タイムリープ探偵ルミ 〜探偵ルミのクロネコ奇譚〜

神楽坂ニケ

第一章~月下の黒猫~

0話 序幕 〜月下の黒猫編・前日譚〜

 私は3年に1 度あるかないかの、つまり今年最大のピンチに陥っていた。


 息は乱れ、額からは汗が滲み出る。緊張感が続くあまり疲れきった私の声も、心なしか震えている。これは犬猫探偵のプライドを賭けた戦いなのだ……。


「……ペネロペちゃん、一緒に帰ろう?おうちでお母さんが心配してるよぉ」


「ニャ〜」


 ペネロペは一声鳴くと、私を小馬鹿にするように目を細め首を傾げる。この表情、ちょっとどうなのよ。完全に人の心の内を読んでいるようだ。


「て、手強い……」


 ここは、成城せいじょうの閑静な高級住宅街。どこを見ても優雅な雰囲気のお屋敷が立ち並んでいる。


 その一角の、西洋風の洒落た作りの塀の上。ここにいるのが、午前中から探し回ってやっと見つけた、迷子のペルシャ猫のペネロペだ。


 ふわふわの毛並みにピンクのリボンをつけた、プライドの高いお姫さまである。


 彼女が私とにらみ合いを始めて小一時間。


 私は身体のあちこちに彼女の猫パンチを貰い、満身創痍まんしんそうい状態だ。


「新発売の猫じゃらしも、マタタビボールも高級おやつもスルーって、さすが成城の猫ちゃんは贅沢だなぁ…」


 私のボヤキに彼女はつんと目をそらし、優雅な身のこなしで路地裏へ消える。


「あ……ちょっと待ってよ!」


 半泣きで後を追うと、ペネロペは狭い路地の真ん中で、涼しい顔で身体を舐めていた。


 「わっ、これはチャンスかも……」


 私は思わず生唾を飲み込む。


「そうそう、いい子ね…おとなしく捕まって、本当にさ……お姉さん、もうそろそろ足が限界だよ」


 囁くように話しかけながら、私は気付かれないようにそーっと距離を詰めていく。


 ようやく追い詰めたペネロペと私は一触即発の状態に。


 彼女はふんぞり返って私を睨みつけ、拳法の達人のように猫パンチを繰り出す仕草を見せる。


 彼女の隙のない構えに、こちらも下手に動けない。


 この子は異世界では格闘家で、交通事故か何かで間違えて猫に転生したのかもしれない……


「ふぅ、キミは手ごわい相手だね……」


 ため息をついて話しかけると、彼女は不敵な顔つきで、再びにゃおんと鳴いた。


 猫語で、


──アンタが私に敵うわけないじゃない──


 そう言っているように聞こえる。いや、確かに今、はっきりとそう言った。私はボキッと心が折れそうになるのを悟られないように、


「──分かった。話し合いで解決しない?」


 ニッコリと笑顔を作るとペネロペに向かって両手を差しのべ、降参と休戦のジェスチャーをする。


 彼女は優雅に首をかしげてしばらくの間、下賤の者を見るように私の顔を観察する。


「…………」


──コホン。


 沈黙が耐えられなくなり、1度だけ咳払いをする。引き続き笑顔を作るが、眉間にシワが寄り、頬がヒクヒクしてきた。


 両者しばらくの沈黙のあと、彼女は私の作り笑顔を見透かしたようだ。


──ダメだこの人間。──


 そう聞こえた気がして、作った笑顔が一気に崩壊する。


 すると彼女はプイと横を向き、フワフワの尻尾をひるがえすと、再び表通りに向けて走り出す。


「あ、また……ちょっと!もう」


 再び半泣きでペネロペの後を追う私。 犬猫探偵のプライドはもうカケラも残っていない。


 その時、不意に大音量でエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。


「!!」


 ハッとして振り返ると、シャイニングブルーの高級車が、速度を増して私たちがいる狭い路地へと突っ込んで来た。


