22話 第六幕 ~タイムパラドックスの予兆~ ③


3月30日 18時05分


 どこかの時間軸へ跳んだ私は、すぐさまとんぼ返りで戻ってきた──時間を調べるとミカと対峙たいじした3時間後だ。


 この時間は狙い通りだった。あまり時間が近いとミカが待ち構えているかも知れないし、自分と鉢合わせするかもしれない。


 ミカを警戒してそっと辺りを見回すが、さすがの彼女もここを見張ってはいないようだ。


 ふくらはぎの痛みは相変わらずだが、歩けないことはない。私はゆっくりと神楽坂の「ニケ」へ向かう。


「待ち合わせの時間に遅れちゃった、アニにも知世さんにも申し訳ないな……」


 JR線沿いの外濠公園の桜も、日が暮れて昼とは違う雰囲気になる。ここは他の名所に比べると気の利いたライトアップがないが、酔った花見客たちが楽しい時間を過ごしている。


 私は足をかばって歩きながら、先ほどミカに突き付けられた写真のことを考えて唇を噛む。悔しいと言うか情けない……ギリギリだけど成功したと思っていた中山事務所の侵入計画は、実は片手落ちだった。


 当然と言えば当然だが……中山の不動産事務所のセキュリティーはメンテナンスのために15分だけ解除されるが、監視カメラは別に作動していたのだ。


 生前の中山と深夜の彼の事務所で睨み合っているあの写真は、中山殺しの容疑者としては文句のつけようがない証拠になる。


 今頃、あの不動産屋のスタッフにも写真が回って、事務所への侵入が計画的なものだと判断されているかも知れない。そしてタイムリープのことも……


「あぁ、あの親切なスタッフのお姉さんも、何て思ってるだろう……」


 私は独り言のように声を出し、何度も大きくため息をつく。


「やっぱり少し計画が大雑把だったかな」


 考えれば考えるほど、良くない妄想に飲み込まれ負のスパイラルに嵌りそうになる。


 私は頭を振って、両手で思いっきりパンパンと頬を叩き気合いを入れながら、神楽坂に向けて歩いて行く。


 酔っぱらった花見客のおじさん達が、そんな私に驚いて目を白黒させていたが、そんな事は関係ない──


「──ルミちゃん、おかえりなさい♪」


 神楽坂の写真喫茶「ニケ」のドアを開けると、桜の女神をイメージした衣装をまとったユッキーが、笑顔でぎゅっとハグをしてくれた。 良い香りが私の鼻をくすぐり、気持ちが一瞬和らぐ。


「ただいまユッキー。今日は桜の女神オーラ全開だね、とっても綺麗…」


「ルミちゃんどうしたの?赤いほっぺたもそうだけど、足が痛そうだよ」


 ユッキーはしゃがみ込み、私の足を軽くツンツンと押す。私も反射的にしゃがみ込み苦痛に顔を歪める。


「イタタ……ユッキーだめだめ。ギブアップ!」


「あ、ごめんね、これは痛いよね。湿布持って来てあげるね、ちょっと待ってて」 


「ありがとう……アニは?」


 ユッキーは困った顔になり、両方の人差し指で鬼の角を作って私に囁く。


「それが今日は、珍しく本気でお怒りな感じなのよねぇ」


「えぇ、どうしよう……」


 いつも打ち合わせに使う奥のテーブル席に行ってみると、ポツンと一人座っているアニの背中があった。その背中はユッキーの言う通り相当怒っているようだ。


「──アニ、お待たせ……」


 私がおそるおそる声を掛けると、アニは後ろ姿のまま答える。


「──この人生で女性に待ちぼうけを食らったのは統計で過去に2回、計3人」


 私はアニが何を言ってるかわからず、聞き返す。


「えぇ、2回?……そう、なんだ」


「そう、2回。うち1回はキミの母さん」


「え?お母さん?」


「そう、お母さん。アイツだ」


──とりあえず本当に怒っている。どうして良いのかわからないので、笑ってごまかす。


「そして今日、アイツの娘のキミと知世さんだ!」


「えぇ?知世さん、来てないの?」


 私は自分の事を棚に上げて驚いて見せる。アニは眼鏡をギラリと光らせて振り向く。


「そう、知世さん!そしてキミもだよ!何かあったろう?どれだけ心配したか!!」


 アニは珍しく声を荒らげる。その声にビクッと固まる私。


「う……」


「本当に!!何かあったら連絡しろとあれほど…!…あれほどって、……あれ?」


「……」


 確かに何かあった……あり過ぎた。中山の事務所のことやマユとの遭遇、そして先ほどのミカとのことを思い出して様々な感情に揉みくちゃにされ、キャパオーバーなのだ。気付けば私は肩を震わせ涙を流していた。


──その姿を客観的に見ている自分が静かに囁く。だいぶ無理しているよ……私。


 アニは言葉を飲み込み、驚きと困惑の入り交じった表情で頭を掻く。


「あ、いや……無事で何よりだよ。何かあったよな。話……聞こうじゃないか、うん」


 私は鼻をすすり上げながら頷き、アニの正面の椅子に座る。ただ、アニもまだ何か一言言いたそうだった。


 その時、


「あー、アニさん。ルミちゃん泣かせてる!」


 振り向くと湿布を手にしたユッキーが、怖い顔を作って仁王立におうだちしていた。


「おぃ!泣かせてるって、人聞きの悪いことを……お客さんも見てるだろう」


 ユッキーの親衛隊しんえいたいである常連さん達も、一斉にアニを睨む。彼はあたふたしながら、私を見る。


「違うよな?ちょっと心配しただけで……無事で良かったなぁ……って、な?ルミ?」


 私はアニに悪いと思いながらも、涙が止まらず困っている。ユッキーは私にウィンクをして足に湿布を貼ってくれる。


「理由はともかく、ルミちゃん泣かした罰は重いよ」


 アニは眼鏡がずり落ちそうな程驚く。ユッキーの前では店主の威厳いげんはないようなものだ。


「──え?罰?あるの?」


「ふふふ」


 ユッキーはアニに白魚のような人差し指を突き付けて、悪戯っぽい笑顔で叫ぶ。


「アニさんに求刑!一か月、おやつ抜き!」


 アニは口を開けて固まってしまった。ユッキーは私の肩を優しく何回かポンポンと叩く。


「後はルミ弁護士に任せるね♪」


 彼女はケタケタと笑いながらカウンターに戻っていく。


 私はそのやり取りに吹き出してしまう。アニやユッキーの温かい思いに触れて心がふわりと軽くなり、さっきの負のスパイラルが嘘のように消えていった。


 とにかく今の問題を解決したい。悪いクセで猪突猛進してしまった私も悪いが、もう1人では荷が重すぎる。私は涙を拭いて、アニにミカが持っていた証拠写真の件を話し始めた。

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