21話 第六幕 ~タイムパラドックスの予兆~ ②

3月30日 14時52分


 隣の席で、刑事ミカが乾いた音でゆっくりと拍手を繰り返していた。


「驚いたねぇ、歌が上手いじゃないか。泥臭い探偵なんか辞めて歌手を目指したらどうだい?」


「──私を……見張ってたの?」


 刑事ミカは私の質問にフフンと鼻で笑う。


「見張ろうと思っても、なんだい?ルミさんは隠れんぼの世界王者かい?この私がいつも見失うなんて今までなかった事さ」


「──私の疑いは晴れたのでしょ?これ以上付きまとうと警察に訴えるから」


 ミカの表情にキレが増す。何か嫌な予感がして、私は赤いリュックの肩ベルトを強く握り締める。


「疑いは晴れたさ、あの時はね。ただ前に言っただろう?私の勘では何かあると……」


「あなたの勘でしょ?そんなので……一般人につきまとって良いんですか?」


 動揺どうようで震える声はミカに十分伝わっているだろう。ミカは1枚の写真をバックから取り出す。


「──私の勘だから信じられるのさ。これは何なのか説明してくれるかい?」


「!!」


 私はミカの差し出した写真を見て目を見開く。それは、私が中山と対峙たいじしている写真だった──あの日、中山の不動産事務所に侵入し、投げつけられた瓶に驚き立ちすくんでいる瞬間だ。


「どうしてアンタが深夜、それも生前の中山の事務所にいるんだい?」


──なぜ、こんな写真が……??


 私は、あまりの驚きに過呼吸気味かこきゅうぎみになりベンチから力なく崩れ落ちそうになる。


「安心おし、これはまだ私しか知らないのだから。その代わり大人しくご同行願いたいねぇ」


「あ……あぁ」


 あの中山のビルのメンテナンス中は、それに連動して監視カメラも停止していたはずだ。そうだ、そう思っていた……。


 いや、あの時天井を確認しただろうか?扉と同じくセキュリティーは切れると勝手に思っていた? わからない……私は頭が真っ白になる。


 気がつくと私は、再びミカを振り切って桜並木を駆け出していた。お花見で盛り上がる団体の横をすりぬけ、線路とは反対方向の小さな土手を飛び越え道路に出る。


 ミカは想定内とばかりに、余裕の笑顔で後を追って来る。またやってしまった……あの夜の谷中公園での逃走の反省が活かされていないじゃないか!追いつかれた場合はどう見ても逮捕……もしかしたら、そう仕向けられたのかも……。


「ハァハァ、もう……逃げてばかり──」


 私は必死で靖国通やすくにどおりの交差点を抜け、市ヶ谷の雑居ビルが乱立する見通しの悪いエリアまで走って来た。後ろを見ればミカは涼しい顔でピッタリと追って来る。


 私はこの場所の特徴を生かして、いくつかの角を曲がりながらミカとの距離を少しずつ広げていく。さらに行くと再び公園の桜並木が見えて来た。駅まではすぐそこだ。


 そのまま市ヶ谷駅から電車で逃げようと考えた。


──その時。


「──痛っ!」


 私はふくらはぎに鋭い痛みを感じ、声を上げてうずくまってしまった。


「あぁっ、またそんな……」


 やはり中山の遺体を発見した日の再現である。やがてミカが曲がり角から姿を現した。


「おやおや……あの日を反省して、鍛えては来なかったのかい?」


 ミカは曲がり角で一度息をつくと、髪を軽く直しながらニヤリと笑う。スタイリッシュな黒スーツ姿には少しの乱れもない。


 絶体絶命だ。大人しく「ニケ」に直行すれば良かったと後悔するが全ては後の祭りだ。ミカは弄ぶようにゆっくりと近付いてくる。


「さてルミさん、楽しいお話を聞かせてくれるかい?」


 私はうずくまったままミカを睨み付ける。彼女の姿と自分の足を交互に見て何度もふくらはぎを叩く。辺りを見回し起死回生を狙うが、動けない事には何もできない。


 無情にも桜の花びらが私の周りにヒラリヒラリと散っていた。


 ミカとの距離は今やほんの10メートル。ただ、絶対にここで捕まるわけにいかないのだ。


──もう、どうにでもなれ!


 私は最後の手段を使う事に決めた。赤いリュックのジッパーを開け、アンティークの二眼カメラを取り出す。


 突然の私の行動に、ミカは片眉を上げ、素早くジャケットの内側に手を伸ばす。殺傷能力のある武器を取り出すのかと警戒したのだろう。


 私は、目を細めて何が起こるのを見届けようとするミカの顔を、真っ直ぐに見つめて叫ぶ。


「真実を!……見極める!」


 続いて特別なシャッターを押す。


「お願い!!」


 私の周りに不思議な光の渦が出来た。散った桜の花びらも光の渦の中で旋風せんぷうのように舞っている。


 私はどこかの時間へタイムリープした──


──突然の光の渦のまぶしさで目を瞑つむろうとした刑事ミカは、不思議な光景を目の当たりにする。


 目の前の女性の身体が七色の光の中で溶けるように消えていったのだ。舞い上がった桜の花びらが再び地面に落ちていく中、ミカは1人呆然と辺りを見回す。


「──なんだいこれは……」


──ミカはキレのある笑みを浮かべ、両手を広げて立ち尽くす。


「人が消えたよ──この私から逃げたのかい?」


 そして声を上げて楽しそうに笑い出す。


「あははは、これは面白いじゃないか……最高だねぇ!」


 ミカは誰もいない路地でいつまでも笑っていた。

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