8話 第三幕 ~タイムリープ~ ①
3月28日 13時22分
中山の話をすると、誰もがメンチコロッケのお兄さんのように顔をしかめるか、その話はしたくないと言うのである。死んでもなお、何かの影響力があるのであろう。
私は一度、探偵のボスのアニに報告と相談をしようと、
神楽坂には、石畳の坂道が風情ある街並みを作り出しており、路地裏には隠れ家的なバーが点在している。その路地の一角に写真喫茶「ニケ」はある。
「ニケ」の店の扉を開ける。店内はアンティーク風で、店主のアニや常連客、そして行方不明になった私の母が撮った写真が雑然と、実は絶妙なバランスで飾られている。
古いスピーカーから低く流れるジャズピアノと、淹れたてのコーヒーの香り。今日はお客さんも数人程度で、静かな時間が流れている。
ここは探偵としての私の職場ではある。ただ、子供の頃から私はこの店にいた。ここは私の一番心落ち着く場所なんだ。
私がお店に入ると、このお店の看板アルバイトであるユッキーが神々しい笑顔で出迎えてくれる。
「ルミちゃん、お帰りなさい♪ちょっとだけご無沙汰だね」
「ただいまユッキー、会えなくて寂しかった」
彼女はモデル級の美貌とオーラを持ち、心優しい私の憧れの女性だ。ちなみにユッキーという名前はニックネーム。本名は……そう言えば聞いた事がない。
いつものお気に入り席に座ると、私は赤いリュックを下ろしてほっと息をつく。そしてテーブルに頬杖をつき、目の前に飾られた若き日の母の写真に向かって微笑みかける。
これがこのお店に来るといつもやる儀式……と言うか、ルーティンだ。そうして母と繋がれる時間、母と繋がれるこの場所が、私にとってかけがえのない存在だ。
ユッキーが水のグラスを運んできてくれた。
「ルミちゃん、今日はどうする?」
「今日はユッキー特製の美味しいスペシャルコーヒーが飲みたいなぁ」
私がそう言うと、彼女は女神のような極上のウィンクをしてコーヒーを淹れる準備を始める。
彼女の淹れるスペシャルコーヒーは、相手の顔色や雰囲気から体調を察してその人に合わせた豆の配合を考慮して出してくれる、まさにスペシャルな飲み物だ。 彼女はカウンター越しから私の方を向き軽く首を傾げた。
同性ではあるが、その女神のような美しい姿を眺めるだけで変な疲れもあっという間に吹っ飛んでしまう。
「で、ルミちゃん。谷中のお仕事の方は順調なの?」
「うーん、どうかな……動いてはいるけどプルートも中山浩司殺しの犯人探しもちょっと進展出来てないなぁ」
「そっか、そんな時は気分変えないとね。ゆっくりしていくと良いよ」
「──アニは今いないの?」
「──ん、ちょっと買い物。すぐ帰ってくるよ」
このお店ではアルバイトのユッキーが、足りない食材や備品の管理をして店主のアニに買いに行かせているようだが、誰もその力関係にはツッコミを入れないようだ。
このお店の名物である壁にかかったアンティークな大時計が2時を知らせる。私は水のグラスを口に運ぶと、軽く息を吐いた。そしてお気に入りの赤いリュックに入っているアンティークな二眼カメラを取り出す。
今はコアなカメラファン以外は誰も使っていないであろう大きなレンズが二つ付いている黒光りの渋い骨董品であるが、このカメラには実は大きな秘密があるのだ。
「ルミ、お帰り!待たせたかな?」
声の主の方に振り返ると、買い物袋を抱えたアニが立っていた。
「今来たところだよ、アニも買い物お疲れだね」
「ありがとう。そっか、それは良かった。今、新メニューを考えててね、それの材料を吟味してたところなんだ」
「──新しいメニュー?」
「そうさ、私のマーケティングリサーチを駆使したドリンクをね。まぁ、それは完成してからのお楽しみだよ」
アニはドヤ顔で買い物袋を横の椅子に置くと、私の向かいの席に座り、うーんと大きく伸びをする。
「──ふぅ、それで、中山浩司の件は難航しているようだね」
「うん、中山が嫌われていたのは確かだけど、なぜかこの地域では彼は亡くなっても影響力があるみたいでさ、あまり本音を言いたがらない人も多くて……」
「うーん、それは厄介だね、嫌われると言うより恐れられていたのかな?」
「どうなんだろうね?何か弱味を握られてたりしているのかも」
アニは、私の手元に置いてある二眼カメラにチラリと目をやると、声を落として誰にも聞こえないように囁く。
「それであれかな?ルミの提案はこのカメラのチカラを使いたいと?」
私はとりあえず黙って頷く。タイムリープのチカラを犬猫探偵以外で使うのは初めてなので、アニの意見を聞きたいのだ。
「犯行日に跳べれば、確かに犯人がわかるかもしれないね?」
私はもう一度黙って頷く。アニは椅子にもたれかかり腕を組み、しばらく何かを考えていた。
「──そうだなぁ……じゃ、二つ約束して欲しいけど良いかい?」
「二つ?」
「一つはね、猫犬の時とは違って、近くには人を殺そうとする危険な人物がいるはずだ。怪しい人物が現れても、無茶な行動はしないこと。隠れて証拠になる写真を撮ることに徹して欲しい」
「そっか。うん、わかった」
当然と言えば当然だ。このチカラは犬猫探しの時の最後の手段に使った事はあるが、今回は、なんと言っても殺人事件だ。人殺しをするような人に対して私が何かできるわけでもない。探偵らしく証拠写真の撮影に徹するのが良いと私もわかる。
「二つ目は?」
私が質問すると、アニはいったん真顔で私を見てから、何かを思い出したように軽く笑う。
「えー?何笑ってるの?二つ目は?」
「ごめんごめん、二つ目は、タイムリープを繰り返しする状況になっても、一度ここに帰ってちゃんと報告すること」
「あ、うん。大丈夫」
「ホントにわかったのかな?ルミは時々
無鉄砲とか猪突猛進とか……言いたい事を言ってくれるが、うん。まぁ……少しは自覚もあるので、アニが心配するのもわからなくもない。私の苦い表情にアニは眉間に皺を寄せて眼鏡の位置を調整する。
「ルミに何かあったら、アイツに会わす顔がなくなるしね……」
アニの言うアイツとは、行方不明になった私の母のことだ。母もアニの事を親友だと数少ない幼い頃の記憶で言ってたのを覚えている。
私は黙って頷く。
アニが私の事を想ってくれる以上に、行方不明の母を大事にしてくれる事が何より嬉しい。
「──アニ、ありがとう。大丈夫、約束はちゃんと守るから」
彼は首を傾げると頷いて、私の頭にポンと手をのせる。子供の頃からアニはこれをやるのが好きなようだが、私も彼の温かい手が心に伝わりホッとする。
「ルミちゃん、お待たせだよ♩」
ユッキーがスペシャルコーヒーを運んで来てくれた。芳しい香りが辺りに漂う。
私は大きく息を吸うと安らぎ満たされた気持ちで、コーヒーカップをそっと両手で包んだ。この温かい日常……ニケでの時間が私にとって宝物なのだ。
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