2話 第一幕 ~始まりの地、谷中~ ②

3月13日17時48分  谷中やなか


 私は、「ニケ」のある神楽坂かぐらざかへ戻るのをやめて、谷中やなかのある日暮里にっぽり駅へ向かった。 周りの人々は家路にく時間だと言うのに……。


 谷中は東京の下町らしい情緒が残るエリアで独特の雰囲気を持っている場所で私も好きなエリアだ。


 街には古い寺院が点在し、昔ながらの商店や食堂が軒を連ねる石畳の小道が幾つもあり、ここに来る度に都心にいる事を忘れさせてくれる。


 私はスマホの地図を頼りに風情ある観光名所の谷中銀座商店街を抜け、古い木造住宅が建ち並ぶ細い路地に入る。


「浜田……あ、ここだね」


 その家は昔懐かしく趣のある木造住宅で、庭には梅や蝋梅ろうばいが綺麗に咲いていた。


 緊張で喉が渇き、私は何度か咳払いをしながら呼び鈴を押す。すると人の良さそうな女性が快く迎えてくれた。


 女性は細面で整った顔立ちだが、心なしか陰を感じる人だ。名前を知世ともよと名乗った。


 私はお辞儀をして、パステルカラーのネコとイヌのイラストが入った名刺を差し出し、得意の営業スマイルを見せる。何事も最初が肝心だ。


「こんにちは、神楽坂のニケから連絡を受けて来ました、探偵のルミと言います」


「あら、さすがに対応が早いわね。少し散らかっていて恥ずかしいけど、どうぞお上がり下さいね」


 知世が手慣れた手つきで黒色の猫を模したスリッパを取り出し揃えると、ニッコリと微笑む。


「犬猫の探偵さんなら、こんなスリッパお好きでしょ?」


「わぁ、黒猫のスリッパですか?可愛いですね、大好きです♩」


 玄関を改めて見回すと、下駄箱の上にはネコグッズが溢れ、鏡や靴ベラまでもネコの形をしていた。


 楽しくなってしまった私がテンションが上がりワクワクとあちこち見入っていると、知世は満足そうに頷きポツリと呟く。


「うん、私からはだわ」


「──え?」


「ん、なんでもないわ。ささ、奥の部屋にどうぞ。ティーカップも素敵なのよ、きっと気に入るわよ」


 知世はそう言うと、楽しそうに笑いながら私の背中を押す。その勢いのまま応接間まで案内され部屋に入った。


 中に入り辺りを見回すと、想像通りこの部屋も一面の猫グッズでネコ愛に溢れていた。


「わぁ、猫のおもちゃ屋さんみたいですね!」


 知世に話しかけながら、ふと目の前を見るとここの主人と思われる男性がソファに座っていた。男性は私に向かいの席に座るように促す。


 男性は中肉中背で穏やかな顔立ち。癒し系のオジサンでまるで仏様を彷彿とさせる感じ。どこかで転んだのだろうか?額に絆創膏が貼ってある。彼は名前を芳雄よしおと名乗った。


 芳雄は軽く咳払いをすると和やかに話し始める。


「探偵さん、お待ちしていました。早速行方不明になったプルートの話を聞いて頂きたいのですが……」


「もちろんです。そのように聞いてこちらに伺いました。どうぞプルートちゃんについてお話聞かせてください」


 私が案内されたソファに腰掛けると、芳雄の眼差しは、何やら今まで見せていた和みの雰囲気から一変して鋭くなった。


「ルミさん。申し訳ないが、その前にある試験を受けて頂きたい」


「──ハイ?」


 私は試験という言葉に戸惑いながら聞き返すと、芳雄は間髪入れずに私に質問を二つ投げかけた。


「一つ目は、あなたが猫を飼うとしたら、どんな猫を選ぶのか教えて欲しい」


 続いて芳雄は二つ目の質問をする。


「二つ目は、猫が急に行方不明になったとき、最初にどこを捜すべきだと思う?」


「!!」


 ——えぇ?何??


