3話 第一幕 ~始まりの地、谷中~ ③

3月14日 10時42分  谷中周辺やなかしゅうへん


 翌日の午前中から私は、意気揚々いきようようと迷子の黒猫プルート捜索を開始した。天気は今日も快晴で、午前中から最高の陽気だ。歩いているだけでも気持ち良い♩


 気分が乗った私は、浜田邸周辺の捜索を手始めに、セオリーから外れて夕やけだんだんで有名な谷中銀座はもちろん、西日暮里にしにっぽり駅から根津ねずの辺りまでプルートを探して歩き回った。


 私はこうなるとなのだ。


 写真喫茶「ニケ」で探偵のボスであるアニに急かして作って貰った、プルートのポスターをコンビニや公園、飲食店などに貼ってもらい、辺りにいる人達に聞き込みをする。


 神楽坂のアニやユッキーには他にインターネットでも呼びかけて貰った。しかしプルートの手掛かりはネットでも今のところ見つからない。


 プルートの持つ神秘的な雰囲気と黒猫のオッドアイは奇跡的に珍しいと思うので、一度見かけたら覚えている人もいるだろうと思ったのだが、残念ながら外を彷徨うプルートを知っている人はいなかった。


 神楽坂のアニやユッキーには他にインターネットでも呼びかけて貰った。しかしプルートの手掛かりはネットでも今のところ見つからない。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


3月14日 14時27分  谷中商店街やなかしょうてんがい


 昼下がりを過ぎて私は谷中の商店街の外れまで来た。私には縁がないが、スナックやバーが立ち並ぶこのエリアは昼よりも夜の方が活気があるのであろう。


 まだシャッターを閉めているお店も多く、ポスターを貼って貰えるタイミングではなさそう。 このエリアはまた後で出直そうと考えたその時。


「──痛っっ!」


 突然鈍い痛みがふくらはぎに走る。

 張り切って歩き過ぎたのか腓返りこむらがえりが起こったようだ。人生で初の出来事で少し情けない。


 助けを求めて辺りを見回すと、スナックの入口横に椅子が置いてある。私は足を引摺ひきずりながら椅子まで辿り着く。


「あぁ、運動不足かなぁ、昨日のペルシャのペネロペちゃんとの追いかけっこが響いているのかな……」


 時刻は14時30分、まだまだ活動出来る時間帯である。


「せっかく浜田夫婦の試練に合格したって言うのに、初日から情けないなぁ……」


 ふくらはぎに手を添えて椅子に座っていた、その時。お店の入口が開き着物姿の女性が顔を出す。


「あら?あなたお客さん?」


 小柄で可愛らしいが、色気と貫禄を持ち合わせているお店のママらしい女性だ。


 お店の看板を見ると、「スナック薄幸はっこう」と書いてある。 幸が薄いで薄幸だ。はたしてお客さんは来るのであろうか?


「あっ、いえ。ふくらはぎをつってしまったようで…ちょっとここで休ませてもらえますか?治ったらすぐ行きますから」


 痛みに堪えながらなんとか話すと、女性は大きな目を一瞬見張ってから、無言でドアをバタンと閉める。なんだろう?怪しい人と思われたのだろうか?


──とりあえず、追い出されなくて良かった


 私は大きく深呼吸をし、痛みに耐えて足をさする。


 バタン!と再びドアが開く。


「ひゃっ!」


 突然の音で目を丸くして驚いていると、ペットボトルと湿布を持って、再び女性がお店から出て来た。


「ほらほら……あなた、これ飲みなさい。いつもお水飲んでる?」


「え?」


 女性は慣れた手つきでペットボトルのキャップを開けると、私に渡した。その手の動きはまるで、舞台の上で一つ一つの仕草を演じているように優雅だった。私がぼんやり見とれていると、彼女は腰を軽く屈め、膝をついて私の足をさする。


「湿布を貼ってあげるわ。少し動かなければ、すぐ良くなるわよ」


 彼女の細く白い指が、私のふくらはぎに触れた。思わず少し身を引こうとしたが、その穏やかな手つきに安心感を覚え、抵抗するのをやめた。彼女が丁寧に湿布を貼り終えると、軽く揉んでくれた。


「イタタタ!!あ、ありがとうございます──」


 お礼を言うと、彼女はふわっとした笑顔を浮かべた。


「お礼なんか良いわよ、だってこの椅子、昨日座ったお客さんがダニにやられたって連絡が来てね、さっきから干してたのよ」


「えぇ?!」


 その言葉にぎょっとして椅子から立とうとすると、女性は朗らかに笑いながら冗談だと言うゼスチャーをする。


「本当に大丈夫よ、ゆっくりして行って、減るものじゃないし」


 女性はあでのある大きな瞳で私を見つめてニコリと笑う。女性の私でもドキドキしてしまうほど魅惑的な笑顔だ。


 常連客はこの笑顔でリピートせずにはいられなくなるのであろう、私の通う喫茶店ニケの看板アルバイトのユッキー親衛隊と同じように。


「ありがとうございます、迷い猫を探して午前中から歩いていたけど、ちょっとだけ気合い入れ過ぎたかなぁって……」


 私はペットボトルのドリンクを一気に半分ほど飲み干す。そう言えば昼も飲まず食わずだったのを思い出す。足がつるのも無理はない。


「迷い猫?そのトートバックに入っているのがポスターなのね?」


  彼女はポスターを広げると、その猫の写真をじっと見つめ、少し思案するように首を傾げた。その仕草さえ、どこか気品が漂う。


「あら、素敵な美人の猫ちゃんね、オッドアイの黒猫って神秘的」


「そうなんです、心当たりありませんか?」


「そうねぇ、黒猫はこの辺りでもたまにいるけど、こんな変わった瞳の子は知らないわ」


「そうですか…飼い主さんがとても可愛がっていた大切な猫なんですけど……」


「そうでしょうね、こんな可愛い子なんだから。飼い主さんはさぞかし心配でしょうねぇ」


 女性はポスターを見ながら心配そうに見つめている。この人は本当に世話好きで良い人なんだろう。


「……そうだ!」


 ふと、この世話好きな女性にも猫探しを協力してもらう事を思いつく。店のママだし交友範囲も広いに違いない。


「あの、このお店に一枚貼らせて貰っても良いですか?」


 私がそう言うと女性は最初、驚いた顔を浮かべるが何かを考えたようで、無邪気な笑みを浮かべて私の肩を軽く叩く。


「一枚と言わず、このお店の一面に全部貼って行っても良いわよ。目立って良いかもねぇ」


「え?このポスター全部ですか?」


「黒猫のポスターが沢山貼られたスナック薄幸って、この谷中のディープスポットになりそうね。気に入ったわ、あなた名前は?」


「えっと、ルミと言います……」


 私がそう言うと、女性は大人可愛くポージングを決めて見せる。


「ルミちゃんね。私はのりこよ、このお店の常連さんからは、のりこママって呼ばれているわ。

 困った事があったら、またここに来なさいね。こう見えても私、頼り甲斐はあるのよ」


 そう言うとのりこママは着物の袖から気前良く湿布を数枚取り出して私に渡す。


「私は開店の準備があるから行くけど、その椅子はそのまま貸してあげるわ。痛みが消えるまでここに居なさいね」


 そう言うとのりこママは嬉しそうにポスターを全部持って店の中に入って行った。


 本当にあの黒猫のポスターをお店中に貼るのだろうか?スナック薄幸……まだ私の知らない世界が沢山あるんだ。そう思いながらも私は感謝を込めて彼女の背中を見送り、ミネラルドリンクを一気に飲み干した。

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