物語
月の美しい晩だった。
お店が混んできて、めずしく食材を切らしたママから追加の買い出しを頼まれた。師走に近い夜の街は時間を追うごとにしんしんと冷え込みが増している。きっと仕事終わりの帰り道は霜柱に違いない。
お店に戻ると、フロアには新しいお客さんが来ているらしかった。ふくふくとした頬を緩めながら買い物の袋の中身を点検していたママが「ミサキちゃん、お願いね」と目を細めた。新規のお客さんの話を聞くのは好きだ。こんな店を訪ねてくるお客さんは、みんな物語をもっていて、それを語りに来るものなのだ。
水割りセットとお通しとお箸と、お手拭きと灰皿を乗せたトレイを持って、カウンターの端の席に近づいた。
「こんばんは、ミサキです」
一人客の隣に腰かけようとして、動きを止める。
「こんばんは」
聞き覚えのある、耳なじみの良い声。私は首をひねってお客の顔を覗き込む。それは、ついこの前までアパートの部屋で目にしていた、あの男の顔だった。
思わずまじまじと見てしまった私のことを、隣の席の男は笑った。
「僕の顔に何かついてます?」
「……むしろ顔以外が」
「……え?」
気を静めるためにゆっくりと水割りを作る。そのグラスを受け取る男の手を見て、こんな手してたんだ、と思う。
「ねぇ、お客さん」
「何かな?」
男の傾けたグラスの中で氷がカランと音を立てた。その音すらも好ましく感じてしまいながら、自分でもわかるくらい、にっこりと微笑んだ。この男に語って聞かせる物語が、私にはある。
「お名前、何ていうの?」
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