 急な質問に一瞬躊躇ちゅうちょするが、芳雄の質問から、私が犬猫探偵としてどれだけ猫に対して愛情と知識があるのかを試されているのだと理解出来た。


 それならば、プロとして彼らの質問に答えなくてはいけない。うん、少し燃えてきた。私は言葉を選びながらゆっくりと話し始める。


「えっと、一つ目の質問ですが、猫の種類は非常に多く、数百種類にも及ぶと言われています。三毛猫、ペルシャ猫、ロシアンブルーなどがポピュラーですね。

 ただ、私がもし猫を飼うとしたら……」


 私は、犬猫探偵のプライドをかけ自分の想いを真摯しんしに夫妻に伝える。 芳雄と知世は私の答えに満足そうに頷いている。 ふふふ、そうでしょうとも、私はプロですから。


「二つ目の質問ですが、まずは自宅の周辺から確認することが大切です。部屋の隠れ場所、庭、車の下、物置などを徹底的に探すことから始めます。

 また、根気よく近所の人々に声をかけて……」


 こんな感じで私は彼らの質問にプロとして、いや……猫好きとして誠実に答え、自分の経験と知識、そして何より猫への深い愛情を2人に示した。


 浜田夫婦は顔を見合わせて頷くと、私に満面の笑みを見せる。芳雄は再び大仏のような和みの表情になり、座ったまま私に頭を下げる。


「ルミさん、大変失礼をして申し訳なかった。

 行方不明になったプルートを真剣に探して貰える人を探していました。どうかお願い出来ますか?」


「芳雄さんの質問に私たちが満足出来る回答をした探偵さんはルミさんが初めてです。私からも改めてお願いします」


 知世も、猫の取手が付いたティーカップにお茶を注ぐと深々と頭を下げる。


 夫婦二人の試験の前にどれだけの普通の探偵が、不合格を言い渡されて帰って行ったのであろうか? 2人が深々と頭を下げているのを幸いに、私は気づかれないようにホッと息を吐いた。


 しかし、そのまま彼らが頭を下げたまま止まってしまっているので、どうして良いのかわからず私も頭を下げて2人に語りかける。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。お二人のプルートちゃんに対しての愛が伝わりました。私も昔から猫が大好きなので」


 私がそう言うと、嬉しそうに知世がテーブルに置いてあったフォトフレームを私に手渡す。その写真を見ると、知世が愛おしそうに一匹の黒猫を抱いていた。


 黒猫プルートは、毛並みが良くキリリとした顔立ちで、左右で瞳の色が違うオッドアイの美人猫だった。 最近はバイカラーとも呼ばれているみたいだけど、とにかく神秘的な雰囲気だ。


「わぁ、可愛い!プルートちゃん、神秘的な雰囲気のある美人さんですね!」


 私が思わずそう言うと知世はさらに嬉しそうに頷く。


「褒めてくれて、どうもありがとうね。この子は……そう、気分屋で難しい子だけどね、またそこがまた可愛いのよ」


 横で聞いていた芳雄も言葉を継ぐ。


 「前にも何匹か猫は飼ったけど、3年前からかな、この子が大切な家族になったのは…… 本当にこの子は特別な猫なんだ」


「──でも、どこに行ったのかしらね…この通りの美人でしょ?変な輩に絡まれていなければ良いのだけど」


 知世は心配そうな顔で、私から受け取った写真を眺める。


「とにかく、早めに探し出して来て欲しい。

 お宅の犬猫専門探偵は、インターネットで評判が良いと聞いたので頼んだんだ。期待してるよ。

 早く見つけた時は、報酬も特別に考えている。ぜひ頑張って欲しい」


 猫好きな夫婦に信頼されて、嬉しくなった私は姿勢を正し改めて芳雄の方に向き直った。


「では、プルートちゃんがいなくなった経緯を教えて欲しいのですが?」


 私は愛用の黄色い手帳を取り出して詳細を聞くことにした。


 知世はフォトフレームを愛おしそうに撫でながら話し始める。芳雄は何も言わず目を閉じて腕を組んで聞いていた。


「プルートは先ほども言った通り気分屋でね、特別で難しい子なの。何日か家に居たと思うとフラッと居なくなってね……」


 私は彼女の話を取りこぼしが無いように手帳に書いていく。部屋の壁に掛かっている鳩時計ならぬ猫時計が18時を伝える。知世は軽く時計に目をやり話を続ける。


「数日経っても帰って来ない事も度々あるんだけど、いつの間にか戻ってくるのよね。今回もね、また数日後に帰ってくるとばかり思って待っていたのだけど…… 」


 知世の隣で芳雄が頬を軽く薬指で掻きながら、彼女の話を聞いていた。

 

 ──その後もじっくりと二人から話を聞いたが、一つだけ困惑したのは、帰ってこなくなった日など細かい所が、両者でたびたび食い違うことだ。


まぁ、仲の良いでも夫婦でそう言う事は度々あるのだろう。


 しかし、彼らの猫愛がとても深いのは本物だ、私はプルート探しを気持ち良く引き受けることにした──。


「わかりました。犬猫探偵の名誉にかけても、プルートちゃんを見つけてみせます♩任せてください!」


——うん、そう。後から考えるとこのオッドアイの黒猫プルート探しが全ての事件の始まりとなったのは間違いない。



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