1話 第一幕 ~始まりの地、谷中~ ①


──これは……また夢の中なのだろう。



 私は子供の頃の自分に戻っていた。

3歳…?いや4歳くらいか…物心つく遥か前の幼い私。


「おかあさん…」


 私は一緒に歩いている母の顔を見上げて、その手をぎゅっと握りしめる。


「──大丈夫、大丈夫だよ。何も怖くないよ」


 母は私の心細げな表情に気付いたのか、安心させるようににっこり笑う。


──ここはどこだろう……?そうだ、当時よく母に連れてこられた場所だ。


 巨大な建物の中に、剥き出しむきだしの鉄筋の柱がずらりと並ぶ場所。それは無機質だが幻想的な光景だった。


 広大な空間に張り巡らされた細長い通路は、くねくねと曲がりくねって伸びており、まるで宙に浮かぶ迷路のようだ。


 下を見ると底知れぬ空洞が暗く口を開けていて、私は何度も足がすくんでしまう。


 何か怖いものが叫んでいるかのようなサイレンが鳴り響き、悪魔の目のような赤色のランプが瞬きのように点滅している。


 いつもは笑顔で声をかけてくれる大人たちが皆、今日はなぜか怖い顔で走り回っていた。


 その中の一人がドンと私にぶつかり、私は弾き飛ばされてよろめく。そのショックと異様な空気に、私は硬直してそれ以上進めなくなり、母にしがみついて目をつぶる。


「やだやだやだ!怖いよ!」


 私はついに泣き出してしまう。


「……大丈夫だよ、あなたはお母さんの子だから大丈夫」


 母は私を抱きしめて優しく頭を撫でてくれながら、穏やかな声で何度も繰り返す。


 母のその声と温もりは、この混沌とした世界で唯一の光だった。私はしゃくり上げながら、母の腕の中でやがて落ち着きを取り戻す。


「ほら深呼吸して……大丈夫?」


「…うん」


「じゃ、お母さんと手を繋いで走ろうね」


「うん!」


 私は母の手を必死に握りしめた。混乱し右往左往する人々の間を縫って、私たちは宙に延びた通路を走り出す。


 どのくらい走っただろうか、やがて私たちは人気の少ない大きな柱の陰のガランとしたスペースに辿り着く。


 母は素早く辺りを見回し、その場でしゃがみ込むと私に目線をあわせる。そして、いつも大切そうに持っていた古い二眼にがんカメラを私に手渡した。


 ダイヤルを回し、ファインダーを開いて見せて、母は私に微笑みかける。


「じゃあ、お母さんはここでちゃんと待っているから──安心して行ってらっしゃいね」


 母の瞳はなぜか涙で潤み、声は震えていた。けれど、頭を撫でてくれる手のいつもの温もりが私を安心させた。


「それじゃ、一緒にいつもの魔法の呪文を唱えようか」


「うん!」


 お母さんと一緒なら大丈夫。私は大きく頷く。


 そして……


 私たちは声を合わせて、いつも遊んでいる時に言っていた呪文を唱えた。


「真実を、見極める!!」


 その瞬間、私の視界はまばゆい光に包まれた。


 そうだ、思えばこれが私の覚えている母の最後の言葉だった……


 突然それに気付いて私は振り向き、泣きながら母へ手を伸ばす──


「やだよ!おかあさん!おかあさーん!!」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



──私は自分の叫び声に驚いて目を覚ました。


「え??」


 両側に座っているサラリーマン、吊り革につかまる学生たちが私を見て目を丸くしていた。


「え??」


3月13日 17時20分   JR飯田橋いいだばし


「ご注意ください。ドアが閉まります」


 そのアナウンスにハッとした。私はJRの電車の中でうたた寝をしていたようだ。


「わぁ、降ります!!降ります!!」


 間一髪、ドアが閉まる寸前にすり抜けるようにホームに降り立った。バタン、とドアが閉まった瞬間、私の髪がわずかに風になびき、額にかかった前髪を指先で無意識に整える。


 夕方のラッシュアワーが始まり、大勢が驚いて見ているのに気づき、私は思わず微笑んでごまかした。


「はぁ、危うく月間の寝過ごし記録を更新するトコだった……」


 駅構内では様々な音が入り乱れている、その中で私は人をかき分け、階段を上り急いで改札へ向かおうとしていた。 



── 私はルミ、神楽坂かぐらざかで探偵をしている。


 探偵と言う響き、とてもカッコ良いと思いませんか?


 数多の敏腕刑事を悩ませる難事件・怪事件も、この灰色の脳を持つ私があっと言う間に解決して──


 と言いたいところだけど、私の所に来る依頼は迷子のワンちゃんネコちゃん探しが多く……と言うか、まぁ、そればかり。


 迷子の犬猫探しが多いから、異名は犬猫専門探偵。


 でも、この異名も自分の仕事も、私は気に入っている。


 実は私には、人には言えない不思議なチカラがあるのだ。


 今日も成城せいじょうのお金持ちマダムの依頼で、迷子のペルシャネコを見つけて来た──不思議なチカラを少しだけ使ってね……


 その報告をするために、私の探偵のボスであるアニが経営する神楽坂の写真喫茶店「ニケ」に帰る途中だ。


 あ、ちなみに私もそうだけど、アニという名はコードネーム。探偵という職業上、本当の名前は極秘扱いなのである。


 何事もまずは形からって言うでしょ?


 って、堅苦しい自己紹介は、とりあえずこれくらいにして……



3月13日 17時23分


 私の癒しのカフェであり、探偵のアジトである「ニケ」に戻って今日の仕事の報告を手早く終わらせたら、温かいコーヒーが飲みたいなあ。


 あ、その前に坂の途中のあの和菓子屋さんでおやつ買わなきゃね。そんなことを考えていると、改札の手前でアニからスマホに連絡が入った。  


「ルミ、成城の件も無事解決出来たようだね、お疲れさま」


「あ、アニお疲れさま。今駅降りたからね…あと少しでニケに帰るよ」


「そうなんだ、ちょうど良かった。お店に戻ってまずはコーヒーでもと言いたい所だけど……申し訳ない」


「え?」


「もう一件今からお願い出来るかな?」


「え?今からもう一件?」


「そう、今から。谷中やなかに住む浜田はまだ夫妻から猫探しの依頼があったので、とりあえず今から話を聞きに行って欲しい」


「わぁ!……ブラック企業だ……」


 アニの話だと、浜田夫妻の飼っているプルートという名の黒猫が行方不明になったと言うのだ。


 毎度のことながら、アニは言葉は優しいけど人使いは少し荒いなぁと思いつつも、とある事情……というか恩があるので文句は言えない。


 それに犬猫探しは私の得意分野。喜んで話を聞きに行く事にした。世の中、前向きに考えていかないと!…と、自分に言い聞かせる。


「ハイ、了解だよアニ」


「何か悪いね、それじゃ宜しく!帰ったら美味しいコーヒー入を淹れてあげるからさ」


「……そう言えば、今日はユッキーがアルバイトのシフトの日だよね?」


「あ、ユッキー?今いるよ。何か用事かな?」


「あぁ、大丈夫大丈夫。お店に帰ったらアニのじゃなくて、ユッキーの淹れた美味しいコーヒーが飲みたいな、ヨロシクね」


「え?何だって?」


 私は、ささやかな嫌味を言いながらも、アニから谷中の浜田夫妻の住所を聞いて再びホームに降り、谷中のある日暮里にっぽりへと向かった。


 そう、思えばこの時はかなり軽い気持で話を聞きに行ったのに。それがこんな途方もないスケールの事件になろうとは……。

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