 私の心臓が跳ねるように脈打った。ペネロペの目が丸くなり恐怖で身体が固まっている。


「ペネロペ!!」


 私は声を上げ、全速力で彼女のもとへと駆け寄る。


 両手を伸ばし、間一髪でペネロペを抱き上げそのまま前方回転受け身のように転がる。その瞬間、車は轟音を響かせながら私たちがいた場所を通り過ぎた。


 塀を背にし、息を切らしながら抱き合う私たち。


「イタタタタ、頭打ったよぉ。ペネロペ大丈夫?」


 彼女は怯えたように私の腕の中で小さく鳴き、その時初めて、安心したように私に身を寄せた。


 気高いお姫さまが私の胸の中で、ゴロゴロと喉を鳴らして丸くなっている。


「あぁ、良かった……」


 私の目に涙が溢れてきた。ペネロペは私を見上げ、ニャ~ンと鳴く。


 そして目を瞑り、安心し切ったようにスヤスヤと寝息を立て始めた。


 どこかのお屋敷から、バイオリンを奏でる心地よい音色が聞こえる。私は塀にもたれ、ペネロペを抱きながら、しばらくその音色を放心状態で聞いていた。


「とにかく……車に轢かれなくて良かった。異世界探偵にならなくて良かった……」


 


「──まあまあまあペネロペちゃん、心配したのよ。どこで迷子になってたの?」


 依頼主の成城マダムは、お姫様とお揃いのふわふわの服とピンクのリボンをつけて出迎えた。


「私の気高いお姫さま♪よく帰って来てくれたわぁ」


 彼女は甲高い声をあげ、迷惑そうに猫パンチをするペネロペに、何十回も頬ずりする。


「見つけてくれて本当にありがとう。この子、見ての通り大人しくて気が小さいでしょ?どこかのボス猫に絡まれてなかったか心配で」


「え、それは……大丈夫です、ハイ。全然、まったく心配ないかと」


「そう?それは良かったわ。──さっき抱っこして連れてきてくれた時ね、この子、あなたには心を許してるのがよくわかったわ」


「え…」


 ペネロペを見ると、高貴なお姫さまは相変わらず依頼主に猫パンチを繰り返していた。


「知らない人にはまず懐かないのに、さすがは犬猫専門探偵ねぇ」


「あは、それはもちろん犬猫のプロですから!」


「流石だわ……もう、この子ったら甘えちゃって」


 私は猫パンチで赤くなっているマダムの笑顔に、飛び切りの営業スマイルを返した。


 無事に犬猫専門探偵の面目も保て、お茶をご馳走になった後おいとましようとした時だ。


 広いリビングルームのお洒落なキャットタワーのてっぺんにいるペネロペと目が合う。


「?!」


 彼女の高貴なエメラルド色の目が、確かに私に向かってパチンとウインクしたような……気がした。


「うーーーん、開放感♪」


 成城のお屋敷を出た私は、空を見上げて大きく伸びをする。


 辺りはすっかり日も落ちようとしていた。ふと空を見上げると、雲が先ほどのフワフワしたペルシャ猫に見えた。


「職業病だよなぁ」


 私は1人で笑ってしまった。


──グゥゥ。


 お腹の虫が鳴った。そう言えば朝から何も食べていない。


「……元の時間は、少し遅いおやつタイムかな。飯田橋で猫耳どら焼買っていこう。アニとユッキーも食べるかなぁ?」


 私は「黒猫のタンゴ」をハミングしながら小走りに駅の方へ向かった。


 そして──足を止め、途中にある小さな公園に入る。

 

 周囲に人影がないのを確かめると、私は赤いリュックからそっとアンティークな二眼カメラを取り出す。


 両手でしっかりと持ち上げてファインダーを覗き込み、私は声に力を込めて叫んだ。


!」


 私は元の時間にタイムリープした。



—— 第一幕「始まりの地、谷中」へ続く





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