生と死と 第一部 第二章

 いんもうの世界が『ひも』としてみえるというなる『能力』をもって誕生しちまったおれさまだっててんしんらんまんたる誕生は平平凡凡たるえいにすぎやしなかった。

 一九八三年へきすうの新潟県長岡市で誕生したおれさまは比較的寡黙なるえいとして精神をかんようされていったのさ。

 ぼうひようのおれさまの誕生と前後して豪放らいらくたるおれさまの父親はへいしたらしく頭脳めいせきなるおれさまの記憶にはざんさえないんだがしゆんぷうたいとうたる誕生より父親がいなかったっつう環境はかくしやくたるおれさまの無意識にくりの超自我っつうもんを構築させずやがるいじやくなるおれさまをろうぜきの不良少年にしちまう運命にきようどうしやがったらしいんだこの野郎。

 おれさまは『世界がひもとしてみえる』能力のほかには天衣無縫の人間にすぎなかったわけだから母親とばあちゃんもおれさまを平凡なる男児としてちようあいしてくれたのさ。

 おれさまの原体験でもあるんだがおれさまの二歳おそよかなる母親はおれさまの入園する予定の『みどり幼稚園』におれさまをきようどうしていった。

 せきの『みどり幼稚園』ははんぶんじよくれいの仏教系の幼稚園でありかいなる園長先生が現役の住職ってなもんでかいわいに古刹でもあるんだかさいたる幼稚園をじようするように陰陰滅滅たる墓地がしようりつしてるっつうのんままなる幼稚園だったのさ。

 特段しゆんがいたる母親がようなる『環境』をひんしつした理由はなく単純明快にけんらんごうなる文化住宅となっている自宅から最短距離であってたる自宅かいわいまでけばけばしい幼稚園バスがきようどうしにきてくれるっつう事情によるものだったらしいんだ。

 あいまいとした記憶のなかでもうろうたる存在である母親にきようどうされたおれさまはしよくそうぜんたる『みどり幼稚園』の内部を見学しにゆききつきようしちまった。

 たいたるおれさまと同様年端のゆかない子供たちが理路整然たる数列のように部屋に幽閉されもうろくしたような園長先生のおはなしを静聴してやがる。

 いんもうの『ひも』のしんとうから『しつかいの未来がみえる』おれさまは数年後にえいするであろう『ひも』の団塊と何十年かの人生をおうするであろう『ひも』の団塊が理解不能なる階級制度のなかにいるらしい事実にうつぼつたる不快感を抱擁したんだ。

 おれさまの原体験はいんの幼稚園見学なのだが問題は『みどり幼稚園』の帰路で勃発しやがった。

 めいちようたる未入園児であるがゆえに徒歩で帰途についたおれさまと母親だったが某所のせんぱくにてかくねんしようたる聖人のようにおれさまは母親をそうしちまった。

 いわく「ねえ。これからぶーぶーがはしってきてぼくたちは死ぬんだけどね。ぼくがこういったから死なないんだよ」と。

 きつきようしたらしい母親はもうまいなるおれさまをぼうぎよするかたちで抱擁し十字路になっているがいかいわいへいげいした。

 かいなるほろ附きトラックがせんぱくせんかいできずにおれさまたちの進行方向である街角のれきせいのブロックに衝突しやがった。

 衝突箇所が羅利粉灰となったほろ附きトラックの運転手の露命を確認しがら張りの公衆電話から一一九番した母親はびくびくとしながらおれさまと帰宅した。

 顔面そうはくの母親はかくしやくたるばあちゃんと相談したらしくおれさまに尋問してきた。

 いわく「あんたもしかしてわたしたちが『ひも』でみえるんじゃないの」なんてね。

 おれさまは『世界がひもでみえる』ことは自然なことだとおもっていたので造次てんぱいくりの混乱におちいったがやがて母親とばあちゃんは理解したらしかったんだ。

 また母親はこんなふうにも詰問した。

 『あんた『未来』がわかるの』なんてさ。

 おれさまの祖父も父親も同様の『能力』をもっていて祖父は『過去』をみる能力を父親は『現在』をみる能力をもっていたからだったらしいんだ。

 おれさまは『すでにっている未来』についてごうぼくとつとしてでんしてやった。

 いわく「地下鉄でサリンだよ。オウム真理教なんだよ」とか「九月にね。ふたつの飛行機がふたつのビルにぶつかるんだよ」とか「ぼくはね。二十一歳で死ぬんだよ」なんてね。

 おれさまの『能力』を理解した母親とばあちゃんはほうはいたるげきしようまきまれちまった。

 おれさまの祖父と父親の運命をしつしていたばあちゃんは「おじいちゃんやお父さんみてえにしようがいのある子たちと一緒に生活して自分のちからをうけいれるようにすべきでねえかの」っていうことでおれさまを『ながおかふくしのもり』に入園させんとしたが「よーろつではフロイト派をへきとうとする精神医学が人口にかいしやされていますが日本はまだまだです。医学者であるわたし自身差別的なことはもうしあげたくないのですがしようがいたちと一緒の環境ではこの子の将来にも問題がでないとはかぎりません」という母親はおれさまの『能力』が問題をじやつしないかぎりあいあいたる健常者とともに『みどり幼稚園』に通園させることをきゆうした。

 なるえんさくほうぜいが発生したかわからないがおれさまの父親と祖父の人生のてつざんしているばあちゃんがはいじくを享受しておれさまは母親のひんしつどおり『みどり幼稚園』に入園することとなっちまった。

 

 おれさまはどうでもよかった。

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