27話 第七幕 ~時空の狭間~ ④

4月02日 10時03分


──聞き慣れた懐かしい声……気がつくと私は、白いリネンに包まれたベッドに寝かされていた。病室特有の消毒液の匂いがする。


「ルミ……気がついたか?わかる?」


 顔をゆっくりと横に向けると、眼鏡をかけたアニの心配そうな顔が見えた。


「アニ……」


 声に力が入らない。アニは私の目が開くのを確認すると、疲労と安堵が混ざった表情を浮かべた。そして、大きくため息をつく。


「ふぅ、目が覚めてよかった。──気分はどう?」


 私はベッドの掛け布団を顔まで持っていき、力なく首を振る。


「そうか……」


 アニの頭上を冷たい蛍光灯の光が照らしていた。彼の話によると、私はあの谷中の公園で倒れ、発見した親切な女性が救急車を呼んだのだという。


 私の持ち物からアニに連絡が回ったらしい。私はそのまままる一日意識が消えていたようだ。


 病室の時計の秒針の音だけが聞こえる。暫くの沈黙の後、アニは口を開く。


「今日はユッキーも常連さんもここにはいないから、言いたいことを言わせてもらうよ」


 私は頭まで布団をかぶったまま無言で頷く。何を言われてもしょうがない。本当にこの世から消えそうになるという体験をしたのだ。


 真犯人を探したい気持ちで無茶をした。それを前々から心配してくれたアニには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


──私は掛け布団から目だけ出してアニを見る。零れそうな涙を、目を見開きぐっと息を止めてこらえる。


 アニは私の目を見ると、言いかけた言葉を飲み込んで沈黙する。どれくらい経ったであろうか……

 

 彼は眼鏡を掛け直し軽く咳払いをすると、


「まぁ……あれだ。ルミが一番、懲りていると思うし……そのなんだ……」


 何度も咳払いしながら、言葉を慎重に選んでいる。私は素直にアニに伝えた。


「アニ……心配かけてごめんなさい。このチカラが公になるのは避けたいと思って……早く真犯人探さないとって……」


 アニは何度も頷きながら私の話を聞いている。私は両目からポロポロと涙を溢す。


「──今までの日常がなくなるのは……嫌だよ」


「──!あっ、そうか……それで」


 アニは軽く息を吐くと頭を掻きながら頭を下げる。


「ごめん……デリカシーないよなぁ、本当に、ごめん」


 いつものアニの優しい目だ。私は涙を拭きながら首を振る。


「私、何か考えるとそのまま走っちゃうから……」


「だよなぁ……無鉄砲だからなルミは」


と、アニは少しだけ微笑む。


「今度は遠慮なく怒ってください。よろしくお願いします」


と、私は頼んだ。アニも頭を掻きながら、


「いや、怒るってさ……まぁ、私も理論が先に出てしまってデリカシーが欠ける所あるから……」


 アニはぎこちなく頷いた。


「うん、まぁ、そうさせてもらうよ。こちらこそよろしくお願いします」


 私たちは小さな声で笑い合った。


──病室のドアに寄りかかり、ユッキーが目を閉じて2人の会話を聞いていた。胸に黄色の可愛い花カゴを抱いている。


「アニさん、頼れる探偵のボスへの道のりはまだまだ遠いね」


 ユッキーは天井を見上げて小さく笑い、軽く首を傾げる。


「でも、もう少しだけ2人にさせておいてあげるか」


 ユッキーは神々しい笑顔で、通りかかる患者さんたちに優雅に手を振りながらエレベーターを降りて行った──


──「とりあえず、ほら水を飲んで」


 アニが、ロビーの自販機から買ってきた水のペットボトルにストローを差し込んでくれる。


 まずはそれをゴクゴク飲み干して一息つくと、私は自分の身に何か起こったかをすべてアニに話した。彼は真剣な顔で最後まで聞いていた。


「──ルミに起こった異変は、マユの言っていた『タイムリープを繰り返してはいけない』を破ったせいなんだとは思うけど……同じ地域でのタイムリープが危険だってことだと思う。それが何故なのかに興味があるね」


「同じ地域でのタイムリープが危険……」


「とにかく何度も言う。特に谷中辺りでのタイムリープはこれ以上は使わない方がいいと思う。マユの話を聞く限り、ルミの命と言うか存在にも関わる問題だ」


「うん……そうだね、調子に乗ってチカラに頼り過ぎた。便利だけどアレを経験すると……」


 私はあの時の感覚を思い出して身震いする。アニは、眼鏡を光らせて持論を展開する。


「マユの言っていた歪み……これについての仮説だけどね、今までもルミがタイムリープすることで、些細かもしれないが、事実の変化が起こっているはずだよね。例えばルミが聞き込みで話した人たちは本来、ルミと話す時間を何か他のことに使っていたはずだ」


 さらにアニは熱心に眼鏡を拭きながら話を続けた。アニは話に夢中になると眼鏡を熱心に拭くクセがあるのだ。


「その時間はほんの僅かな時間かもしれないけど、それが原因でもしかしたら電車に乗り遅れてしまったり、もしかしたら交通事故のタイミングに合ってしまったりね、その逆もあるけど」


「──さらに怖いのは、バタフライエフェクトで、ルミも10年昔へとかのタイムリープとかは避けた方が良いと思う。元の時間に帰って来たら何が起こっているかわからない」


「……」


「もちろん量子コンピューターの理論ではその存在を否定する説もあるんだけどね、まぁこの話は一時間はかかるかな、それでね……」


 私は得意げに話しているアニの声を聞きながら、再び先ほど感じた感覚を思い出してうつらうつらし、やがて深い眠りに落ちた。


──夢の中で、美しい満月の光がスポットライトの様に地面を照らしている。


 そして、一匹のオッドアイの黒猫が月明かりの下に座り、私に向かってゆっくり手招きしている。


「──月下の黒猫……。プルート?」


 先ほどの不思議な体験で聞こえた猫の鳴き声が頭にこだました。不安が胸を締め付ける。

 

本当に……プルートは?どこに行ったのかしら──


──閑話休題かんわきゅうだいへ続く。

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