ちながら店の扉を開けた。


 すると、外から不思議な風が入って来て、桜の花びらが数枚、ふわりと店内に舞い降りた。


 アニは、その様子を眼鏡を光らせながら見つめていた。


 大きな何か……その流れの中に、俺たちはもういるのかもしれない……



――本編:第八幕「チカラの価値」に続く。


――あとがき――

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