28話 第八幕 ~チカラの価値~ ①

4月09日 13時12分

 

 退院した私はうららかな春の日差しを浴びながら、葉桜になった並木道をゆっくり歩いて神楽坂かぐらざかの写真喫茶店「ニケ」へ向かった。


 ドアを開けると、BGMの粋なジャズピアノと淹れたてのコーヒーの香りに包まれる。店内にはアニや常連客、そして私の母が撮った写真が雑然ざつぜんと、だが絶妙なバランスで飾られている。


 お客はほんの数人。全てが心地よく、気持ちが落ち着く。私が大切にしている日常はここにある。


「ルミちゃん、お帰りなさい♩そして退院おめでとうね。元気な姿を見れて嬉しいよ」


 女神オーラ全開のユッキーが、華やかに出迎えてくれる。モデル並みの美貌を持つ彼女のおかげでリピート客も居てこのお店は潰れないで済んでいる。


 何度でも言うが、彼女は私の理想とする女性であり憧れの女神だ。


「ありがとうユッキー♩お見舞いの花かごも嬉しかった」


「良かった♩ ルミちゃん、今日のコーヒーは退院祝いのゴチだから、少しここでのんびりしてね」


「うん、そうさせてもらうね。今日はアニは?」


「うーん、ちょっと買い物かな……」


 またユッキーのお使い係か……私は苦笑すると、大きく伸びをして鼻歌交じりにお気に入りの席に向かう。すると残念な事に先客がいた。


「あ、残念……」


 他の席を探そうと踵を返した時、聞き覚えのある声が後ろから呼び止めた。


「──ずいぶんご機嫌じゃないか。先日の桜の公園の時のように一緒にどうだい?」


 声の主を振り向くと、今一番会いたくない人間がそこにいた。再び軽い頭痛がして動悸どうきが激しくなる。


「刑事さん……」


 観葉植物が邪魔で気づかなかったが、刑事ミカは私が2番目に好きな日当たりの良い席で、スタイリッシュにポーズを決めて座っていた。彼女は私の表情を見てニヤリと笑う。


「あまり嫌な顔を見せられても悲しくなるねぇ。今日は平和的な話し合いに来たってのに」


「──話し合い?」


「そうさ、話し合い。アンタ……いや、ルミさんにとっても私にとっても良い話になる事を約束しようじゃないか」


「……」


 先日の件で生前の中山との対峙の写真はもちろん、タイムリープの現場を見られてしまっているのだ。


 こちらの立場は圧倒的に不利だ。にも関わらず、お互いに良い話と言うのは信用できるものではない。


「そんなに警戒されても話ができないじゃないか、まずはそこに座ってくれると嬉しいねぇ」


 すでに私の手には嫌な汗が出て、軽い眩暈めまいがする。私が判断に苦しんでいるその時、


「ルミ、そこに座ろう」


 声の主はアニだった。彼は買い物袋を両手に持ったまま、厳しい目でじっとミカを見据えていた。


「アニ!」


 叫んだ私に彼は頷いて見せ、買い物袋を隣の椅子に置いてからおもむろに腕を組む。


「刑事さんは、今言った通り話し合いがしたくてここに来た。本当にそうだよな?」


 ミカの笑顔がキレを増し、ゆっくり顔を上下に動かす。


「さすがはルミさんのボスだね、話が早いよ。一緒に座ったらどうだい?」


「いや、私はルミの後ろで睨みを効かせながら聞いているよ」


「なんだい、それは?まぁ、構わないさ」


 私は、アニに言われた通りミカの正面に座る。アニは両手を広げて口火を切る。


「それじゃ、話し合いといこうか。ここは品のあるカフェなのでお手柔らかに」


「フフン……それじゃ、品よく単刀直入に聞こうじゃないか」


 ミカは私の方を振り向くと、ぐっと顔を寄せて目を見開く。


「先日の大イリュージョン。あれはなんだい?」


 私はミカが近づいた分、顔を遠ざけて彼女を睨む。


「──大イリュージョンって何のこと?」


「ここでシラを切るのかい?先日の市ヶ谷いちがやの話さ」


「……」


「私の目の前で桜を渦巻かせて消えて見せた……人生で、人が消えるあんな見事な光景は、子供の頃に見たイリュージョンと今回が2回めだねぇ……綺麗だったよ」


 ミカはカバンの中から写真を3枚取り出す。


「言葉でわからないなら、大サービスさ」


 私は思わず息を止める。それは、千駄木せんだぎの中山の事務所の写真だった。


 1枚めは先日見せられた、中山と私が対峙している写真。2枚めは、その日の昼間に私がお手洗いに入る写真、そして3枚めは、深夜に出てくる写真。


 どれもが言い訳のできない証拠写真として、鮮明にそして残酷ざんこくに写っていた──

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